第十六話
髪は染髪こそないが、長髪。
服は薄汚れていたが、
それはそういうファッションなのか、
それとも本当に汚れているだけなのかはわからない。
まぁでも、決して綺麗とは言えない身なり、というのはだけは確かだ。
その彼、20代半ばくらいだろうその彼は、
ギターをかき鳴らし、目をつむり、悦に入った表情で、
おそらくその歌のサビの部分であろう箇所を熱唱していた。
だが、その彼の必死さとは裏腹に、
聞いているものは俺以外、他になかった。
彼はアーケード街のメイン通路からの横道、
店と店との間にあるちょっとした小道の中央に座り、
両脇の店と居並ぶようにして座り込んでいる。
道理で俺が先ほど、
通りの端から見渡した時は見えなかったわけだ。
俺は改めて通りを見渡す。
すると、少し行った先に2、3人が立ち止まっている所が見える。
なるほど、ここからではその立ち止まっている人間しか見えないが、
おそらくここと同じように、あそこにもその横道に居るのだろう。
「おじさん」
「?」
不意に呼びかけられ、
俺は虚をつかれたように、面食らって振り返る。
長髪の彼だった。
歌っている間中はそうは思わなかったが、
思いのほか愛嬌のいい顔立ちをしている。
その彼がニコニコと笑みを携えながら、
俺に話しかけてきたのだ。
だが、いくらそう愛想よく話しかけられても、
毎度のことながら『おじさん』と呼ばれることに、
未だ抵抗はある。
阿木島などが言うには「38歳が何言ってやがる」ということだが、
生憎俺には兄弟や従兄弟といったものはなく、甥や姪もいないことから、
普段からあまり(まぁおじさん違いではあるが)『おじさん』と、
呼ばれる機会が無いというのもあり、尚更なのだ。
するとその長髪の彼は、
俺のその微妙な表情から何かを読み取ったのか、
より一層パッと明るい調子で、
「ああ、すんません、お兄さんでしたね」
と言って、後ろ手に髪をバリバリと掻いた。
だが、彼のその一連の動作には嫌味のようなものは一切なく、
むしろそれをきっかけにその彼と親密になれるような、
そんな感じさえした。
もしかすると、
わざと『おじさん』と言っておいて、
『お兄さん』と言い直したのかもしれない。
ふむ、人の扱いには慣れているのかな。
さすが、ストリートミュージシャンというべきか、
その場その時での不特定多数の人間を相手にするわけだから、
愛想よくすることもさることながら、
ある種の話術的なものも身に付けておかなければならないのかもしれない。
まぁ、どちらかと言えば、ここは酔客も多く通る。
というより、この時間帯は酔客が大半だ。
時には泥酔したそんな人間をも相手にしなければならないわけだから、
自然と愛想もよくなり、話術も身に付くのかもしれない。
「お兄さん、何かリクエストある?」
ただの泥酔した客が絡んできたのではないと判断したらしく、
長髪の彼は再び気さくに話しかけてきた。
「え、ああ…、リクエストね」
あまり音楽番組などを見ない俺は一瞬どぎまぎとしてしまったが、
咄嗟に今週読んだ週刊誌のことを思い出し、
そこに採り上げられていた某アイドルグループの名を挙げる。
「ああ、だったら、この曲しかできないけど、どうかな」
と言って、静かに歌いだした。
バラード調の歌だったが、
もちろん俺の知らない歌だった。
だが、リクエストした手前、
とりあえずは聞いているふりをした。
だがその彼、素人判断ではあるが、歌は上手いようであった。
歌が終わるやいなや、自発的に拍手をしていた俺。
どうやらいつの間にか聞きほれてしまっていたようだ。
俺は早速、懐に手を突っ込むと財布を取り出し、
札を1枚抜き取ろうとしたが、そこで手が止まった。
「お金はいいよ」
と言う長髪の彼の言葉通り、
金を投げ込む為の缶や、フタの開いたギターケースなどといったものが、
見当らなかったからだ。
「大道芸じゃないからね、あくまで趣味みたいなもんかな、
聞いてもらうだけでいいんだよ」
長髪の彼はそう言って、少し照れたような顔つきになった。
殊勝なことというか、欲が無いというか、
まぁ、普段はこういう人種の前で足を止めない為、
あまり事情はよく知らないのだが、
ストリートミュージシャンというものは、
案外こういうものなのかもしれない。
だが、そうやって趣味でやり続けていく内に、
いずれは人だかりができるほど評判となり、
やがてはどこかのレコード会社の人間の目に留まる…。
趣味が実益を兼ねるそんな瞬間を、
ひょっとしたらこの彼も思い描いているのかもしれない。
へへへと笑い続ける一見純朴そうにも見えるその彼を見ながら、
俺は何となくそんなことを考えた。
「あっ、そうだ、そういえばあの曲もできるよ」
彼は突然ひらめいたらしく、再び歌いだそうとしたが、
「おっと、ちょっとその前に、聞きたいことがあるんだけど…」
と言って、俺はそれを制した。
首をかしげ、何でしょう?という感じに、きょとんと俺を見上げる彼。
そうだ、露店だ。
話が多少脱線してしまったが、
俺は本来の目的を思い出すと、
まずはこの彼にその露店について聞いてみることにした。




