二十二話・二十三話
(二十二)
手紙の文章を確認した沖村は、すかさず会長に連絡をする。
「会長、飯島恋の件ですが、状況は自分たちが思っていたより、ひどいことになっているようです・・・」
「どういうことだい?」
「柔道部の不良グループが恋の下駄箱に手紙を入れていったのですが、内容が自殺を促すような内容なんです。どうしますか?」
「それは、時間の指定とかしてあるのかい?」
「はい、場所も時間も書いてあります。今夜、十時に佐々木公園に来いと書いてあります」
「ふむ・・・」
会長の田沼は少し時間をおいて、
「これは、大変な事になったけど、恋君を助ける機会でもあるかもしれないね。とりあえず、手紙の写真を撮ったら手紙を戻しておいてくれるかい。僕も生徒会室に行くところだから集合してこれからの事を決めよう」
「わかりました」
沖村は携帯で手紙の写真を撮ると、手紙を下駄箱に戻して生徒会室に向かった。
部屋に付くと、会長と妹の田沼三春が沖村の到着を待っていた。
「会長、近藤は?」
「とりあえず、手紙の写しを見せてくれないかい?」
「あ、はい」
沖村が、どうしたのだろうという顔をしながら席に付くと、興三郎は無言で携帯電話を覗き込む。
しばらく画面の文章を睨んだ興三郎は、携帯を沖村に返すと話し出した。
「酷いものだね。事は一刻を争うみたいだ・・・」
沖村が携帯を操作しながら、
「近藤を呼びますね」
と聞くと、
「沖村君、今回、近藤君は呼ばないことにする」
会長は沖村の手を止めさせる。
沖村が慌てながら携帯の通話停止ボタンを押すと、
「なぜですか?」
と、聞き返す。
「沖村君も近藤君の気持はうすうす感じているだろう。心の熱い近藤君の事だから、こんな手紙が恋君に届いたのを知ったら感情を抑えることができなくなると思うんだ。もし出来ることならば、近藤君には伝えないで、僕達だけで事を処理できればと思うんだよ」
「でも・・・」と沖村は近藤の気持ちを思い会長に食い下がろうとするが、会長の真っ直ぐな視線が沖村に「・・・わかりました」と言わせていた。
「沖村君、ありがとう。早速だけど、今夜のことについて作戦を立てたいと思う・・・」
一方。
生徒会室で会長達が作戦を立て始めた頃、近藤一は飯島恋の部活での様子を監視していた。
恋は朝の笑顔のままマネージャーの仕事をこなしていた。
近藤は、信じられなかった。
ここ最近、恋を見続けてきた近藤である。沖村が集めて来た情報は、恋の顔を曇らせるのに十分な内容だったし、そうなればいち早く何か手を打たなくてはならないと、日に日に近藤は思いを募らせていたのだ。
それが今日は今までが全て嘘だったかのような恋である。
この変わりようは心配であったが、しかし、近藤は嬉しかった。
もし明日、近藤が一緒に登校する時に曇った顔の恋に戻っていても、今日の笑顔は恋が壊れていないということの証だからだった。
近藤は気を抜くことはできない、と思う。
(俺が恋のわだかまりを取らなきゃ、誰がとるんだ・・・)
目の前で生き生きと仕事をこなす恋を近藤は病人なのだと思い込むことにする。
そうすれば、昨日までの緊張感を切らすことが無いだろうと思うのだった。
その後、近藤は恋の監視を続けて恋が家に入るまで見送ると、はす向かいの自分の家に帰り、手早く夕飯を済ませ二階の自分の部屋から音楽を聴きながら恋の家を眺める。
恋の様子が変になってからずっと続けていることで、自分の部屋で過ごしているとき、気が付いたら恋の部屋の様子を見るようにしていて、部屋の電気が消えるまで見守ることにしていた。
だが今日の近藤は、これまでのように緊張感を持とうと決めてはいても昔の笑顔を見たことで心のどこかでは安心していたようで、意図せずいつの間にか眠ってしまっていた。
近藤はふと眼を覚ます。
寝てしまっていた焦りから、近藤は慌てて恋の部屋の様子を見る。
部屋の電気は消えていた。
近藤は胸を撫で下ろして、乗り出していた体を元に戻す。
(疲れていたのかな・・・)
寝てしまっていた事に後悔しながらぼーっと恋の部屋を眺めていると、恋の家の柵が開く音がした。
近藤はすかさずに向かいの道路に目を向ける。
そこには、足取りがおぼつかない姿の恋がいた。
見るからに様子がおかしかった。
一点を見つめて力なくふらふらと歩いて行く恋を、近藤は反射的に追っていた。
付かず離れず近藤は恋の後を付ける。
驚くことに、ふらふらと歩く恋だが行く場所は決まっているらしく曲がり角などは迷いなく歩いて行く。
それを見て近藤は話しかけずに後を追うことにした。
すると、恋は学校近くの佐々木公園に入って行く。
公園の道から外れ茂みにふらふらと入って行くと、何かに目線を固定させてしばらく佇む。
目線の先にはビールケースがあり、吸い寄せられるようにそれに乗ると何かを手に取る。
近藤はそれが木から垂れ下がるロープだと分かると、身体が勝手に恋に向けて動き出していた。
(二十三)
間山和仁、田沼興三郎、田沼三春の三人は茂みの中でビデオカメラの小型モニターを覗き込んでいた。
このモニターには不良たちが用意した台とロープを含む周辺が撮られた映像が映し出されていて、同時に録画もしていた。
一秒、また一秒と時間が流れるのを長く感じながら三人は映像に食いついていた。
会長達が考えた今夜の作戦はこうだ。
まず、危険ではあるがロープに恋が吊られるまで待つ。それを近くで隠れている沖村が助ける。人気のない公園である、おそらく血の気の多い不良たちは沖村を襲ってくるはずである。その映像を抑えたら、三春が警察を呼び映像を撮ったテープを公園から持ち出すのと同時にダミーのカメラを持った会長が不良たちに“今の映像を警察に持ち込まれたくなかったら飯島恋のいじめをやめろ”と交渉を持ちかける。そうこうしているうちに近くにある交番から警察官が来て不良たちは散り散りに逃げ、それに乗じて会長達も逃げるという作戦だった。もし恋を助けた段階で不良達が襲って来なくても、手紙や公園に用意されたロープなどで今の恋の置かれている環境を変えるのには十分な証拠だろう。
生徒会が恋を引き入れて守っていこうということにした。
これが会長達の考えた、いちばん平和的だろうと思う解決方法だった。
「お兄ちゃんは、優しすぎるのよ」
佐々木公園に三人で向かっている時に、興三郎が和仁に作戦の内容を話し終わるのを見計らって三春が呟く。三春は生徒会室で作戦を立てている時から、興三郎の“警察は利用するが、犯人たちを突き出したくない”という方針に納得がいっていなかった。
「確かに情報を聞く限りやつらは酷いことを恋君にしているよ。でもどんなに酷い事をしていても可能な限り前科者になってほしくないんだよ。もちろん無理な場合はあるだろうけど、それでも前科者になってしまったら彼らの人生に大きな障害が生まれてしまうんだ。僕は、人は変われると信じているんだよ」
三春は、ふんと鼻を鳴らして押し黙る。納得はしてないが会長がそういう方針なら従う三春である。
その様子を見て興三郎は苦い顔をして頭をかくのだった。
会長と三春のやり取りを見ながら、和仁は色々な感情が心に沸き起こっていた。
まず衝撃だったのは、会長たちは恋の事はもちろん、恋をいじめている人間の事も考えて作戦を立てていることだ。
電話で会長に呼び出されたときに聞いた説明で和仁は、いじめをしている連中との交渉の場でいじめグループが暴力を振るうようであれば自分が止めに入るのだろう、と漠然と考えていた。しかし、詳しい経緯と計画を聞いて和仁は、会長たちの行動力、計画性が想像をはるかに超えている事に驚き、こういう状況でビデオ撮影を思い付く会長たちに違う世界で生きている人たちのような感覚になる。
そして、衝撃が過ぎていくと和仁の頭の中は、
自分は何をしたらいいのか?
何が起きたら自分は動くのか?
会長の指示を待つのか?
自分の武術はどんな場面で必要なのか?
こんなような言葉で一杯になり、いつ公園に入ったのか、いつ茂みの中のモニターの前へ来たか自覚することが出来ないほどだ。
田沼三春は時計とモニターを交互に見ながら、
「もうそろそろ来るはずね・・・」
と緊張した様子で呟く。
それを聞いた和仁は、ハッと我に返り、見るともなく見ていたモニターに意識を向けた。
そこに、いつ現れたか一瞬分らなくなるような、幽霊のように力なのない立ち姿の飯島恋が現れていた。
恋はしばらくその場に佇むと吊るされているロープに進んで行く。
用意されている台に恋が足を掛けたところで、
「沖村君に恋君が首にロープを掛ける前に助けると言っておくのだった・・・」
と、会長は目の前に迫った、人が首を吊るという行為の認識が甘かった事を後悔する言葉を口にする。
固唾を飲みながらモニターの中の恋に注目する三人は、台に登ったまま誰かに話しかける恋を見て沖村が来たのだと思い安心する。
しかし次の瞬間、台の上の恋を草の地面に押し倒したのは沖村ではなく近藤一だった。
そこから三人は映画でも見ているような感覚に陥る。
草の上に倒れた近藤と恋を不良たちが囲み、近藤と不良グループのリーダーだと思われる男が言葉を交わすと、近藤は背負い投げで地面に叩きつけられた。
近藤の投げられ方が衝撃的だったのか三春は無意識のうちに片手で口を押さえていた。
「あの不良たちのリーダー、二年の広田力だ。なぜ柔道部の実力者がここに?」
興三郎は映っているはずのない人間をモニターの中に見つけ、心に驚きと焦りが生まれる。
「和仁君、まずい事になったよ。高校柔道の全国ランク30位の人間と戦ったら、和仁君は勝つ自信があるかい?」
と、和仁に震えた声で興三郎が聞く。
しかし和仁の耳には会長の言葉が届いていなかった。
(あの落とされ方は気絶していてもおかしくないぞ・・・あの状態で蹴られでもしたら近藤君が死んでしまうかもしれない。今すぐ行くべきか・・・どうする・・・)
和仁の心はこの事で一杯だった。道場で門弟が受け身を失敗して危険な状態になるのを見て来ている和仁は三人の中でこの状況を一番重く受け止めていた。
「和仁・・・くん?」
画面から顔を離さず反応のない和仁に会長の興三郎は声を掛けるが、反応がない。
興三郎は和仁に気付いてもらう為に和仁の体に手を伸ばそうとするが、和仁は“あ”と小さく声を上げ、 立ちあがるとわき目も振れずモニターに映る現場へ走り出す。
モニターの中では不良たちが倒れている近藤を足で小突き始めていた。