関係機関
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第3話、どうぞお楽しみください!
ここが、私の家なのだろうか。
高級タワーマンションの一室の前で立ち止まり、金属製の表札に刻まれた部屋番号を見上げる。
道順がさっぱり分からず随分と時間を浪費してしまったが、生徒手帳に挟まれていた連絡先の住所を頼りに、どうにかここまで辿り着くことができた。
さて、扉の向こうには何が待ち受けているのだろうか。
もしドアを開けて、この世界におけるいわゆる「両親」が座っていたら、私は一体どんな顔をすればいい?
無数の仮定が脳裏を駆け巡ったが、わずか三秒で決断を下した。
……まあいい、考えるのはやめだ。
どうせその場のノリで臨機応変にやるしかない。なんとかなるだろう。
深呼吸をひとつして、インターホンを押す。
「ピンポーン――」
澄んだチャイムの音が室内に響き渡るが、直後に訪れたのは完全な静寂だった。
留守か?
訝しみながら、もう一度インターホンを押してみる。
「ピンポーン――」
相変わらず、足音ひとつ、返事ひとつ返ってこない。
「……ただいま」
試しに右手の親指をドアハンドルの指紋認証センサーに押し当ててみる。電子音の「ピピッ」という短い合図とともに、電子錠があっさりと解錠された。
玄関は綺麗に片付いており、靴箱の脇には私用の女性用ルームスリッパが一足だけ整然と並べられていた。
靴を脱ぎ、部屋の中へと足を踏み入れる。ドアを開ける前から薄々そんな気はしていたものの、実際に誰もいないことを確認すると、心の底に拭い去れない一抹の寂しさが湧き上がってくる。
室内は想像していたよりもずっとコンパクトで、絵に描いたような一人暮らし向けの間取りだった。独立した寝室が一つあるだけで、どうやらこの世界の私は本当に一人暮らしをしているらしい。
家具や調度品にはまるで見覚えがないが、細部――例えば机の上に平積みされたライトノベルや、壁に掛けられたまま埃を被っているアコースティックギターなど――には、紛れもなく私自身の生活習慣が滲み出ていた。
少なくとも、日当たりが良く洗練された内装のこのマンションを見る限り、この世界の私はかなり裕福でまともな暮らしを送っているようだ。
寝室に入り、泥のようにベッドへと倒れ込むと、枕を引き寄せて顔をぎゅっと埋めた。
今日一日で起きたことが、あまりにも多すぎる。
奇妙な世界への転移、わけのわからない襲撃、そして覚醒した超常の力……。倉庫であれほど湧き上がった「超能力を手に入れた」という微かな高揚感も、この瞬間、圧倒的な疲労感と孤独感によって綺麗さっぱり洗い流されてしまった。
……やっぱり、このまま無為に寝転がっているわけにはいかない。
せめて、自分の身に起きた異常についてだけは、ある程度突き止めておかなければ。
——
寝室で試行錯誤を繰り返すこと三十分、私はようやく己の能力の輪郭を大まかに把握することができた。
とりあえず……少々中二病染みているが、仮の名称として『黒の鍛炉』とでも呼ぶことにしよう。
意識を集中させ、頭の中で特定の物体を具現化するイメージを持つことで、両手や前腕の皮膚表面からあの黒い金属物質を呼び出すことができる。
それらは私の思念に従って形状を変えるが、現状の「精密性」はかなりお粗末なものだ。生成できる物体は、大まかな外郭が私のイメージに辛うじて近い程度――例えば、先ほど頭の中でカッコいい日本刀をイメージしてみたのだが、散々悪戦苦闘した挙句、掌に現れたのは刃がついただけの無骨な黒い鉄の延べ棒だった。
さらに、この金属の造形物は、私の継続的な集中力によってのみ存在を維持できるらしい。少しでも気を抜けば、わずか数秒で急速に崩壊し、黒い塵となって空気中に溶けて消えてしまう。
体積の上限に関しては、現在の私の限界だと、リュックサックほどの大きさの立方体を虚空から生み出すのが関の山で、それ以上になると金属構造そのものが維持できずに自壊してしまうようだった。
ただ、幸いなことに消耗自体はかなり少ないようだ。
物質を引き出す際、身体の奥底からスタミナをかすめ取られるような感覚こそあるものの、これだけ連続で検証を重ねても目立った副作用は現れていない。
「トントントン」
唐突なノックの音が、部屋の静寂を容赦なく引き裂いた。
全身が硬直し、私はベッドから跳ね起きるように身を起こす。
こんな時間に……一体誰が私を訪ねてきたというのだ?
もしかして、この世界の私の知り合いで、私自身は顔も知らない人間だろうか?
疑惑を抱えながら寝室を出て、玄関ドアの前へと向かう。
しかし、私の指先がドアノブに触れようとした、その刹那――
ドクン。
あの忌々しい胸騒ぎが、何の前触れもなく再び襲いかかってきた。
……ふざけるな。
第二ラウンドの開幕ってわけか!?
迷いや逃避では何も解決しない。
私は手の中に無骨な黒い鉄パイプを形成させると、ドアの鍵をひねり、防犯ドアを一気に引き開けた!
「ガチャリ――」
勢いよくドアを開けた衝撃に反応し、頭上の廊下に備え付けられた人感センサーライトがパッと点灯し、薄暗いオレンジ色の光を投げかける。
だが、扉の外には誰もいなかった。
防音カーペットが敷かれた細長い廊下は見通しがよく、両脇に並ぶ閉ざされたドアが薄暗がりの中で沈黙を保っている。人影などどこにもない。いやむしろ、誰一人としていないこと自体が不気味極まりなかった。
私は両手で鉄パイプを胸の前に構え、警戒を露わにしながら廊下の左右を見渡した。
一秒、二秒……。
何も起こらない。
……緊張しすぎて、過敏になりすぎているだけなのだろうか?
ホッと息を吐き出し、部屋に戻って鍵をかけ直そうとした――その瞬間。
ドクン、ドクンッ!!!!
心臓の激しい鼓動が再び跳ね上がる!
直後、廊下の突き当たりの曲がり角から、揺らめく影が飛び出し、空気を切り裂く轟音とともに私に向かって猛スピードで突進してきた!
半透明のゼリー状の肉体、うごめく触手――今日の午後、倉庫で私を襲ったあの化け物と瓜二つだ!
サイズや細部に多少の違いはあるかもしれないが、そんなものをじっくり観察している余裕など微塵もない!
「――失せろっ!!」
強烈な生存本能に突き動かされ、私は手にした黒い鉄パイプを力任せに薙ぎ払った!
「ドォンッ!!」
鉄パイプは半透明の胴体に見事クリーンヒットした。手首に伝わってきた反動はどこか奇妙で、泥水をたっぷり詰め込んだ硬質ゴム風船を殴りつけたようでもあり、同時に壊れやすいガラスのようなパリッとした抵抗感も混ざり合っていた。
怪物は耳を劈くような甲高い悲鳴を上げ、その巨体を空中で激しく身悶えさせた。
思っていたよりも脆い!
体勢を崩した隙を見逃さず、私は奥歯を噛み締めて一歩踏み込み、上段から渾身の力で二撃目を叩き込んだ!
「バキィンッ!!」
硬質プラスチックが粉々に砕け散るような甲高い破裂音とともに、怪物の半透明な肉体に蜘蛛の巣状の白い亀裂が一気に広がった。わずか数秒のうちに、それは陽光を浴びた霜のように急速に剥落し、分解され、最後は虚無となって廊下の空気中へと溶け落ちていった。
「はぁ……はぁ……」
激しく肩で息をする。
終わった……のか。
気が緩むと同時に、手に握っていた重々しい鉄パイプもまた細かな砂利と化し、指の隙間からサラサラと音もなくこぼれ落ちて消えていった。
危なすぎる。一刻も早く部屋に戻って鍵を――。
だが、私の足が玄関へと踏み戻るよりも早く。
言葉では言い表せないほど恐ろしい重圧が、何の前触れもなく天から降り注ぎ、私の全身に容赦なく叩きつけられた!
重力が何倍にも跳ね上がったかのようだった。私の両膝は「どんっ」と音を立てて硬い床タイルに叩きつけられた。
「ぐっ……あ……!?」
しかし、その圧力は留まることを知らず、さらに増大していく!
両腕で懸命に床を支えようとしたものの、持ち堪えられたのはわずか半秒。私は冷たい廊下の床に無残にも圧し潰され、呼吸は途切れ、視界の端から黒い斑点が急速に広がっていく。
一体……何なんだ、これは……。
意識が途切れかける寸前、隣の部屋のドアが開く「カチャリ」という乾いた音がかすかに耳に届いた。
私は必死に、最後の力を振り絞って顎を横へと向けた。
二重三重に滲む視界の先から、三つの人影がゆっくりと現れる。折り目のついた黒いスラックスと、磨き抜かれた革靴……三人、いるのか?
落ち着き払った足音が、一歩、また一歩と私へと近づいてくる。
次の瞬間、私の視界は完全に漆黒の闇へと沈んだ。
——
ここが……死後の世界なのだろうか。
再び意識を取り戻した時、私の目に飛び込んできたのは、到底理解の追いつかない奇怪な光景だった。
見渡す限りの荒野。
足元には寒々しい灰白色の岩肌が広がり、申し訳程度にまばらな雑草が点在している。視界の届く範囲には、木々も建造物の痕跡も一切存在しない。
空には太陽どころか、発光する天体の一つすら見当たらないというのに、荒野全体はまるで正午のような均一な光に満たされていた。
頭上には鉛のように重苦しい灰色の雲が渦巻いている。その雲の奥深くから、大雪のようにひらひらと白い破片が絶え間なく降り注いでいた。だが、いくら手を伸ばして掴もうとしても、その雪のような物質が掌に触れることはなく、地面に積もる気配すらなかった。
思考は泥のように濁り、得体の知れない不条理感が私を包み込む。
その時だった。遥か地平線にぽつんと隆起した小さな丘の上に、ぼんやりとした人影のようなものが佇んでいるのが見えた。
人なのか? それとも、別の何かか?
その姿を確かめることはできず、それが幻覚なのかどうかすら判別がつかない。
けれど私の身体は、何者かの見えない導きを受けたかのように、意志とは無関係に勝手に足を動かし、その影の方角へと歩みを進めていた――。
——
「えっ!?」
「あ、姐さん! 見て見て、この子起きたよ!」
「仕事中は『班長』と呼べと何度も言っているだろう、茜」
視界を取り戻した最初の瞬間、私の鼻先すれすれまで迫った顔面が目に飛び込んできた。
赤髪のショートヘアに、少しオーバーサイズの黒いスーツを着崩した少女。その大きな瞳が、瞬きもせずに私を凝視している。
近すぎる! 吐息の温もりまでダイレクトに伝わってくる距離だ!
本能的に距離を取ろうと身を引こうとしたが、身体を動かした瞬間、私は戦慄した。
太いナイロン製の拘束ベルトによって、私は椅子の上にガチガチに縛り付けられていたのだ!
「ゆ、誘拐……!? 寄るな!」
「静かにしろ、業見景。お前にはこれから、幾つかの調査に協力してもらう」
言い終えるが早いか、後ろから伸びてきたすらりと長い手が、言うことを聞かない子犬の首根っこを掴むように、赤髪の少女をひょいと脇へ引っ張った。
入れ替わるように、別の女性が向かいのパイプ椅子を引き、落ち着き払った動作で腰を下ろした。
年齢は二十五歳前後といったところか。肩口に無造作に流れる深い藍色のウェーブがかった長髪。前髪はやや乱れ、目の下にはうっすらと隈が刻まれており、大人の社会人特有の倦怠感が滲み出ている。だがそれとは裏腹に、底知れぬ深淵を思わせる静謐な瞳は、相手に軽挙妄動を許さない圧倒的な威圧感と余裕を漂わせていた。
彼女はスーツの内ポケットから特殊な紋章が刻印された手帳型IDを取り出し、私の目の前にひらりと掲げてみせた。
「初めまして。まずは自己紹介といこうか。私は『関係機関』の班長、雨宮 律だ」
雨宮律と名乗った女性は片手で頬杖をつき、前髪の隙間から覗く深い藍色の瞳で、拘束された私を面白そうに値踏みするように眺めている。
……終わった。
どうやら私は、とんでもなく巨大で厄介なトラブルに巻き込まれてしまったらしい。
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