第四章 書類が六箱、衣装が二箱
王都から年末祝宴の招待状が届いたのは、それからひと月ほど経ったころだった。
封蝋には王太子の紋章が押されている。
コンラートは執務机に置いたまま、それをしばらく眺めた。
王太子。
五人のうちの一人である。
いや、五人のうちの一人だから眺めたわけではない。王太子主催の祝宴に出席するかどうかを、辺境伯として検討していただけだ。
今年は婚姻した年でもある。王命によるものだったとはいえ、アデライードは正式にヴァルデンブルク辺境伯夫人となった。夫妻そろって王都へ顔を出しておく意味はある。本格的な冬に入れば北方の街道は動きにくくなるが、年末までならまだ間に合う。王都には領地関係の用もいくつか溜まっていたし、アデライードにも聖女として処理すべき案件があるだろう。
行く理由は十分だった。
コンラートは招待状を閉じた。
別に、王太子を見たいわけではない。
ましてや、残り四人まで祝宴に出てくるかもしれないなどとは考えていない。
考えていないはずだった。
「王都へ?」
夕食の席で話を出すと、アデライードは表情を変えなかった。
「ああ。王太子殿下から年末祝宴の招待が来た」
「毎年ございますね」
「知っているのか」
「何度か出席しておりますので」
「……そうか」
当然だった。王都で長く聖女を務めてきたのだから、王太子主催の祝宴に出たことくらいある。
「君は行きたいか」
尋ねると、アデライードは少し間を置いた。
「必要であれば」
「必要かどうかではなく、行きたいかと聞いている」
また間が空く。
「王都へ戻れば、直接確認したい記録がいくつかございます」
「仕事の話ではない」
「祝宴そのものについてでしょうか」
「そうだ」
「特には」
実に淡泊だった。
「嫌でもない?」
「はい」
「楽しみでもない?」
「そうですね」
コンラートは思わず彼女を見た。
「毎年、何をしに行っていたんだ」
「ご挨拶をして、必要な方とお話をして、食事をいただいて」
「それだけか」
「祝宴ですので」
祝宴とは、概ねそういうものだ。とはいえ、五人もの男と噂になった女の年末の夜にしては、あまりにも何も起きていなかった。
「踊ったりは」
「いたします」
「誰と」
聞いてから、急ぎすぎたと思った。
アデライードが榛色の瞳を向ける。
「いろいろな方と」
「王太子とも?」
「ございます」
「大使殿下とは」
「何度か」
「王立技術院長は」
「あの方は、踊るより女性を眺めるほうがお好きです」
「……そうなのか」
「はい」
「騎士団長は?」
「ございません」
即答だった。
「誘われなかったのか」
「誘われてもお断りいたします」
これも早い。
「なぜ」
「踏まれそうですので」
「足を?」
「わたくしが先に踏む可能性もございます」
「……そうか」
何か別の理由がありそうだったが、追及はしなかった。
「宰相補佐は」
そこまで言ってから、五人全員について順に尋ねている自分に、さすがに気づいた。
アデライードのほうも気づいたらしく、小さく首を傾げた。
「皆様についてお知りになりたいのですか?」
「いや」
答えが早すぎた。
「そういうわけではない」
「そうですか」
「王都の主要人物だ。今後、辺境伯として関わる可能性もある」
「それはもちろん」
「だから、知っておいて損はない」
「はい」
「それだけだ」
「承知いたしました」
アデライードは食事に戻った。
完全に納得したようだった。
もう少し疑われたほうが、かえって気が楽だった。
王都行きは決まった。
雪が深くなる前に、長く領地を空けることになる。コンラートの側では、事前に片づける仕事が一気に増えた。代官と財務官に不在中の権限を確認し、冬季の道路維持と備蓄について決裁し、緊急時の連絡経路を整える。
アデライードのほうでも、王都へ運ぶ箱の選別が始まった。
最初に廊下へ積み上がった数を見て、コンラートは足を止めた。
「これは何だ」
「王都へ持参するものです」
「全部?」
「はい」
「祝宴へ行くんだぞ」
「存じております」
箱が六つあった。
「君は王都へ仕事をしに行くのか」
「仕事もいたします」
「祝宴は」
「出席いたします」
「この量で?」
「帰りには減ります」
「本当か」
「王都へ置いてまいりますので」
そういう意味ではなかった。
「代わりに何か増えるのではないか」
アデライードが黙った。
「増える可能性はございます」
「減らないではないか」
「持参したものは減ります」
「総量の話をしている」
「それは、行ってみなければ」
コンラートは廊下に並んだ六つの箱を、あらためて眺めた。
五人の男を相手にする時間について、また疑問が増えた。
どう考えても、書類のほうが多い。
「これを全部馬車に積むのか」
「その予定です」
「衣装は?」
「別に二箱ございます」
「少ないな」
口にしてから、アデライードに見られた。
「少ないでしょうか」
「いや」
何と比較して少ないと思ったのか、自分でも分からない。王都の社交界を騒がせた女なら、衣装だけで馬車を一台潰すものだと、勝手に思い込んでいたらしい。
実際には、書類六箱に衣装二箱だった。
比率がおかしい。
「祝宴用の衣装はあるのか」
「昨年のものを少し直しました」
「昨年?」
「一度しか着ておりませんので」
「……そうか」
アデライードはまた箱の確認に戻った。
コンラートはその場を離れた。
やはり地味だった。
悪い意味ではない。
いや、最初は悪い意味で思ったような気もする。
そこは今さら検証しなくていい。
出発の日は晴れた。
朝の気温は低かったが、まだ街道が雪で閉ざされるほどではない。
城門の前で荷物の積み込みを確認していると、アデライードが外套を着て出てきた。深緑の生地に、飾りはほとんどない。王都へ向かう貴婦人というより、長い距離を移動する人間の服装だった。
見慣れた色だった。
八か月以上も同じ屋敷で暮らしているのだから、見慣れるのも当然だ。
「お待たせいたしました」
「いや」
「箱はすべて?」
「積んだ」
「六つとも?」
「書類はな」
「ありがとうございます」
「衣装もある」
「はい」
確認して安心したらしい。
まず書類の数から聞くところが、この女だった。
コンラートは馬車の扉を開けた。
アデライードは乗り込もうとして、一度こちらを見た。何かと思えば、差し出していた手にようやく気づいたらしい。一拍おいて、彼女はそこに自分の手を預けた。
手袋越しなので、たいした感触もない。
それでも、思っていたより小さかった。
馬車に乗せるために手を貸しただけである。
コンラートも続いて乗り込み、向かいに座った。
アデライードはさっそく、隣に置いた鞄を開けた。
「まさか」
「一通だけです」
「王都まで何日あると思っている」
「ですから、少しずつ」
「全部読むつもりか」
「時間がございますので」
「景色でも見たらどうだ」
アデライードが窓の外を見た。城門を出たばかりなので、見えるのはいつもの城下町だった。
「見ております」
「今初めて見ただろう」
「先ほども見ました」
「そういう話ではない」
彼女は書類を鞄に戻した。
「では、しばらく見ております」
従うとは思わなかった。
コンラートはかえって困った。
「別に読むなとは言っていない」
「ですが」
「気分が悪くならない程度にしろ」
「承知いたしました」
結局、窓の外をひとしきり眺めたあと、アデライードは書類を取り出した。コンラートのほうも、自分の書類を出した。
夫婦で向かい合い、それぞれ別の文書を読む。
新婚旅行ではない。
そもそも旅行ですらない。
公務である。
そう考えると、妙に納得できた。
王都が近づくにつれ、街道の往来が増えていった。宿場も大きくなり、行き交う馬車には貴族の紋章が目立つようになる。
アデライードは、懐かしそうな様子も見せなかった。窓の外に見覚えのある建物が現れれば「あの先から道が混みます」と教えてくれるくらいだった。長く暮らした土地へ帰ることに、感傷はまるでないらしい。
「久しぶりではないのか」
「八か月ほどですから」
「子供のころから暮らしていただろう」
「はい」
「戻ってきたという感じはしないのか」
アデライードは窓の外へ目をやった。
「仕事が残っている、という感じはいたします」
「……そうか」
聞く相手を間違えた気がした。
「コンラート様は、王都がお嫌いですか?」
「嫌いではない。長くいると疲れる」
「人が多いですからね」
「君は平気なのか」
「慣れております」
「男が五人いても?」
言ってしまった。
アデライードがこちらを見る。
コンラートは視線を窓へ向けた。
「今のは忘れろ」
「はい」
これほど素直に忘れられると、それはそれで腹立たしい。
やがて、アデライードが言った。
「五人とも、年末には王都にいらっしゃると思います」
コンラートはゆっくりと彼女を見た。
「そうなのか」
「王太子殿下は主催者ですし、宰相補佐もおそらく随行されます。大使殿下も毎年出席なさいます。王立技術院長は年によりますが」
「騎士団長は」
「警備上、王都にはいらっしゃるでしょう」
「祝宴には?」
「いらっしゃるのでは」
「そうか」
「お会いになりたいのでしたら、ご紹介いたします」
「別に会いたいわけではない」
「そうですか」
「ただ、今後のために顔くらいは知っておいてもいい」
「それでしたら、皆様をご紹介できます」
「……頼む」
断る理由がなかった。
そもそも、このために王都へ向かっているわけではない。年末祝宴に出席し、王都で必要な政務を済ませ、その過程で、妻と以前から関わりのある有力者たちに挨拶をする。辺境伯として、極めて自然な行動だった。
五人全員に。
極めて自然だった。
コンラートはそう結論づけた。
王都へ到着すると、辺境伯家の屋敷では使用人たちが待っていた。八か月ぶりに戻ったアデライードは、辺境でそうするのと変わらない調子で挨拶を返した。そのあいだにも荷物が次々と運び込まれていく。
「聖女宮へは明日か」
コンラートが尋ねると、アデライードは首を振った。
「午後から参ります」
「今日?」
「先に確認したいものがございますので」
「着いたばかりだぞ」
「まだ午後も早いです」
「移動してきたんだぞ」
「馬車に乗っていただけです」
「それを移動という」
アデライードは困ったような顔をした。
「夕食までには戻ります」
「そういう問題でもない」
「では?」
コンラートは答えに詰まった。
婚姻契約には、相互の職務に不当に介入しないとある。八か月余り、彼女がこの調子で働き続けているのも知っている。
「……遅くなるな」
「はい」
「食事は取れ」
「はい」
「王都に着いた初日から徹夜するな」
「その予定はございません」
「予定になければいいという話ではない」
アデライードは一瞬黙り、それからわずかに笑った。
「気をつけます」
その顔を見て、コンラートはそれ以上言えなくなった。
アデライードは着替えのために自室へ向かい、廊下の向こうへ姿を消した。
コンラートはその背中を見送ってから、自分の部屋へ入った。
王都へ来た。
ここでなら、八か月余り見ていても分からなかったものが分かるかもしれない。
アデライードが王都でどんな女だったのか。五人の男と、本当はどんな関係だったのか。王が、なぜ聖女を北の果てへ嫁がせる気になったのか。そして噂のほうが間違っていたのだとすれば、自分は婚礼の日に何をしたことになるのか。
最後の問題についてだけは、できれば確認したくなかった。
しかし、五人を見れば嫌でも分かるだろう。
コンラートは窓の外に広がる王都を見下ろした。
祝宴まで、まだ数日ある。その間に、まず何人かとは顔を合わせることになる。
胃のあたりが少し重くなったが、長旅のせいだと思うことにした。




