第8話 "Smoker" Friend
朝の空気って、肺に入る前から説教してくる。
「今日こそちゃんとしろ」って顔して、普通に刺してくる。やめろ。私は刺さり慣れてるけど、好きじゃない。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
スマホが震える。求人アプリの通知。
『本日 12:00〜 倉庫仕分け/日払い/現金手渡し』
昨日クビになったのに、同じ匂いの仕事が来る。
人生って、同じ地獄の入口を“別ルート”って書き換えて出してくる。姑息。
私は画面を見て、舌打ちした。
「……行くしかないじゃん」
行くしかない。
この言葉、人生で一番使ってる。無料だから。
1
昼前。駅の裏の集合場所。
同じ顔が並んでる。眠い顔、無の顔、生活を削ってる顔。
私はその中で、ちょっとだけ目立つ。
耳と尻尾のせいもあるし、尻尾がピンクで封印されてるせいもある。
「うわ、派手」
誰かが小声で言う。
小声って、ちゃんと刺さる。むしろ小声のほうが刺さる。刃が細いから。
私は言い返したかったけど、今日は“キレない”って決めてる。
ハルに言われたからじゃない。自分で決めた。たぶん。そういうことにしたい。
その瞬間、背後から声。
「コハク」
呼び方が雑。雑って安心する。
丁寧な呼び方は、だいたい罠。
振り返ると、いた。
髪はボサボサ。目の下はクマ。口元はニヤけてる。
手にはコンビニのコーヒーと、タバコ。
タバコの匂いが先に来た。人間より先に。
「……ミツ」
ミツ。
私の友達。たぶん。
人間の女。年は同じくらい。
ヤニカス。ガチの。
ミツは私の尻尾を見て、秒で笑った。
「なにそれ。尻尾、バカみたいな色」
私は即答。
「うるさい。百均」
「百均、世界救うね」
「救わない。私を殺す色」
ミツは火をつけた。
火をつける動きが、やけに慣れててムカつく。慣れって人を終わらせるのに、ミツはそれを“生活”にしてる。
「で、何。今日も溶けに行く途中?」
私は言う。
「違う。働く」
ミツが煙を吐く。
煙が綺麗に輪になる。綺麗なものってムカつく。だいたい役に立たないから。
「え、偉くない? コハクが働くって、世界の終わり?」
「世界終わってるのはお前の肺」
「それはそう」
ミツは笑って、私の肩を軽く叩いた。
「久々に会ったのに、相変わらず口悪いね。安心した」
安心。
友達って、こういう安心の仕方するんだよな。
“まともになれ”じゃなくて、“そのままでも死ぬな”って方向。
私は言った。
「……お前、今日なんでここにいるの」
ミツはタバコを指で挟んだまま、平然と言う。
「単発。日払い。ヤニ代」
潔すぎて腹立つ。
「ヤニ代のために生きてるの?」
「うん。あと、コンビニのアイス」
「終わってる」
「終わってる同士、仲良くしようよ」
仲良く。
その言葉、私に効く。ムカつく。
2
現場。倉庫。
番号見て、棚入れ。ピッ、ピッ。単純な音。
単純な音なのに、私の頭が勝手に変換する。
ピッ=コトン。
棚=島。
箱=玉。
やめろ。私は今、パチ屋じゃない。
でも脳がパチ屋に住んでる。引っ越しできない。家賃払ってないのに居座る。
私は歯を食いしばって作業する。
ミツは私の隣で、めちゃくちゃ雑に働いてる。
雑なのに早い。
雑なのにミスが少ない。
ムカつく才能。
休憩になって、外の喫煙所へ流れる。
人が動く方向って、だいたい欲望の方向と同じ。
ミツは当然みたいに喫煙所の中心に座った。
「コハク、火つける?」
私は即答。
「吸わない」
「え、ウソ。狐って煙好きじゃないの?」
「種族差別やめろ」
「え、じゃあ匂い嗅ぐだけ?」
「嗅がない。てかヤニ臭い」
ミツは笑って煙を吐いた。
「ヤニは“生存確認”だから」
その言い方。
水を“まだ死んでない確認”って言ってた私と同じ。
最悪。友達って鏡みたいでムカつく。
ミツが言う。
「でさ、ハルくんは? 最近一緒にいるって聞いた」
私は硬くなる。
「誰に聞いた」
「街って狭いじゃん」
狭い。
狭い街は、情報が早い。
情報が早いと、ユメカネの“見てる”が現実になる。やめろ。
私は言う。
「ハルは……ただの、うるさいやつ」
ミツがニヤってする。
「友達じゃん」
私は反射で言う。
「友達じゃない」
ミツがタバコを灰皿に押し付けて、ちょっとだけ真面目な顔をした。
「友達って言えないやつは、だいたい友達欲しいやつだよ」
刺すな。
ヤニカスのくせに刺すな。
私は言う。
「うるさい。今は友達の話じゃなくて、金の話」
ミツが頷く。
「お、来た。金。いいね。現実」
現実。
現実って言葉、嫌い。
でも嫌いなものほど、私を生かしてる。ムカつく。
ミツが言う。
「ユメカネ、まだ?」
私は息が止まる。
「……なんで知ってんの」
ミツは何でもない顔で言った。
「知ってるよ。あの“優しい顔”の営業。駅前で見た。コハクに近づいてた」
優しい顔。
その単語だけで、胃が冷える。
私は言った。
「見てたなら止めろよ」
ミツは軽く笑う。
「止められないよ。コハク、止められるとキレるじゃん」
……そう。
止められるとキレる。
キレると尻尾が揺れる。
揺れると負ける。
負けるとまた帰ってくる。
私は自分の仕様が嫌になる。
ミツは煙を吐きながら言う。
「でもさ、あれ、ガチでヤバい匂いだよ。パチ屋の店員よりヤバい」
「比較対象が終わってる」
「終わってるから分かるんだよ」
ミツはスマホを出して、私に見せた。
画面は、知らない番号からのメッセージ。
『紹介できます。興味あります』
ミツが言った。
「これ、昨日来た。たぶん同じとこ」
私は喉が鳴る。
「……お前、返したの?」
ミツは肩をすくめる。
「返してない。てか、怖いし。でも、コハクの名前っぽいの書いてあった」
心臓がうるさくなる。
うるさい心臓は、パチ屋の爆音より怖い。
爆音は機械だけど、これは現実。
私は言った。
「……私、巻き込んだ?」
ミツが即答する。
「巻き込まれた。巻き込んだじゃない。向こうが勝手に嗅ぎつけてくる」
ミツはタバコを消して、私のピンク尻尾を見た。
「コハク、尻尾揺れてる」
「実況すんな」
「実況じゃない。警報」
警報。
その言葉が、初めて“味方”っぽく聞こえた。ムカつく。
3
夕方。作業が終わる。
封筒に入った日払いが手渡される。数千円。軽い。
軽いくせに、私の明日を決める重さ。
私は封筒を握った瞬間、脳が言う。
“パチ屋行ける”
やめろ。
私は今日、行かないって決めた。
決めたことにしたい。
倉庫の外。風。
風がうまい。うまい空気は泣きたくなるから嫌い。
ミツが言う。
「帰り、どこ行く」
私は即答できない。
パチ屋って言いそうになる。
言ったら終わる。言葉って首輪になる。無料だけど、無料ほど危ない。
私は言う。
「……家」
ミツが笑う。
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘つくとき、耳がちょっと動くよ」
獣人の身体、最悪。個人情報が勝手に出る。
ミツはポケットからタバコを出した。
一本、咥えて、火をつけないまま口に入れた。
「今日はさ、パチ屋じゃなくて、喫煙所行こ。うちの近所の。屋根あって、風強くなくて、変なジジイしかいないとこ」
変なジジイ。
それ、パチ屋と変わらないじゃん。
でも“喫煙所”って言葉は、パチ屋よりちょっとだけマシに聞こえる。
脳って単純。腹立つ。
私は言った。
「……私、吸わないって言った」
ミツが言う。
「吸わなくていい。座って、ヤニ臭い話しよ」
ヤニ臭い話。
つまり、現実の話。
ミツは私の封筒を見て言った。
「それさ、月末に回す分、残しとけよ」
私は言う。
「……残せるかな」
ミツは、軽い声で言う。
「残せる。残せなかったら、今日の私が殴る」
「暴力で解決すんな」
「暴力じゃない。“外力”」
外力。
外力って、私の人生に必要かもしれない。
私はいつも自分で曲がるから。言ったのに曲がるから。
その瞬間、スマホが震える。
知らない番号。
プレビューが出る。
『今日、働いてたね。えらい。』
ユメカネの匂い。
優しい顔の文体。
私は息が浅くなる。
ミツが私のスマホを見て、眉をひそめた。
「……それ、来てんだ」
私は言う。
「見てるって言った」
ミツは、火のついてないタバコを指で回しながら言う。
「コハク。今日はさ、返信すんな」
私は言う。
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
私は言う。
「ムカつく」
ミツが頷く。
「ムカついていい。ムカついていいけど、返信はすんな。返した瞬間、向こうの勝ち」
勝ち。
また勝ちの話。
でもこれはパチの勝ちじゃない。
私はスマホを伏せて、深呼吸した。
深呼吸すると、ちょっとだけまともになる。痛いけど。
私は言った。
「……帰る。今日は帰る。ミツの喫煙所に」
ミツが笑う。
「よし。じゃあ今日の勝ち、それでいい」
勝ちが苦い。
でも苦い勝ちって、本物だってハルが言ってた。ムカつくけど。
私たちは駅前のパチ屋の看板を見ないで歩き出した。
背中で、爆音が鳴った気がした。
幻聴。最悪。
でも私は振り返らなかった。
振り返らなかった分だけ、今日はちょっとだけマシ。
ミツが隣で言った。
「コハク、尻尾、揺れてないじゃん」
私は言う。
「実況すんなって」
ミツは笑う。
「実況じゃない。……生存確認」
私は舌打ちして、ピンク尻尾を引っ張った。
「最悪」
でも、今日は溶けなかった。
ヤニ臭い友達のおかげで。ムカつくけど




