化け物になる方法⑤
嫌な予感はしていた。
懐かしい道。景色。見覚えのあるそこは、ノイズの育った孤児院。子供達の楽しげな声が酷く不愉快で、ノイズは発狂しそうな脳内を、拳を握りしめて耐える。
「子供の死体でも見たいのか?」
「そんなことはさせないと言っただろ」
目の前が赤く染まる。
何故ブラッドはノイズを拘束しない?
信用しているのか。だとしたらそれは間違いだ。ノイズが我慢をやめるだけで、ここは血の海になる。
ふっ、と力を抜いた瞬間。ブラッドがノイズの手首を掴んだ。そしてそのまま腕を引いて、孤児院の門を開けた。
庭で遊んでいた子供達が物珍しそうに集まってくる。
子供は、こんなに小さく、脆そうなものだったか。
「ねえねえ、お兄ちゃんだれ」
「ブラッドおじちゃんの友達?」
「ああ、シスターを呼んできてくれるか?」
子供と視線を合わせながら、ブラッドは柔らかく言った。子供達は元気よく返事をすると、院内に駆けて行く。そんな様子をぼんやりと眺めていると、シスターと思しき女性が現れた。
老齢の女性。
随分と皺が刻まれた顔。
だが、その目は真っ直ぐで、優しげに輝いていた。
綺麗だ。
見惚れて、そんなことを思った。
シスターがほほ笑む。
「……会えて嬉しいわ」
彼女の目が輝いていた理由は、瞳に水の膜ができていたからだ。声は優しく耳に馴染み、ゆっくりと瞬きをした目が、一雫の涙がこぼれ落ちる。
「ノイズ、」
彼女に、名前を呼ばれ、既視感が生まれる。
得体の知れない何かが、ふつふつとノイズの心に湧き上がる。だめだ、これを思い出してはいけないと頭に警鐘が鳴る。
「…やっぱり、分からないのかしら。この顔じゃあしかたないわね」
その悲しそうな顔が。笑顔よりも、その顔が、脳に焼き付いて離れない。最後に見せてくれた、その悲しみの表情が。
一度、全てを投げ捨ててまで守った、大切な人。
ぐわり、と昏いなにかがノイズを襲う。
この女を殺せば、全てが終わり、終わりが始まる。
ノイズの最後の理性が、弾け飛ぶ。
「…………ロ、ゼ」
「会いたかったわ、ノイズ」
彼女が両腕を広げて近寄ってくる。
ノイズの中の化け物は囁いた。さぁ殺せ。
「ノイズ……本当に、変わらないのね……」
変わりはしない。
変われたら苦労はしなかった。
何故あの時、この女を生かしてしまったのだろう。生きていたところで、こんなに老いて、どうせ死ぬくせに。
最初から、この女を殺していれば良かった。そうすればノイズは今頃化け物だ。誰からも受け入れられず、誰も信じず、永遠だけを受け入れられたかもしれないのに。こんなに苦しまずに済んだのに。
『お前の望みは、本当にそうなのか?』
当たり前だ。
もううんざりだ。置いて行かれたくない。終わりの来ない人生だからこそ、ピリオドが欲しくてたまらない。
ノイズとロゼッタの距離が縮まる。それを、ブラッドが制した。ノイズから、ロゼッタに向けられた殺気が、凄まじいものだったからだ。
しかし、彼女はその殺意を真正面から受け止めて尚、ノイズに手を伸ばす。
死にたいなら、殺してやる。
ノイズは奥歯を噛み締めた。ギチギチと歯が擦れあう。握り絞めた手のひらは、爪が食いこんで皮膚を破る。
唇からフーっと獣の様に呼吸が漏れた。
自分が自分ではなくなっていく感覚。熱くなった体中で沸騰した血液が巡り、細胞を書き換えようとしているのが分かる。
このまま、本能に身を委ねて眠りたい。
意識を投げ出そうとしたノイズの手を、ひんやりと温度のある手が包む。
「あなたに、ずっと謝りたかったの」
ブラッドを押しのけて、ノイズの手を巻き込みながら、胸の前で祈るように手を合わせる。
その手の温度が、手を通じて頭を冷やす。
脱力した手は、ぴくりとも動かすことができない
。
殺したいのか、ただ握り返したいのか、分からない。
変わり果てた、皺もぐれの手と、あの頃から何一つ変わらない自分の手。時間の差が、ノイズの心を打ちのめす。
「あの時、あなたを愛せなかった私を、恨んでるわよね?」
当然だ。その癖、一緒に死んでもくれなかった。死なせてくれなかった。置いて行こうとした。
「ごめんなさい」
ずっと謝りたかっただと。なら、そのまま死なせてやれば良かった。罪悪感と、後悔に呑まれながら、苦しんで死ねばよかったのに。
ずるいだろう。
お前だけ謝って満足か。
今までのうのうと生きてきたお前が!
「……」
言いたいことは、沢山あるのに。
「ノイズ、……私を生かしてくれて、」
本当は、先に老いて行く彼女を受け入れなかったのは、ノイズの方だったのかもしれない。
あの時間違ったのは。
「ありがとう」
自分が置いて行かれたくなかったから、ノイズは彼女を生かしただけだった。
彼女のためなんかじゃない。
「あなたの幸せを、願っているわ」
添えられただけだった手のひらを握りしめて、彼女の額に当てられる。ひんやりと細い、ゆっくりと死に近づきながらも、生きている手。
「……酷いよ、ロゼ。君にそんな風に言われたら」
全部許せてしまう。
いや、違う。本当は怒って等いない。
会いたかった。触れたかった。こうやっていつもみたいに話をして、許して、許されて。
一緒に生きていくはずだった。
「疲れたよ、」
幸せになれるものなら、なりたい。
だけど、もうロゼッタには時間が無い。ノイズを幸せに出来るのは、彼女だけだった。
それに、絶望を知ってしまった。
永遠を、一人で生きていくという絶望。
また運命に耐えかねて、破壊衝動を抑えられなくなったら?こうやってあやしてくれる愛する人はもういない。
もう、普通に人を愛することなんてできない。
「大丈夫よ。大丈夫」
ロゼがノイズを抱きしめた。
嘘つき。なにが大丈夫なんだ。
だけど、なんでこんなにも安心するのか、もう分からない。
また、枯れたはずの涙が零れる。すぐに止まっては、また零れる。
ただ、これだけは分かる。
ノイズは、本当の化け物になり損ねてしまったのだと。




