第二話 神との対話
その夜、夢を見た。
どこまでも白い場所だった。壁があるのかないのかもわからない。自分の呼吸だけが、やけにはっきり聞こえた。
振り返ると、何かがいた。
小さかった。俺の膝くらいの高さしかない。形は人に近いが、輪郭がはっきりしない。光っているわけでも、透けているわけでもない。くすんだ白に近い色で、じっと見ていると焦点が合わなくなる。
それが、俺を見上げた。
目が合った。
小さな目だった。神様というより、迷子みたいな目だった。
「……あなたが、佐藤翔さんですか」
声は小さかった。でも不思議と、はっきり聞こえた。
「そうだけど」
俺は答えた。夢の中なのに、口が普通に動いた。
「お前は誰だ」
それは少し間を置いた。
「佐藤の、神です」
俺は黙った。
目の前にいるのが神様。この国の人間が持っているはずの、苗字に宿る神。
想像していたものとは、全然違った。
山田の神なら岩みたいな威圧感があるはずだ。鬼頭の神なら見ただけで足がすくむはずだ。でも目の前にいるのは、俺の膝丈にも満たない何かだった。
「お前が…佐藤の神…」
「はい」
小さく頷いた。どこか申し訳なさそうに。
「弱いですよね。わかってます。一千九百万人に力を分けてるから、あなたに届く分はほとんどない。私自身も、他の神様たちよりずっと小さいし」
自分で言いながら、その目が伏せられた。
「ずっと、見ていました。末位区で理不尽を受けながら生きている佐藤の人たちを。みんな少しずつ諦めていきました。仕方ない、佐藤だから、って」
俺は黙ったまま聞いていた。
「でも、あなただけは違った」
神の目が、俺を見た。
「諦めなかった。末位で、力もなくて、それでも上を見ていた」
空き地で蒼と話した夜のことを思った。星が遠かった。でも見えていた。
「だから来ました。あなたに、会いに」
しばらく何も言わなかった。
俺はもう一度、目の前の小さな存在を見た。弱そうで、頼りなくて、神様というには程遠い。でもこいつが嘘をついているようには見えなかった。
「お前は俺に何をしてほしいんだ」
神は背筋を伸ばした。小さいなりに、真剣な顔をした。
「一緒に、強くなってくれませんか」
「神が、俺に頼むのか」
「はい」
「強くしてくれ、じゃなくて」
「今の私には、あなたを強くするだけの力がない。でも——一緒にいることはできます。戦いを見て、覚えて、少しずつ。私があなたに力を貸せる日が来るまで」
サトリアは少し言葉を探すように黙った。
「主人と神、じゃなくていいんです。そういうのじゃなくて」
「じゃあなんだ」
「……相棒、と言えばいいのかな。うまく言えないけど」
俺は少し考えた。
神様に相棒を申し込まれる奴が、この世界に他にいるだろうか。しかも相手は膝丈しかない、弱い神だ。笑えてくる話だった。
それでも、右手を差し出す気にはなっていた。なんでかはわからなかった。
「名前は」
「名前、ですか」
「相棒なら、名前くらい知っておきたい」
神はまた間を置いた。
「……サトリア、と呼んでください」
「サトリア」
「はい」
俺は右手を差し出した。夢の中なのに、手のひらの感覚はちゃんとあった。
「わかった。よろしく頼む、サトリア」
サトリアは一瞬、目を丸くした。それからゆっくりと、小さな手を俺の手のひらに乗せた。
温かかった。
そして今日、人類で初めて神と対等に手を結んだ人間が生まれた。他でもない、俺が。
サトリアは手を離さないまま、小さな声で言った。
「一つだけ、まだ話せないことがあります」
「なんだ」
「私にできることが、一つあって。ただ今はまだ——あなたが受け取れる時が来たら、話します」
俺は特に聞き返さなかった。なんとなく、聞かなくていい気がした。
目が覚めると、末位区の天井があった。
朝だった。
夢だったのか、と思いながら右手を見た。温もりはもうない。当たり前だ。
俺は起き上がって、窓の外を見た。末位区の朝はいつも薄暗い。今日も変わらない。
ただ。
何かが変わった気がした。うまく言葉にできないけど。
今日、初めて神と対等な立場に立った人間が生まれた。
そのことを知っている者は、佐藤翔とサトリア以外誰もいなかった。
ご覧いただきありがとうございました。サトリアという新たなキャラクター、気に入ってもらえると嬉しいです。次話もよろしくお願いいたします。




