第十四話
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雨が降っていた。
いつから降り出したのかはわからない。
しかし、路面は全て雨に濡れ、
ところどころに水溜りが出来ている。
「ありゃ!雨だとぉ~!
くそっ!また町川にだまされたぜ!」
「町川?」
「ああ、町川。気象予報士。
テレビで天気予報やってるやつだよ…」
そう言うと阿木島は、
やりどころのない怒りをどうすべきかと、
何やらブツブツと呻きながら恨めしげに天を仰ぐ。
おそらく、阿木島とその町川という気象予報士とは、
テレビで一方的に知っているだけで、全く面識がないのだろう。
だが、まるで知り合いであるかのように言う阿木島が何やらおかしく、
俺は思わず笑ってしまった。
それをキッと睨み返すようにして、阿木島が言う。
「へっ!なに笑ってやがる。
お前だって傘持ってきてねぇじゃねぇか」
「まぁ、確かに…」
俺は笑うのを止め、阿木島と同じく天を仰ぎ見た。
雨粒が数滴、目に入る。
そういえば近頃は、
昔ほど酸性雨がどうのこうのとは聞かれなくなったが、
果たして今はどうなのだろうか。
入った雨粒は、少し目に沁みたように思えた。
俺は雨を避ける為に一歩後ろへと下がると、
今出てきた飲み屋の庇の下に入る。
時刻は23時を回っていた。
時刻のせいか、それとも雨のせいか、
飲み屋街であるはずのこの辺りでさえも、
もう人の通りはまばらだった。
あれから、2件ばかり梯子酒をした。
昼間からの何やらモヤモヤとした俺の心の中も、
少しは晴れたように思う。
仕上げとして、
この雨が全てを洗い流してくれればいいのだが…。
まぁ、そうはいくまい。
「さて…」
俺は同じく庇の下に身を寄せていた阿木島へと向き直ると、
「それじゃ、これで…」と言いかけて、思わず言葉を飲み込んだ。
何故ならそこには、
先ほどまでの馬鹿話をしていた阿木島とはまるで別人のような、
神妙な面持ちの阿木島がいたからだった。
その表情からは、まるですっかり酒も抜けて、
素面であるかのようにさえ見えた。
阿木島はそんな様子で、そぼ降る雨を見つめながら、
何かを思い詰めたように、じっと佇んでいる。
俺は少し驚いてしまった。
あの厚顔無恥であり、なおかつ豪胆であり、
悩み事など一切無い、というような阿木島が、
よもやこのような表情をするとは、思いもしなかったからである。
俺は一瞬「悪酔いしたか?」と、
茶化そうかとも思ったが、それは出来なかった。
例え阿木島であっても、その様に思い悩むことはあるのだ。
それに、酒で一時的に忘れようとしていただけで、
俺の心の奥底も、今の阿木島とそう変わらないのではないか。
そう、俺も同じ…。
その後、店から新たに出てきた他の客に押し出されるように、
俺たち二人は雨の中へとはじき出されると、
別れの挨拶もそこそこに、お互い駆け出していた。
俺はしばらく駆けた後、
一旦雨宿りをするべく、
シャッターを下ろした店の軒先へと駆け込む。
雨は少し小降りになったようだが、
やはりまだ傘が無いと辛い。
俺はしばらくそこで雨宿りをしながら、
ぼんやりと今日一日のことを思い返してみる。
まず、昼過ぎに事件現場に遭遇。
その後、沢辺氏が来訪、依頼を引き受ける。
そして、また事件現場…。
そこまで思い返して俺は鬱になった。
2度も凄惨な事件現場を見たからだろうか、いや、そうじゃない。
やはり、沢辺氏だ。
結局、阿木島には沢辺氏の件は話せずじまいだった。
俺が話すその前に、
阿木島自身が門前払いをした時の話をされたから、
というのもあるが、それだけが理由じゃない。
俺が実際に見てしまった『絵が動いた』という現象を、
どう説明すべきか迷ったからだ。
トリックか、はたまた本当のことなのか…。
沢辺氏の言葉が蘇る。
『その露店商にもう一度会って、絵の由来を確かめたいのです。
そうすれば、この奇怪な現象を止める手段がわかるかもしれません…』
これだけを聞けば、あたかも本当のようにも思える。
それに実際、俺も見てしまったのだから…。
俺は背筋をブルリと振るわせた。
冷えてきた。
トレンチコートの襟を寄せてから、一度空を仰ぎ見る。
しかし、こうも考えられないだろうか。
沢辺氏がわざとトリック仕立てにして、
俺を躍起にさせようと発破を掛けているのだと。
なぜそこまでして発破を掛ける必要があるのかはさてとしても、
そのように考えることは出来るはずだ。
そうなのだ。
俺が今回この依頼を引き受けた理由は、
その考えに依るところが大きい。
何としても沢辺氏に、
俺が見たものはトリックだと認めさせたい。
そして一刻も早く、未だ心の奥底に渦巻いている、
あの絵の『笑い顔』を払拭したい…。
『笑い顔』―。
俺はそう思い至ると、やもたても堪らなくなり、
降りしきる雨の中へと飛び出していた。
もちろんその行き先というのは、
露天商があったという、例のアーケード街である。




