第7話 給料日と、地獄の門
初日でクビになった帰り道、ポケットの封筒が軽い。
軽い封筒って、現実を殴る拳にはならない。せいぜい頬を叩くくらい。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか方向転換できない。終わってる。
スマホの通知がまた出る。
『おつかれ。がんばってたね。』
誰。
番号知らない。
でも文体が“優しい顔”のそれ。ユメカネの匂い。
私は画面を伏せて言った。
「……見てるの、キモ」
言った瞬間、尻尾が揺れる。怒り。怖さ。どっちでもいいけど、とにかくバレる。最悪。
1
駅前。
パチ屋の看板が光ってる。光り方が「ほら、休めよ」って顔してる。
休むな。休むって言葉、ここでは“溶ける”の別名。
足が止まる。
「覗くだけ」
言った自分にムカつく。
覗くだけで済んだこと、一回もないのに。
入口の自動ドアが開く。
開き方が優しい。優しさが一番怖い。
だって、優しいのに金は取る。
店内。音。匂い。光。
脳が「はい、現実オフ」ってスイッチを切る。切るな。切ると死ぬ。切ると楽。最悪。
私は島を歩く。
目に入る機種名が、全部“自分の恥”のリストみたいでムカつく。
エヴァ。『新世紀エヴァンゲリオン〜未来への咆哮〜』。
あそこは宗教。座ってる人の顔が祈ってる。
祈りは外れるのに、祈るのをやめないの、みんな同じ。仲間じゃないけど同類。
奥に『Pフィーバー機動戦士ガンダムUC』。
爆音が戦争。勝ってる人は顔が軽い。負けてる人は肩が重い。私は両方。
海。『P大海物語4』。
海は安定とか言うけど、安定して負けるだけだろ。
でも“海の島”の人たちだけ、呼吸が一定で怖い。慣れって人を殺す。
私は言う。
「……今日は千円だけ」
封筒の中身、数千円。
全部使ったら終わる。
終わるのに、終わらせたい自分がいる。ここまで来ると自傷。
座る台を探して、結局、海の手前の空き台に腰を下ろす。
尻尾を押し込む。ピンクなのに押し込む。意味ないのにやる。儀式。
千円札を入れる。
——コトン。
音が、私の脳を撫でる。
撫でられると、私はちょっとだけ「生きていい」って思える。
この“ちょっとだけ”が一番危ない。
2
回る。外れる。
回る。外れる。
はい。いつも通り。
千円って、秒で消える。
秒で消えるのに、秒で“やめたい”も消える。
やめたいは弱い。溶けたいは強い。最低。
ふと、視線を感じる。
見ると、通路の向こうに、黒いジャケットの男。
ユメカネの“優しい顔”。
居酒屋でもなくカフェでもなく、パチ屋の中にいるのが最悪。
……なんでここにいんの。
てか、なんで入れてんの。
いや入れるだろ、客なんだから。ムカつく。
男はこっちを見てないふりをして、見てる。
見てるのに近づいてこない。
その距離感がいちばん嫌。狩りの距離。
私は即、口に出す。
「は? 追いかけてくんなよ」
隣の海の島のおばさんが一瞬こっちを見る。
見られると恥ずかしい。恥ずかしいとキレたくなる。
キレたら負ける。私は今、負け方を選んでる最中。
スマホが震える。
通知。
『ここ、落ち着く?』
私は返信しない。
でも指が勝手に打つ。
『落ち着かない。キモい』
送信。
送った瞬間、背中が冷える。
——何やってんの私。
挑発って、余裕あるやつの遊びだろ。私は余裕ない。私は裸。
男が、少しだけ笑った。遠くで。
笑うな。ムカつく。
3
千円が尽きる。
ゼロ表示。綺麗。腹立つ。
私は立つ。立てた。偉い。偉いのに何も増えてない。偉さ、無価値。
なのに、私はポケットの封筒を触る。
まだある。数千円。
残ってるってことは、まだ“可能性”があるって脳が言う。
可能性って、麻薬みたいな顔してる。
最初だけ優しい。最後に全部持ってく。
私は言う。
「……一回だけ。ラスト」
ラストって言葉も無料。だから乱用する。
人生も無料ならよかったのに。
そのとき、背後から声。
「コハクさん」
優しい声。
優しい声ほど信用できない。
でも振り返る。反射。クズ。
男が、距離を詰めずに立ってる。
人のパーソナルスペースに入らない“優しさ”。
優しさって言葉で、刃物の持ち方を綺麗にしてるだけ。
「さっき、今日のバイトのあとここに入ったの見えた」
「見えたって言うな」
「ごめん。心配で」
「心配でパチ屋来るな」
男は苦笑いをする。
その苦笑いが、“許される側の顔”でムカつく。
「封筒、日払い?」
私は即答。
「違う」
嘘。
嘘って分かってる。
でも“違う”って言うと、私の人生がまだ私のものみたいに見えるから。
男は言う。
「頑張ってるね」
私は噛みつく。
「頑張ってる人、ここ来ねぇよ」
「来るよ。頑張ってるから来る」
ムカつく。
言い返せないタイプの正論。正論は暴力。
男が続ける。
「月末って言ってたよね。偉いよ」
「偉いって言うな」
「じゃあ、手伝う」
「いらない」
「無理させない形で」
「その言い方が一番怖い」
男は、優しいまま言った。
「コハクさん。パチンコって、負ける時ほどやめられないでしょ」
私は即言う。
「うるさい」
「うるさいって言えるの、いいね」
褒め方がキモい。
でも、キモいのに、私は今ちょっとだけ落ち着いてる。
怖い。落ち着きが、こいつから来てる。これが一番終わり。
男がポケットから小さい封筒を出した。
現金。
見えるだけで脳が反応する。やめろ。私の脳、犬かよ。
「今日の分。これで“月末の約束”、守りやすくなる」
私は言う。
「それ借金増えるだけじゃん」
「借金じゃない。前倒し」
「言い方変えただけ」
「変えると、楽になるよ」
楽になる。
この男の口から出る“楽”は信用できない。
でもパチ屋の“楽”も信用できない。
結局、私は信用できないものにしか囲まれてない。私が信用できない側だから。
私は封筒を見て、言った。
「……私を買うな」
男は眉を下げる。悲しい顔。上手い。
「買わないよ。助けるだけ」
私は笑いそうになる。笑えないけど。
「助けるって言葉、いちばん高い」
男は黙って、封筒を私の手元に置く。
置き方が丁寧。丁寧なものほど怖い。
その瞬間、横から声。
「何してるんすか」
ハル。
いつの間に。フード。小柄。目が働きすぎ。
私はちょっとだけ、息が戻る。悔しい。助かる。
ハルが男を見る。
「現金置くの、アウトっすよ。今」
男は笑う。
「友達?」
「友達っす」
私は反射で言う。
「友達じゃない」
ハルが私を見る。
「……今それやめて」
「ムカつくけど分かった」
男が言う。
「彼、面白いね」
ハルが即返す。
「面白くないっすよ。真面目っす」
「真面目に人の財布に入るの、詐欺っすよ」
男の笑顔が一ミリ固まる。
よし。刺さってる。
私は男の封筒を押し返して言った。
「いらない。私、今、負けたいだけだから」
言った瞬間、終わったと思った。
こんなこと言うやつ、終わってる。
でも私は終わってる。だから言えた。
男は少しだけ、優しさを落として言う。
「……負けたいって言う人、ほんとに負けるよ」
「知ってる」
「知ってるなら、やめよ」
私は笑わないで言う。
「やめられたら、ここにいない」
沈黙。
パチ屋の音だけがうるさい。
うるさい音って、人の会話をなかったことにする。便利。最悪。
男は封筒を回収して、最後に言った。
「また連絡するね。……見てるから」
見てるから。
その言葉が、首輪の音。
男が去る。
私は手が震えてるのを、ピンク尻尾で隠す。隠せてない。
4
ハルが言った。
「狐さん、今日は帰りましょう」
私は言う。
「……帰れるわけない。今、心臓がうるさい」
「うるさいなら、外の空気で冷ましましょう」
「外の空気うまいのムカつく」
「ムカつきながらでいいっすよ」
私は立つ。
立てる。偉い。偉いのに、涙が出そうでムカつく。
出口に向かう途中、エヴァの爆音が鳴る。
「次回、予告」みたいに人生を煽るな。台が脚本家ぶるな。
私は言う。
「……パチ屋、私の味方じゃなかった」
ハルが言う。
「最初から敵っす」
「知ってた。でも、優しかったんだよ。音が」
「音は優しいっす。人の財布以外」
私は舌打ちして、外に出た。
夜風。
パチ屋の匂いが薄まる。
薄まると、現実が濃くなる。現実は苦い。苦いのに、今日の私は少しだけ生きてる。
スマホが震える。
今度は、ユメカネじゃない番号。
求人アプリ。
『明日、単発いけますか?』
私は画面を見て、言った。
「……私、明日も生きるの?」
ハルが言う。
「生きます。ムカつきながら」
私はピンク尻尾を引っ張って言った。
「最悪」
でも、今日はパチ屋で溶けなかった。
それが勝ちだって言われる人生、ムカつくけど




