基礎知識
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第6話、どうぞお楽しみください!
放課後。
「アキラちゃーん! 今日の部活体験、一緒に行こうよぉ――!」
「今日は野暮用がある」という適当な理由を盾に、相城蓮のいつものウザ絡み……もとい怒涛のスキンシップ攻勢を力技で振りほどき、どうにか教室からの脱出に成功した。
あいつの相手をするだけで、今日一日のエネルギーの半分を消費した気分だ。
ポケットから一枚のメモ用紙を取り出し、書かれた文字と目の前のプレートを見比べる。
ここは新校舎の端、生徒の往来がほとんど途絶えた旧特別教室棟の並びだ。
『第二準備室』。
場所は間違いない。
ドアノブを握って軽く回すと、鍵はかかっておらず、あっさりと開いた。
中を覗き込むと、埃を被った机や椅子が無造作に積み上げられているだけで、どう見回してもただの使われていない空き教室にしか見えない。
「……何もない?」
独り言ちて首を傾げたその時、背後から足音が近づいてきた。
「お疲れ様、業見さん。迷わず辿り着けたようだね」
振り返ると、浅羽晴が背後に立っていた。その顔には、昨晩と寸分違わぬ営業用スマイルが貼り付いている。
「浅羽先生……ここ、どう見てもただの空き教室なんですけど」
「そう焦らないで。少し後ろに下がってもらえるかい?」
浅羽は笑みを浮かべて私に下がるよう促すと、私が開けた木製のドアを「バタン」と一度閉め直した。
続いてスーツの内ポケットから一本の銀色の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで軽く捻る。
カチリ。重々しい金属の噛み合う音が響いた。
彼が再びドアを押し開けると、そこに広がっていたのは夕日の差し込む教室などではなく、底の見えない『漆黒』だった。
「どうぞ、業見さんが先にお入り」
浅羽に促され、私は唾を飲み込みながら、腹を括ってその深淵のような闇の中へと足を踏み入れた。
刹那、強烈な目眩と無重力感が津波のように押し寄せる。
「ぐ……っ!?」
視界のピントが再び合った時には、私はすでに冷たい床の上に膝をついていた。
顔を上げる。
そこは、窓の一つも見当たらない異様な部屋だった。壁も床も無機質な白一色で統一され、天井では味気ない蛍光灯が淡々と灯っている。部屋の隅には雑多な備品や段ボール箱が無造作に積まれていた。
背後から床を踏みしめる革靴の音が響き、浅羽が落ち着いた足取りで入ってきた。彼が完全に足を踏み入れ、背後のドアを閉めると――なんとその扉は白い壁へと溶け込むように沈み込み、跡形もなく消え失せてしまった。
「ようこそ、『スタッフルーム』へ。業見景、待っていたぞ」
部屋の中央には大きなオフィスデスクが鎮座していた。
そして、背もたれの高い革張りチェアに深く腰掛けた雨宮律が、私に背を向けたまま、これ見よがしに芝居がかった重々しい声で告げていた。
部屋の隅のパイプ椅子に腰掛けていた赤髪の少女、茜が、ポテトチップスを咥えたまま口を挟む。
「ドアが開く音が聞こえてから、慌てて椅子に飛び乗ってポーズ取ってたよね、姐さん」
「……お前らという奴は、揃いも揃って空気の読めない奴ばかりだな!?」
律は勢いよく回転椅子を回してこちらに向き直ると、机をバンと叩いて抗議した。
どうやら、こいつが私の中で上位者としての威厳を確立する日は、一生訪れそうにない。
「まあいい。それにしても業見、お前ずいぶん空間転移の耐性があるな。普通は初めて転移させられたら、立っていられないほど酔うもんなんだが。現に浅羽なんて、初回は見事にゲロまみれで……」
「ゴホン! ゴホッ!」
浅羽がわざとらしい咳払いで律の無慈悲な暴露を遮った。
「はいはい。手短にいこう、まずは座れ。お茶はセルフサービスだ、飲みたいものがあれば自分で淹れろ。どうせ局の経費で落ちる」
律はひらひらと手を振り、長テーブルの前に並べられたパイプ椅子を指し示した。
——
全員が椅子を引いて腰を落ち着けると、浅羽晴がホワイトボード用のマーカーを手に前に立った。その表情は真剣かつプロフェッショナルなものへと切り替わっている。どうやらここからは彼の講義の時間らしい。
「それでは、業見さんにこの世界の『本質』について解説させてもらおうか」
浅羽の声は、教師としての明瞭さと落ち着きを取り戻していた。
「まず具体的なルールを説明する前に、この世界を構成する最も根源的な礎――『エーテル』について理解してもらう必要がある。現代の知見において、エーテルから独立して存在できるものは何一つとしてない。それはまるで……いや、それそのものが万物の『魂』なんだ。岩、土、樹木、鳥獣、そしてもちろん我々人間も含め、例外なくすべてがエーテルによって構築された魂を持っている」
浅羽はホワイトボードに、分かりやすい三層のピラミッドを描いた。
「魂の内部構造の複雑さによって、事物の間には知性や自己意識、機能において絶望的な隔たりが生じる。
最もシンプルで、自我を持たない土や石といった無機物が宿すのが、『黒鉄の魂』。
その一段上、生命活動と基礎的な本能を備えた動植物が宿すのが、『白銀の魂』。
そして頂点に君臨し、高度な知性と感情、明確な自我を持つ我々人間が宿すものこそが、『黄金の魂』だ」
私は思わず背筋を伸ばし、一言一句たりとも聞き漏らすまいと耳を傾けた。
「いかなる存在も、エーテルなくして単独では存在し得ない。構成要素であるエーテルの魂が傷つけば、その存在は不可逆的に劣化していく。例えば人間が命を落とせば、黄金の魂は崩壊し、残された遺体はただの物質――すなわち『黒鉄の魂』へと格落ちする」
浅羽は指先でペンを弄びながら、深い眼差しを私に向けた。
「その上で、特定の手段によって自らの魂をさらに改造し、質的な昇華を果たした人間――それこそが『鋳魂者』と呼ばれる存在だ。総制局では、その昇華の深度と回数に応じて、第一から第五までの『位階』を定めている」
「……どうすれば、自分の魂を改造できるんだ?」
私はたまらず口を挟んだ。
「特定の儀軌を執り行い、人の精神を高次の次元――『エーテル界』へと投射する必要がある。そこで自身の魂の構造を再構築するのさ。これには相応の資質が求められるし、魂の崩壊といった致命的なリスクも伴う。だが一度昇華を果たせば、鋳魂者は常理を超越した偉力を獲得し、エーテルに対する知覚力と干渉力は劇的に飛躍する」
浅羽はくるりと振り返り、ホワイトボードに手早く六つの分類を書き連ねた。
「鋳魂者が顕現させる偉力に対し、総制局は標準的な分類体系を確立している。
第一に、現実の法則に直接干渉し、実体物質を操る『馭物類』。
第二に、精神や意識に作用し、魂そのものへ干渉する『神魂類』。
第三に、無から有を生み出し、空想を現実へ具現化する『造物類』。
第四に、術者自身の肉体に作用し、強化や肉体改変をもたらす『強躯類』。
第五に、具体的な物質には干渉せず、エーテルそのものの法則の掌握に特化した『基石類』。
第六に、複数の性質を併せ持ち、単一の枠組みに収まらない『複合類』だ」
板書を終えると、浅羽はペン先を手のひらでくるりと回し、私へと切っ先を向けた。
「さて、業見さん。ここまで説明すれば、もう心当たりはあるんじゃないかな? 君自身の能力は、この六つのうちどれに該当すると思う?」
「……『造物類』、だろ」
自分の手のひらを見つめながら答えた。頭の中で黒い金属の輪郭を描き、無から虚空へと具現化させる力。
「大正解」
浅羽はマニュアル通りの完璧な微笑を浮かべた。
その時、ずっとデスクに肘をついて話を聞いていた雨宮律が、ぐっと身を乗り出してきた。
「ふぅ、大体理解できたところで、改めて正式に自己紹介といこうか! 私こそが――雨宮律。総制局関係機関第二班の班長にして、馭物類・第三位階の鋳魂者だ!」
律は得意満面に胸を張ってみせる。
「……あの、じゃあ昨日のあの見えない重圧は、馭物類の能力なのか? 具体的にはどの程度のことが……」
「細かく説明するのは死ぬほど面倒だから却下。どうせそのうち嫌でも知ることになるんだ、追々な」
律は適当に手をひらひらと振ると、横を向いて急かした。
「次はお前だ、茜!」
茜はパイプ椅子の上でだらりと伸びをし、
「第二位階の鋳魂者、茜でーす。能力分類は『強躯類』」
「強躯類……」
昨晩、あの分厚い結束ベルトを素手で軽々と引きちぎった彼女の姿が脳裏をよぎる。
浅羽が笑みをたたえて歩み出た。
「業見さんも同じ造物類である以上、僕がお手本として具体的な実例をお見せした方が分かりやすいだろう」
「浅羽先生も、造物類……」
そう言いながら、浅羽は静かに右手を水平に持ち上げた。
刹那、彼の周囲の空気がごく微かに震え、完全密閉された部屋の中に、冷ややかな一陣の突風が巻き起こる。
「僕の能力の名は、『浮遊泡影』」
浅羽が虚空を指先で軽くなぞる。
微かな燐光を放つ無数の半透明物質が、宙空に急速に凝縮していった。
それらは粘つくような低い唸りを立てながら、見る見るうちに膨張し、輪郭を満たしていく――
「……っ!?」
私の心臓がドクリと跳ね上がり、反射的にパイプ椅子のパイプを強く握りしめた。
宙に浮かんでいたのは――半透明の粘膜に覆われた、クラゲと芋虫を継ぎ接ぎにしたようなあの怪物だった。
姿形、気配、すべてが学校の倉庫やマンションの廊下で私を襲った個体と完全に一致している。
だが、今目の前に浮かぶ怪物は、以前私を襲ってきた個体よりも遥かに巨大だった。あの時の二匹は中型犬ほどのサイズだったが、目の前のそれは優に全長二メートルを超えている。
「ふふ、見覚えがあるだろう?」
怪物は浅羽の指先の合図に従い、広い部屋の天井付近を音もなく旋回すると、針で突かれたシャボン玉のように破裂し、大気の中に溶けて消え去った。
「あの二回の襲撃……全部、お前の仕業だったんだな」
私の声は、ひどく乾いていた。
「ええ。怖がらせてしまって、本当に申し訳なかったね」
浅羽の顔には、悪びれる様子など微塵もなかった。
……やはりそうだったか。
倉庫で棚が倒れたのも、自宅の前で唐突に感じた胸騒ぎと奇襲も。
すべては浅羽が能力によって仕掛けた「品定め」だったのだ。彼らにとって、あの二度の戦いなど準備運動にすら満たない、単なる私の実力テストにすぎなかったというわけだ。
そしてデスクの奥に座る雨宮律が、満足そうにパンと手を叩き、この悪趣味な実演に幕を引いた。
「よし! チュートリアルはここまでだ! 浅羽の性格の悪さも骨身にしみて理解できたことだし――」
律の瞳からだらけた光が抜け落ち、代わりに冷徹で鋭い光が宿る。
「――ここからが、本題だ」
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