序の終——観測者は待ち望む——
「此れで締め括り。そう思ったか?」
ぬるりと。
水面に浮かんだ油のように、音もなく、揺らぎながら、それは真正面に現れた。
ビー玉のようでもなく、タイヤのようでもない。はたまた真珠のようでもない曖昧なそれは、何の根拠もなく瞳であると確信してしまう。
深淵にも似た、酷く、真っ黒な、双眸がこちらを見ている。
その双眸の持ち主は、非常に曖昧な輪郭で、幼児の描く絵のような解像度であるが、しかし、よくよく観察すると、架空の神獣とされる、麒麟のように見えなくもないだろう。
「無論、そう見受けられる展開であったことは否定すまい。序章の結びであったかと問われれば、是である」
「しかし、あえて問おう。異なる次元より観測する閲覧者達よ」
「此れは序章である。資格有りし者が秩序を蹂躙せし、混迷の叙事の黎明の刻である」
「其れを観測せし群衆よ。資格者の命運をどう見遣る」
「……既に、破壊は成された。彼の者が興した結末は、資格者により混沌に呑まれ、移ろい始めている」
「黙然の聖女は、自らを呪わず進むようだ」
「黒の副官が、闘争の火種を切ることもなかろう」
「災害墜の英雄は、展望を目にするらしい」
「狂乱の獣が、狂い方を違える」
「白血の従士は、執心を見せる」
「何ともはや……非常に僥倖ではないか」
ふと、それが頭上へ視線を動かす。
その動きに呼応したのか、はたまたそうなることを知っていたのか、視点は、それを真上から捉えるように変化する。
そして深淵は、変わらず真正面からこちらを凝望する。
「序文の間に、これ程の前途を揺るがす様、誠愉悦也」
「非常に申し分ない逸材であった」
揺蕩うように闇夜に佇むその生き物は、ゆらゆらと揺れるように喜色を露わにした。
「資格者の今後の行く末を観測する事を、我は待望している」
不意に、その生き物の姿が忽然と消える。霞のように、霧散して消えたのだ。
「ふむ……もしや、それもヴェルディエータの計らいやもしれぬ……か」
しかし、何処となくその声は変わらずに響く。
発生源の分からないその語らいは、確かに続いているのだ。
「其れを踏まえると……蹂躙の申し子や雷槌の悪魔の命運もまた、移ろうのであろう」
「閲覧者らよ」
その声と同時に、またもや唐突に、その生き物は目の前に姿を表した。
この視点の更に奥を覗くように、ただ只管に前を見つめながら、その先の誰かに語り掛ける。
「我とは似て非なる観測をせし者共よ」
「我と志を共にすると云うのならば、先に進むが良い」
「我が真名——ドゥウルル=グラッヴァ=バルパル=クレィクラ=フォルティッシオ=ルベルクシム=ピカソの名において保証しよう」
「序章の先にある、具体稀なる混沌の充満を」
「果たして……その先は、我を愉しませる未来へと導くのであろうか」
そう発言をした謎の生き物は、街のとある箇所へ視線を向けた後、夜の静寂へと溶けていった。
それが消える直後に向けた視線の先には——酷くボロボロな身なりの少年が居た。
顔中痣だらけの少年が、瞳に涙を溜めながら、暗闇の中、歯を食いしばりながら、黙々と短剣を振るっていた——。




