第二十三話
「どうか、されましたか?……」
俺の様子を気遣うように沢辺氏が声を掛けてくる。
目をつぶりそして1分近くも押し黙っていたのだから、
そう声を掛けられても無理は無い。
「いえ……、何でもありません……」
原因不明のめまいがしまして、などとは、
口が裂けても言えない、信用問題に係わる。
俺は目を幾度かしばたたかせた後、
右手で額から頬の辺りをツルリと撫で、
最後にそこを軽くピシャリと叩いた。
もう、めまいは治まっている。
「風邪、ですか? お声の方もかなり……」
再び沢辺氏が恐る恐ると言った様子で訊ねてきたが、
俺は「いや、まぁ」と曖昧に答えるだけに留めた。
風邪をひいていては調査がおざなりになるのでは、
というような要らぬ不信感を抱かれたくなかったからだ。
「で、沢辺さん、話を元に戻しますが……」
俺は努めて平常時の声色を造り、
それで喋るよう努力した。
自分では自然に造れたとは思うが、
相手にどう聞こえていたかはわからない。
氏は少しばかり戸惑うような素振りをみせたものの、
特にそれ以上は俺の体調について言及することはなく、
とつとつとではあるが話の続きを語り始めた。
昨日ここを去ってから強い手の震えが断続的にやってくること。
絵が描きたくて描きたくて仕方がないこと。
それらの為に昨晩は一睡も出来なかったこと。
氏の話を要約すればそういうことになる。
なるほど、手の震えは先程からも見ている通り、
そして一睡もしていないという話については、
氏の目の下にくっきりと浮かび上がっているそれが、
何よりもの証拠だった。
明らかに昨日から、
氏の身体に異常な事態が発生している、
ということは確かなことらしい。
それが何故なのか、原因はわからないが。
いや、原因はわかっている、か―。
「……頭の中の男が、騒ぎ始めたんですよ……」
沢辺氏は虚ろな目で呟くように言った。
目が虚ろなのは何も睡眠不足だけではないようだ。
「なるほど……」
俺はそう答えるしかなかった。
沢辺氏の言動が全て真実だとしても、
唯一その『頭の中に住んでいる男』に関しては、
実際に見えることではない分、未だ理解し難い思いがした。
沢辺氏は両手で頭を抱え込むと、
そのままやさしく撫で回し始めた。
まるで、その頭の中の男とやらを宥めかかるように。
それが奏功したとでも言うのだろうか、
しばらく撫で回した後に頭から離したその手には、
もう震えは全く残っていなかった。
氏はそれを確認すると、
再び大事そうに絵を持ち上げる。
また愛でる為に顔の前へと持っていくのかと思いきや、
それを前方へと突き出した。
要するに、俺の胸元へ突き付けた、というわけだ。
突然のことにそれをどうして良いかわからず、
ただ見つめる俺に向かって氏が口を開いた。
「この絵を……、
この絵を預かって頂きたいのです……」
一瞬の沈黙、そして―。
「え? 預って頂きたい……?」
俺は声を造ることも忘れ、
しゃがれたオウムのようなその声で、
そう返答するのが精一杯であった―。




