510話 たむけの酒
「終わったな」
「ああ、終わった」
魔物たちの新聞『宵闇時間』の編集部では、大仕事を終えた記者たちがぽつぽつと感想を漏らした。
タニスの発案である『天罰報知』は第三号の発行で終了となった。
その後、編集部は従来のトワイライト・タイムスの制作を再開した。
トワイライト・タイムスの最新号には、今回の騒動の顛末が特集記事として掲載された。
マークウッドの森に侵入した新世紀派の信者たちの横暴。
そして森を守護するために、マークウッド同盟の枢密院が王都タレイアンの警視庁に巣食う新世紀派の排除を決定したこと。
魔道士タニスの発案した新聞『天罰報知』が、ティムの意向で作成され、魔道士ギルドの協力により国中で販売されたこと。
盟主代理ティムが撮影した人間社会の暗部を暴く写真が『天罰報知』に多数掲載され、人間社会を震撼させたこと。
人間に対して新聞『天罰報知』を売ることが出来たことは、トワイライト・タイムスの面々にとっては僥倖だった。
そのため『天罰報知』の発行を決定し盟主代理の権限で強力な後押しをしたティムに対して、編集部からの感謝を込めて、トワイライト・タイムスではティムの活躍を英雄のように格好良く書き立てるというサービスをした。
また魔道士プロスペローが人間である『何でも屋のダフ』を弟子にとったことなども書かれていた。
警視庁での慰霊祭の日に、魔道士ギルドが王都に雪を降らせたことも。
一連の騒動の魔物側のニュースを掲載したトワイライト・タイムスの最新号の原稿は、吸血鬼ギルド顧問ユースティスの検閲を受けた。
ティムを持て囃す記事にユースティスは表情を無くしていたが、否とは言われず、そのまま発行が許可された。
ただしファウスタについては最初から掲載が禁止されていたため、ファウスタによるトンプソン警部補の幽霊との邂逅などは掲載されていない。
そして発行の仕事を終えた彼らは、晴々した表情でくつろいでいた。
「何か沙汰があるとしたら、そろそろだが……」
主催者のダミアンはすっきりした顔で言った。
「これだけの仕事ができたんだ。どんな沙汰があっても悔いはない」
「そうだな」
ダミアンの言葉に、編集長のマーキスはニヤリと笑った。
「新世紀派の連中に一泡吹かせてやった。ざまあみろだ」
他の記者たちも清々しい表情で口々に感想を述べ、大仕事の成功を喜び合った。
「とりあえず、ぱあっと打ち上げするってのはどうだ?」
「昼間から開いてる店で、どこか良いとこあるか?」
「多少、値段が張るが……」
打ち上げをすることになったトワイライト・タイムスの編集部の面々は、どこの大衆酒場へ行くかで活発に意見を交わし合った。
皆が次々と自分が贔屓にしている酒場の名を挙げた。
「『八個の鐘』はどうだ? 昼から開店してるし、名物の自家製麦酒は重くて飲みごたえがある」
記者モスが老舗の大衆酒場の店名を挙げた。
(……『八個の鐘』か……)
その店名は、ダミアンにとって琴線に触れるものがあった。
警視庁の不正を暴く有力な武器となったのは、トンプソン警部補が『何でも屋のダフ』に預けていた写真乾板だった。
老舗の大衆酒場『八個の鐘』は、トンプソン警部補がもし無事に仕事を終えていたら、ダフを連れて行くはずだった店だ。
「良いね。俺も『八個の鐘』に行きたい」
(おや、あれは……)
トワイライト・タイムスの面々、吸血鬼と屍鬼たちは、いそいそと大衆酒場『八個の鐘』へと繰り出した。
ダミアンは『八個の鐘』の前で迷うようにうろうろしている貧相な身なりの男がいることに気付いた。
その貧相な身なりの男は、突然、何かに驚いたように、ダミアンたちのほうを振り向いた。
(ダフ氏!)
その貧相な男は、トンプソン警部補の親友『何でも屋のダフ』だった。
「知り合いを見つけた。ちょっと話して来るから、先に店に入っててくれ」
ダミアンは編集部の面々にそう言うと、ダフに声を掛けた。
「ダフ氏、どうしたんだ?」
「お、お久しぶりでやんす。その節ぁ色々とお世話になりやした」
「水臭いことは言いっこなしだ。飲みに来たのかい?」
「……いやあ、あっしは……」
「もし良ければだが、我々と一緒に飲まないか? 何なら俺が奢るよ」
「ここで、瓶入りの麦酒が買えるってえ聞いて来たんでやんすが……。ちいとばかし敷居が高え店なんで、入りずれえんでさあ」
大衆酒場の中には、麦酒を瓶詰めにして売っている店がある。
この店でも、店内で飲める麦酒の他に、持ち帰ることができる瓶詰めの麦酒が売られていた。
そしてこの『八個の鐘』という大衆酒場は、老舗の名店であり、大衆酒場の中でも高級店の部類だ。
「買って帰るのかい? どうせなら一緒に飲まないか? ここは料理もなかなかだよ」
「トンプソンの旦那に報告に行くんで、手土産にと思いやして」
トンプソン警部補は故人なので、つまりは墓参りだ。
「そういうことか。じゃあ、俺が代わりに麦酒を買って来ようか?」
「おねげえしやす! これで……二本買えやすか」
ダミアンはダフから瓶詰めの麦酒二本分の代金を受け取ると、店内で瓶詰め麦酒を三本買ってダフに渡した。
「ありゃりゃ、一本多いでさあ」
「一本は俺の奢りだ。ダフ氏には随分世話になったからね」
「良いんでやんすか?!」
「良いさ」
「まいどあり!」
ダフの景気の良い声に、ダミアンはにっかり笑った。
「トンプソン警部補に、よろしく言っておいてくれ」
(たしか、この辺り……)
小さな教会の脇にある墓地のあちこちには、日差しを受けて、夏草が青々と生い茂っていた。
ダフはトンプソン警部補の墓を知らなかったが、吸血鬼ギルド夜警団団長ヴァーニーがダフにそれを教えた。
ダフはトンプソン警部補のトンプソンという姓しか知らなかったが、彼の名はヒューで、本名はヒュー・トンプソンなのだと、これもヴァーニーに教えられた。
ダフは以前にヴァーニーに案内してもらった、見覚えのある墓の前に行くと、麦酒の瓶を入れたずた袋を脇に置き、ポケットから文字の書かれた紙を取り出した。
そして紙に書かれた文字と墓石に刻まれた文字とを見比べた。
ダフは字が読めないので、墓石に刻まれた名を確認することができない。
そこでダフは、学のある友人ジョニーに、ヒュー・トンプソンと紙に書いて貰い、それを持って来たのだ。
――ヒュー・トンプソン。
ダフは、持っている紙に書かれた文字と墓石に刻まれた文字が一致していることを確認すると、ずた袋から麦酒の瓶を取り出し、墓石の前に並べた。
そして三本の麦酒の瓶のうち、二本の瓶のコルク栓を抜いた。
栓を抜いた瓶の一本を手に取り、墓石の前に置いた瓶に、乾杯するように軽く触れた。
「一仕事、終わったんでえ、飲みましょうや! と言っても、お高い麦酒なんで、景気良くは飲めませんや。一本と半分ずつでさあ」
ダフは瓶に口をつけると、ぐいと麦酒を飲んだ。
「うめえええ!」
重くコクがある麦酒の味にダフは唸った。
「さっすがお高いだけのことはありまさあ」
(……!)
ふいに背後で、夏草を踏む気配がした。
ダフは振り返った。
小太りで丸っこい体形の紳士が、白い花を携えてこちらに向かって歩いて来る姿があった。
ダフは知らなかったが、それは警視庁のバロー警部だった。
「失礼するよ」
小太りの紳士バロー警部はトンプソン警部補の墓前に花を置くと、黙祷した。
「トンプソン警部補のお知り合いでやんすか?」
黙祷を終えたバロー警部にダフがそう問いかけると、バロー警部は頷いた。
「ああ。彼はとても正義感が強く、そして勇敢だった……」
「そのとおりでさあ。立派なお人でやんした」
バロー警部は、自らが供えた花の隣りにある、ダフが置いた麦酒の瓶を見つめて言った。
「彼は麦酒が好きだったね」
「へい、景気良く奢って貰いやした」
ダフとバロー警部は、お互いに名乗らないまま、トンプソン警部補の思い出をぽつぽつと語った。
「旦那もどうぞ、一杯やってくだせえ。仕事が終わったらパアっと景気良く飲むって、トンプソンの旦那と約束してたんでさあ」
「仕事が終わったら、か……」
トンプソン警部補が警視庁の内部不正の捜査をしていたことを知らなければ、警視総監の交代がそれだとは解らないことだ。
だがダフとバロー警部は、お互いに何も尋ねなかった。
「では、いただこうかな」
ニヤリと笑ってそう答えたバロー警部に、ダフはまだ栓を開けていなかった三本目の瓶を渡した。
バロー警部はコルクの栓を抜くと、墓前に向いて麦酒の瓶を掲げた。
「仕事の達成に、乾杯」
バロー警部はそう言うと、瓶に口をつけてゴクリと麦酒を飲んだ。
「これは美味い。八個の鐘の麦酒かな?」
「当たりでさあ。トンプソンの旦那は仕事が終わったら、あっしを八個の鐘に連れてってくれるはずだったんでやんす」
「そうか。実はね、彼がまだ若造だったころ、彼を八個の鐘に連れて行ったのは私なんだ」
「ありゃりゃ。酒場の大先輩でやしたか」
二人の会話の間を、ふいに通り過ぎた風が、夏草をさわさわと揺らした。




