第2話 宝の地図
沈家の広間・昼陽の光が差し込むのどかな居間。
秋月が、行商人から手に入れた古い和紙を机に広げて、じっと見つめながら顎に手を当てている。その隣で、明蘭が待ちきれない様子で足を踏み鳴らしている。
「ねえ、これってどういう意味なんじゃろうか? この墨の擦れ方、最近書かれたもんじゃないよね……?」
「どれどれ、見せてみんさいや!……『市場の東、三番目の柳。根元に眠るは青き月』? わあ、これ絶対に宝物の隠し場所じゃん! そうに決まっとるよん!」
「うーん、でもただのいたずら書きかもしれんよ? なんで行商のおじさんがくれたんかねぇ……」
そこへ、お茶の載ったお盆を持った沈母が、トコトコと入ってくる。
「お茶持ってきたけぇね。二人とも、落ち着いて話しんさいや」
「あ、おばちゃん! これ、これ見てよ、宝の地図を貰ったけぇ!」
沈母は優しく笑いながら、仕事机で書物を読んでいた沈父の前にお茶を置く。沈父は筆を置き、腕を組んで娘たちが騒ぐ和紙をじっと睨む。
「まずは事実を確かめる。それが大人の務めじゃ」
沈父は下級役人ではあるが、「これからは女子も学問や教養として琴棋書画が必要だ」という先進的な考えを持っている。
「う……。つまり、勝手に宝探しって決めつけん方がええってことなん?」
「ほうじゃ。出所もわからん文字に惑わされるんじゃない。まずはその紙がなんなんか、筋道を立てて考えんさい」
「ふふ、お父さん、そんなに堅いこと言わんでもええじゃない。……でも秋月、明蘭ちゃん。まずはこの街の歴史に詳しい人に、その紙を見てもらうのが一番の近道かもしれんねぇ」
「歴史……あ! 老師じゃん!」
「そういえば、老師の書塾には古い本がたくさんあったよね。何か知っとるじゃろうか……」
明蘭は、秋月の腕をガシッと掴んだ。
「そんなの放っておけんじゃない! 今すぐ一緒に行こうや!」
「わわっ、ちょっと待ちんさいや明蘭! まだお茶も飲んどらんのんよ!?」
明蘭に手を引かれ、秋月はよろけながらドタバタと沈家を飛び出していく。
「あらあら、本当におてんばな二人じゃねぇ」
沈父はため息をつきつつ、お茶をすする。
「……やれやれ、困ったもんじゃ」
王老師の書塾、古い書物や骨董品が山積みになった第二書斎。お香の煙がゆったりと漂う中、王老師が白い髭をなでながら和紙を見つめている。
秋月は部屋の隅の古い壺を観察し、明蘭は老師の顔を覗き込んでいる。
「ほう……これは懐かしい文字じゃのぉ」
「老師、これって本当に宝物の地図なん? この紙、結構ボロボロじゃけど……」
老師は静かに微笑んだ。
「そうじゃな。古い紙は昔の声を運んでくるもんじゃ。耳を澄ませてみんさい。……これはの、宝の地図。お主たちの手で、その昔の声を蘇らせてみたらどうじゃ?」
「よし決まり! 秋月、今すぐ市場の東へ突撃しようや!」
「待って、三番目の柳って……今の市場にもまだ残っとるんかねぇ? 街並みも変わっとるじゃろうし……」
「行ってみんとわからんじゃん! ほら、走るよん!」
「ああっ、引っ張らんでってば!……あ、老師、ありがとうございました!」
勢いよく飛び出していく二人。その賑やかな背中を見送りながら、王老師は嬉しそうに、そして懐かしむように目を細めるのだった。
勢いよく書塾を飛び出したものの、明蘭は市場の東とは反対の方向へ足を向けてしまう。
「秋月、柳と言ったらあそこの茶館の裏じゃん! 川沿いに大きな柳が立っとるけぇ、絶対あそこよ!」
「えぇ? でも紙には市場の東って書いてあったよ……?」
「いいからいいから。ほら、走りんさい!」
首をかしげる秋月を引っ張り、茶館の裏手へ駆け込む明蘭。ちょうどタイミングよく通りかかった茶館の店主に
「おじさん! 柳の根元に何か埋まっとらん!?」
と身を乗り出して尋ねる。
「はあ? 柳ぁ? うちの裏の柳なら、先月枝をさっぱり払ったばかりでな。根元にゃ何も落ちとらんよ。宝探しなら市場の方へ行きんさい!」
「うそ〜! 空振りじゃん……」
「だから、市場の東って、言ったよ!」
がっくりと肩を落とす明蘭の手を引いて、二人はようやく本命の市場の東へと走った。
市場の通りに入ると、入口から一番目、二番目、三番目と柳が並んでいるのが見える。
「あった! 三番目の柳じゃ! 秋月、掘るんよ!」
明蘭はどこからか拾ってきた木の枝で、ガリガリと勢いよく柳の根元を掘り始めた。爪の中に泥を詰め、着物を泥だらけにしながら夢中で掘り返す。
「どう? 何か出た!?」
「うーん……あっ! 何か硬いものが当たったよん!」
柳の木の根元にお宝が埋まっていると信じて、小さな手で必死に土を掘り進めた。期待に目を輝かせて土の奥からようやく掘り出したのは――割れた古い湯呑みの欠片と、ただの腐った木切れだけだった。
「なんも出てこんじゃん! ただのゴミじゃん! 嘘の地図だったん!?」
泥だらけの顔でへたり込む明蘭。秋月は顎に手を当て、市場の通りと柳の並びをじっと観察する。
「……ちょっと待ってや、明蘭。うちら、市場の今の入口から数えて三番目を掘ったよね?」
「そうよ? 一、二、三って数えたじゃん!」
「でも、この市場に古い大門があったのって、あっちの川側じゃなかったっけ? 昔の人の数え方なら……古い大門側から、そう反対から数えるんじゃないん?」
「なるほど……! さすが秋月じゃん!」
念のため、近くの果物売りのおじさんにも話を聞いてみることにした。
「おじさん教えて。昔、このあたりに柳がずらっと並んどらんかった?」
「おや、沈さんちのお嬢ちゃんかい。そうだよ、昔は川沿いにずらっと並んどったが、数年前の工事でほとんど切られたんよ」
「古い大門から数えて、三番目の柳はどれ?」
「三番目の柳なら……今残っとる、あの角の古い柳がそうじゃよ」
「ほいじゃぁ、行ってみるよ! 秋月、ほら、走るよん!」
「もう、引っ張らんでってば!……あ、おじさん、ありがとうございました!」
二人は、一本だけ残っていた柳の根元を掘ってみることにした。湿った黒土をかき分けていくと、木の棒の先が何かに当たって小気味よい手応えを返す。今度こそ、ただの石や根っこではない。息を呑んで指先で泥を払うと、土の隙間から、何かが詰められた小さな竹筒が、じわりと鈍い光を帯びて姿を現した。
「あった……!」
泥だらけの手をそのままに、明蘭は目を丸くして声を上げた。
「何が入っとるんじゃろぅ……?」
隣で覗き込む秋月も、生唾を飲み込んで竹筒を見つめている。
「わくわくするねぇ、早く開けようや!」
明蘭は胸を高鳴らせながら、竹筒についた泥を夢中で払い落とした。
開けてみると、中に入っていたのは金銀財宝ではなく、珍しい外国の硬貨と半分に割れた小さな鈴だった。
「えぇ〜っ、宝物ってお金とか金の塊じゃないん!? ただの鈴じゃん!」
秋月は鈴を手に取り、じっと見つめた。
「でもこの鈴、すごく丁寧に磨いてある……それにこの硬貨、朝市で行商人さんが持っとった荷物の模様と似とらん?」
「ふっ、案外早く見つけたな」
二人が声がした方へ振り返ると、あの謎の行商人が木陰から歩み寄ってくる。
実は行商人も昔、この地方都市で育った王老師の門下生だったのだ。
遠い国へ旅立つ前、いつか立派な商人になってこの町に戻ってくるという誓いを立てて、思い出の品を柳の根元に埋めたのだった。
和紙を渡したのも、昔の自分の足跡を懐かしんで誰かに辿ってもらいたかったからだ。
「青い月というのはな、昔ここで見た川面に映る月のこと……いや、それだけじゃない。あの時に見上げた、吸い込まれそうなほど美しい夜空のことさ。少年時代の私にとって、何にも代えがたい宝物なんだよ」
青年の少し気取った言葉に、二人は顔を見合わせ、それから同時にきょとんとした。
「よぞら……? お月さまじゃなくて?」
「夜の空がお宝なんかぁ? つまみ食いもできんのに?」
少女たちのあまりに現実的で無邪気な反応に、行商人は思わず苦笑いを漏らした。
行商人は「見つけてくれた礼だ」と言って、竹籠から珍しい外国のお菓子を取り出し、二人に手渡した。
「大切な思い出を見せてくれてありがとう」
「うちもお菓子ありがとう! 大事に食べるけん!」
青年はフッと意味深に口元を歪め、二人の手元のお菓子を見つめた。
「そのお菓子はね、ただ甘いだけじゃない。一口齧れば、無くした時間が少しだけ戻ってくる不思議なお菓子さ。……次に青い月が昇る夜、二人がそれを覚えていたら、いつかまたここで会おう」
青年はそれだけ言い残すと、驚く二人を置いて、まるで最初からそこにいなかったかのように、人混みの向こうへ消えていった。
青年が雑雑とした人混みに消えていくと、二人は呆然とその場に取り残された。
「……行っちゃったねぇ」
「無くした時間が戻るって、どういうことじゃろぅ?」
「よくわからんねぇ」
秋月は手の中の珍しい外国のお菓子を見つめ、我慢できずにつまんで、小さな口でひとかじりしてみた。
その瞬間、口いっぱいに広がったのは、今まで味わったことのない濃厚な甘みと、なぜか懐かしいお家の匂いが鼻腔をくすぐるのだった。
川沿いの道を歩きながらお菓子をかじる二人。
「あの行商人さん、なんかちょっと格好良かったじゃん! うちらも大きくなったら、何か埋めてみる?」
「うふふ、いいねぇ。じゃあ明蘭のあきらめが悪いところでも埋めとく?」
「えぇ、待て〜!」「キャハハハ!」
追いかけっこになりながら、二人は沈家の温かい食卓へ戻っていくのだった。




