第十三話
今から2ヶ月ほど前、
残業で帰りが遅くなったその日、
時刻は0時近く。
会社から駅までの道を、
終電に飛び乗るため早足で歩いていると、
その露店はあったという。
商店街のアーケード街。
その日の営業を終了して、
シャッターを閉めたとある店の前で。
「思わず、足を止めてしまいました。
そう、呼ばれたんですね…絵に。
気付いたら、買っていました」
沢辺氏は宙を見つめると、ふふふと微笑する。
またか。
俺はちょっとげんなりした。
だが、まぁその『露店』だ。
実のところ未だ俺は、
沢辺氏に「からかわれている」だけなのか、
それともこれまでの話、出来事は全て本当のことなのか、
判断しかねている。
しかし今は一旦、みな忘れることにした。
それら全ての疑問は、
その『露店』を探し出せば全て解ける気がしたからだ。
俺は沢辺氏の依頼を引き受けることにした―。
― 3 ―
ICレコーダーの再生スイッチを切った。
2回目の再生だった。
気付けば部屋は薄暗くなり始めている。
晩夏、初秋は、その区別がないかのように早足で移りゆく。
「もう10月か…」
意味もなくそう呟くと、
俺は席を立ち、全ての窓のブラインドを引き下ろす。
そして、部屋の明かりを点けた。
鈍い明かりだ。
その交換時期をとっくに過ぎたであろう蛍光灯は、
白というより、灰色を含んだくすんだ色である。
俺はその灰色の中で手帳を繰った。
さて、どこから手を付けるか。
その露店、沢辺氏が絵を購入した次の日には、
もう姿を消していたらしい。
しかし、考えてみれば雲を掴むような話かもしれない。
この近くを転々としているタイプならばいいが、
全国を渡り歩いている、というようなタイプの露店なら、
相当骨が折れる。
だが、やらねばなるまい。
まずは、かつてその露店があったという場所に、
行ってみることにした。
最近、朝晩は冷える。
俺は事務室のテーブルの上に無造作につくねて置いていた、
薄手のトレンチコートを手に取ると、
部屋の明かりを消した。
ブラインドを閉めていたせいか、
明るさに目が慣れていたこともあり、
部屋は真っ暗になった。
その時、ふと、沢辺氏がメモ用紙に描いた、
あの『絵』のことが思い出された。
それは事務室の引き出しに入れてある。
俺は当然のことのように、
背筋がゾクゾクとする思いがした。
自然、早足で部屋を逃げるように出てしまう。
部屋を出て、ドアの鍵をかけながら俺は、
諧謔気味に笑い、こうつぶやく。
「やれやれ、何をやってるんだか…」
俺は階段を下り、ビルを出た。
腕時計を見る。
18時前。
その露店があったというアーケード街は、
ここからだと歩いて30分というところか。
経費で落とせるのでタクシーでも良かった。
だが、今は歩きながら色々と考えたい気分だ。
俺は迷わず徒歩を選んだ。
そして、それほど歩かない内に声をかけられた。
阿木島だった。
「よおどうした?顔が怖いぜ。
何やら難事件でも調査中か?」
そう言うと、ヒヒヒと笑い、俺の肩をバシバシと叩いた。
だが、すぐ真顔になってこう続ける。
「ま、それはさておきだ。
『また』あったらしいぜ…、この先だ、行ってみるか?」
そう言うと、俺の返答をまたず、
道を折れ、狭い路地へと入っていった。
有無を言わせないところが、阿木島だ。
先を急ぎたい気持ちもあったが、
とりあえず、阿木島の後について行くことにした。
薄暗く、薄汚い、ビルの谷間を歩く。
しばらくして、ようやく視界が開ける。
野次馬。
そしてその隙間から垣間見える黄色いテープ。
一緒だ。
俺はまた昼間と同じく、軽いめまいを覚えた。
から足を踏むように、その場でよろけてしまう。
それを目ざとく見つけた阿木島は、
「どうした?老いたのか?」
と言ってけけけと笑った。
俺は若干ムッとすると、
阿木島を無視し、野次馬に紛れた。
現場では、ちょうど運び出されるところだった。
それを見た野次馬どもが無責任にも口々に言う。
「ああ~、ありゃ死んでるっぺ」
「毛布かけられちまってるだ~」
「こりゃ~酒の飲みなおしだっぺな!!」
俺はぎょっとして横を見た。
そこには方言から、東北からの観光客らしき老人3人組がいた。
何も、観光に着てまでこんなものを見ることはないのにな。
そう思うと俺は、何だかやりきれなくなってきた。
「こりゃ~酒の飲みなおしだっぺな!保本の奢りで!!」
俺はまたもぎょっとして、今度は左を見た。
そこには悪びれもせずニタニタ笑う阿木島が。
「お前な…」
「まぁまぁ…。でも、多いぜ。
先月からのと、そして今日の昼のとを合わせたら、もう4人目だ」
そう言うと阿木島は、
どこで飲むだの何を食べるだのと、
談笑しながら去ってゆく老人3人組を目で見送っている。
「巷でも最近、このニュースで引っ切り無しだからな。
それに、今日の昼、そして今だろ、そりゃ尚更だな」
そうだった。
先月からのを合わせれば、この界隈だけで4人が、ということになる。
世間からの注目度を考えれば、
観光客ですら野次馬になっていたとしてもおかしくはないのかもしれない。
でもな…。
俺は天を仰いだ。
昼間から空に横たわる雲は未だそこに厚く垂れ込め、
繁華街の明かりを受けオレンジ色に染まっていた。
「…飲むか」
「え?」
「飲みたい気分だ」
「…そうか!奢ってくれるか!」
奢るとまでは言ってなかったが、
無邪気に喜ぶ阿木島を見ていると、何だか反論できなくなった。
今はこの阿木島の馬鹿話でも聞いて、
一時でも現実を忘れたい気分だったからだ。
まぁ、駄賃だな。
俺はそう思うと阿木島を連れて、
繁華街へと歩き始めた―。




