第4話 今夜話そ
スマホの通知って、鳴る前から鳴ってる。
気のせいじゃない。体が先に怯える。便利。最悪。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾はピンクで封印中。恥で自分を止めるタイプ。終わってる。
コンビニ前。ハルが隣にいる。
軽口担当のくせに、今は妙に黙ってる。黙るな。現実が重くなる。
私はスマホを見ないふりして、見た。
通知。
『今夜、話そ。約束のやつ。』
短い。やさしい顔してる。
こういう文って、返信した時点で首輪になる。
「……無理」
口に出してから気づく。無理って言っても、無理は消えない。
ハルが言う。
「無理でも、行くっすよ」
「行かない」
「行かないなら、向こうが来る」
「来させない」
「それができたら、狐さんはパチ屋で溶けてないっす」
ムカつく。正しい。だからムカつく。
私は舌打ちして歩き出す。
「……行く。行くよ。行けばいいんでしょ。人生って、いつもそう」
ハルが頷く。
「はい。じゃあ今夜まで、寄り道しない」
私は即答。
「無理」
「……パチ屋寄る気っすか」
「寄らない。今日は“寄らない”の回」
「“寄らない”って言う人は寄るっす」
「黙って。統計やめろ」
でも足が勝手に、パチ屋の方角を向く。
方向音痴じゃない。依存症だ。
1
夕方。
バイト帰りの人と、仕事終わりの人と、人生終わりかけの人が同じ顔で歩く時間。
私とハルは、駅前の薄い喫煙所に座ってた。
ここ、誰のものでもないのに、全員が「俺の場所」みたいな顔してる。人間って図々しい。私もだけど。
ハルが缶コーヒーを投げてよこす。
「飲むっすか」
「いらない」
「じゃあ何で受け取ったんすか」
「反射」
「狐さん、反射で生きてる」
「反射で生きれたら苦労しない」
私は缶を開けて一口飲む。苦い。
苦いのに落ち着く。落ち着くのがムカつく。
「……ユメカネの人って、どんなやつ」
ハルが言う。
「営業っすね。優しい声のやつ」
「優しい声ほど信用できない」
「狐さん、学習してる」
「してない。今も溶けてる」
ハルが私の尻尾を見る。ピンク。
「尻尾、揺れてないっすね」
「見んな。実況すんなって言った」
「実況じゃないっす。確認っす」
「黙って。確認って言い方ムカつく」
ハルは笑って、真面目な顔に戻った。
「今日の作戦、ひとつだけ」
「なに」
「“助けてください”って言わない」
「は? なんで」
「言った瞬間、弱みになる」
「弱みはもう全部見えてるでしょ。私、ピンクだし」
「それは恥っす」
「恥も弱みだよ」
ハルが言う。
「弱みは弱みでも、売れる弱みと売れない弱みがある」
最悪の経済学。
2
夜。
指定されたのはチェーンの居酒屋でも、路地裏でもなく、駅前のカフェだった。
明るい。清潔。人が多い。
こういう場所で取り立てするやつ、逆に怖い。
店内の端。
黒いジャケット、細い指、笑ってる口。目だけが笑ってない。
「コハクさん、ですよね?」
名前を呼ばれると、体が一回止まる。
名前って、首輪の音がする。
「……そうだけど」
私は椅子に座る。尻尾が邪魔で、ピンクがはみ出す。
最悪。初対面に見せる情報じゃない。
相手の男が、ピンクを見て一瞬だけ目を細める。
「かわいいですね」
私は即答。
「今それ言う? ムカつく」
ハルが横で咳払いする。
「黙って見守ってます」みたいな顔。役に立て。
男は名刺を出さない。出すと会社になるから。
会社になると証拠になるから。
こいつ、頭いい。嫌い。
男が言う。
「“ユメカネ”って言うと怖いですか? でも僕ら、怖くしたくないんですよ」
「怖いことしてる自覚ある?」
「自覚はあります。でも……コハクさんも、助かったでしょ?」
助かった。
最初は。
“最初は”が付く助かりって、全部罠。
私は言う。
「助かったんじゃない。延命しただけ」
男は笑う。上手い笑い。
「言い方が賢い。そういう人、好きです」
「告白すんな。キモい」
ハルが小さく「ナイスっす」って顔をした。腹立つ。
男はスマホを置く。画面をこちらに向けない。
見せないのも技術。
「今日は、簡単な確認です。コハクさん、今の残り、いくらですか」
私は即答した。
「知らない」
「“知らない”が一番高くつくんですよ」
「うるさい」
声が少し強くなる。
私はキレやすい。自覚してる。
でもキレないと、泣きそうになるからキレる。便利。最悪。
男は、怒りを受け流す水みたいな声で続ける。
「大丈夫。責めません。今日、払えって話じゃないんです」
「じゃあ何」
「約束のやつ。――“紹介”」
胃が冷える。
冷えると尻尾が動く。
ピンクがピクッて揺れた。最悪。個人情報が勝手に漏れる。
ハルが小さく言う。
「……狐さん」
黙れ。今は味方するな。私のプライドが死ぬ。
男が言う。
「コハクさん、1人だけ紹介しましたよね?」
私は即答。
「してない」
「してます。ログがある」
ログ。
言い返せない単語出すな。
私は言う。
「……向こうが勝手に来ただけ」
男は頷く。
「はい。そういう“言い方”でいいんです。大事なのは、次です」
「次とかない」
男が、優しい声のまま刺してくる。
「次がないなら、利息が上がります」
「脅し?」
「選択肢です」
選択肢。
この世の「選択肢」って、だいたい片方が死ぬやつ。
私は言う。
「……いくら」
男はさらっと言う。
「今夜、決めなくていいですよ。まずは“話そ”だけ」
「話した時点で負ける」
「でももう座ってます」
ムカつく。正しい。
私は自分の口の悪さが、今日だけ弱くなるのを感じて、さらにムカついた。
ハルが口を開く。
「その“紹介”の条件、明文化されてます?」
男は初めてハルを見る。
「あなたは?」
「ただの、友達っす」
私は即答。
「友達じゃない」
ハルが私を見る。
「今それ言うんすか」
「今言う。ムカつくから」
男が笑う。笑うな。空気が崩れる。崩れると私が負ける。
「友達、いいですね。じゃあ友達さん、明文化は――まあ、難しいです。うちは“柔らかいサービス”なんで」
ハルが言う。
「柔らかいって言葉、だいたい骨折れますよ」
男の笑顔が一ミリ薄くなる。
刺さった。よし。
男が私に戻って言う。
「コハクさん。今日はひとつだけ。次の人、連れてこれます?」
私は即答。
「無理」
男が言う。
「じゃあ、別の形で。――パチンコ、好きですよね?」
一瞬、頭が真っ白になる。
なんで知ってる。
知ってるってことは、見られてる。
見られてるってことは、店にも行けない。終わり。
私は言う。
「……関係ない」
男は優しく笑って言う。
「関係あります。コハクさん、“当たり”の話をすると目が明るくなる。かわいいですね」
私はキレる。
「かわいいって言うな!」
店の空気が一瞬止まる。
周りの客がちらっと見る。
見られると恥ずかしい。恥ずかしいと戻りたくなる。
やめろ。戻るな。今はカフェだぞ。戻る先が違う。
ハルが低い声で言う。
「……今日は帰りましょう」
男が言う。
「もちろん。帰っていいです。逃げてもいい。でも――」
男はスマホを軽く指で叩く。
「逃げた分だけ、“回収”が早くなるだけ」
回収。
パチ屋の言葉みたいに言うな。ムカつく。
私の尻尾が揺れる。ピンクが震える。最悪。
私は立ち上がる。
椅子がガタって鳴る。
その音が、パチ屋のコトンに似てて、吐きそうになる。
男が最後に言った。
「また連絡しますね。今夜、話せてよかった」
よくない。
最悪だ。
3
外に出る。夜風が冷たい。
冷たいと、現実が戻る。現実は痛い。
私は言う。
「……見られてた。私、終わり」
ハルが言う。
「終わりじゃないっす。今日、紹介って言葉に“無理”って言えた」
「言えたけど、言っただけ」
「言っただけでも進歩っすよ。狐さん、いつも“言っただけ”で戻るんで」
「黙って。今の言い方ムカつく」
でもムカつくってことは、ちょっと効いてる。
駅前。
パチ屋の看板が光ってる。
エヴァの島の爆音が、ここまで聞こえる気がする。幻聴。最悪。
私は足が勝手に止まる。
「……一回だけ。覗くだけ」
ハルが即言う。
「それ、酒の人が言うやつっす」
「パチは酒じゃない」
「同じっす。臭いが違うだけ」
「臭いって言うな!」
私はキレる。キレた瞬間、尻尾が揺れる。
ピンクが揺れる。恥で戻りたくなる。
私は、看板の光の前で、急に笑いそうになった。
「……私さ、クズすぎない?」
ハルが言う。
「クズっす。でも愛嬌はあります」
「愛嬌で借金消える?」
「消えないっす」
「じゃあ意味ない」
「意味ないけど、死なない」
死なない。
その言葉だけ、ちょっとだけ好きだった。ムカつくけど。
私はピンク尻尾を引っ張って言う。
「帰る。今日は帰る。マジで」
ハルが言う。
「帰れたら勝ちっす」
私は言う。
「……勝つって、こういうこと?」
ハルが笑う。
「今の狐さんには、そうっす」
私たちはパチ屋を見ないで歩いた。
見ないで歩けたのが、今日の勝ち。
でも背中のどこかが、ずっと振り返ってた。




