第27話 相談は、勝ち方の手順
朝の空気って、昨日の自分を置き去りにしてくる。
私はコハク。獣人の狐。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥じゃない。警報。取っ手。ムカつくけど。
スマホはミツの手の中にある。
昨日の私は「返したい」を握って死にかけた。だから今日は「握らない」を握る。
ミツが缶コーヒーを開けて言う。
「来てないぞ」
“来てない”。
それだけで胸が軽くなるの、腹立つ。軽さは危ないのに。
レンが言った。
「来てない=作戦成功の可能性。来てる=追加ログの可能性。どっちでも得」
猫の発想が嫌い。合理的すぎて。
ハルは相変わらず薄い声で言う。
「狐さん。今日は、届ける日」
届ける。
昨日取ったやつ。スクショ。脅迫。捨て台詞。
首輪の言葉が、証拠に変わったやつ。
私は喉が鳴った。
「……怖い」
言った瞬間、ミツが笑う。
「怖いって言えたら勝ち。怖いのに黙って溶けるのが負け」
ムカつく。正しい。
正しい言葉って、いつも痛い。でも痛いってことは生きてる。
私は頷いた。
頷くと尻尾が揺れそうになる。揺れるな。今日は揺れてもいいけど、戻るな。
1
駅前。
交番の近くのベンチ。
ここ、弱い自分の免罪符みたいで嫌だ。
でも今日は免罪符じゃない。“位置”だ。私が私を守るための位置。
ハルが言う。
「行く前に、順番」
順番。手順。
手順って言葉を、私はパチ屋に奪われてた。
でも今日は取り返す。手順は私のものにする。
ハルは指を一本立てる。
「1. 事実だけ。感情は後」
ミツが指を二本立てる。
「2. 相手の文面をそのまま見せる。盛らない」
レンが三本目を立てる。
「3. “たぶん”禁止。回数も時間も、分かる範囲で数える」
私は言った。
「……私、数えるの嫌い」
レンが即答する。
「嫌いだから負ける。数えると勝てる」
ムカつく。猫のくせに正論言うな。
ミツがスマホを私に返す。
「見るか」
私は息を一回吸って、画面を見る。
新着は、ない。
ない、ってだけで、胃が落ち着く。
落ち着くのが怖い。落ち着いたら油断する。油断したら“少しだけ”が来る。
私は言う。
「……行く」
2
中は、静かだった。
静かって怖い。
静かになると現実が入ってくる。現実は利息みたいに育つ。最悪。
でも今日は、静かさが味方だ。
パチ屋の音は私の脳を撫でた。
この静かさは、私の脳を起こす。起こされるのは嫌い。でも必要。
担当の人が出てきて、淡々とした声で言う。
「どうされましたか」
私は喉の奥が熱くなるのを感じた。
熱くなると、いつもの私ならキレる。
キレると尻尾が揺れる。
揺れると負ける。
だから私は、紙を出す。
レンがまとめてくれたやつ。
日付。回数。文面。スクショ。
“たぶん”を殺したリスト。
私は言った。
「……連絡が止まりません。居場所を言い当てられます。写真も送られました。紹介を迫られました」
声が、意外と出た。
カラオケのせいかもしれない。ムカつく。役に立つ音もあるんだな。
担当の人が頷く。
「相手の連絡は残っていますか」
私は言う。
「あります」
スマホを出して、見せる。
見せた瞬間、自分の生活が“外側のもの”になった感じがして、ちょっと吐きそうになる。
でも吐かない。今日は吐かない。残す。
スクショを指でなぞる。
『バイト先、また行くわ』
『友達のとこも行けるけど、いい?』
『先に迎えに行くから』
担当の人の目が、一瞬だけ変わる。
優しい顔じゃない。淡々とした、仕事の目。
その目が、なぜか安心だった。
優しさより信用できる目。
「これは脅迫にあたる可能性があります。今後の対応について説明します」
“可能性”。
可能性って言葉、パチ屋だと毒。
でもここでは、守る側の可能性だ。
私は頷く。
頷きながら思う。
私、今、ちゃんと現実に座ってる。
パチ屋の椅子じゃない椅子に座ってる。
それだけで、今日は勝ち扱いになる人生、ムカつくけど。
3
外に出る。
空気がうまい。うまい空気は泣きたくなるから嫌い。
でも今日は泣いてもいい気がした。泣かないけど。
ミツが言う。
「お前、顔白い」
私は言う。
「白いのはいつも。勝ったときも白い」
「勝った顔じゃない。生き延びた顔」
生き延びた。
その言葉、ムカつくけど好きだ。
レンが言う。
「次、来たらまた残す。来なくても勝ち。どっちでも勝ち」
ハルが言う。
「狐さん。これで“迎えに行く”は言えない」
言えない。
言えなくなる。
優しい顔の武器が、刃こぼれしていく。
私は胸の奥が少しだけ楽になるのを感じて、すぐ警戒する。
“楽”は危ない。
ユメカネも“楽”って言う。
楽って言葉は首輪の音。
その瞬間、スマホが震えた。
全員の目が一斉に動く。
動きが揃うの、ちょっと面白い。こんな時に面白いって思う自分が嫌。
画面。
ユメカネ。
『お前さ、マジでやる気?』
短い。
優しい顔がない。
もう取り繕う気がない。
私は息を吐く。深い。現実の呼吸。
ミツが言う。
「どうする」
レンが言う。
「返信しないが最適。でも、スクショは取る」
ハルが言う。
「取って、終わり」
私は、うなずく。
取る。
スクショ。
一枚。追加。
それだけ。
返信はしない。
しない。
しないって決めた。
決めたことを守るのが、今日の勝ち方。
ユメカネが続けて送ってくる。
『調子乗んなよ』
『お前が困るだけだぞ』
『俺を敵にすんな』
敵。
こっちは最初から敵だと思ってない。
味方だと言われるのが嫌だっただけ。
優しい顔で近づくのが嫌だっただけ。
でも今は、敵でいい。
敵なら、離れていい。
敵なら、話さなくていい。
敵なら、音で誤魔化さなくていい。
最後の通知。
『お前、結局また戻る。俺の方が先に迎えに行くって言ったよな』
言ったよな。
知らねぇよ。お前が言ったんだろ。
でもその言葉は、もう首輪じゃない。
私はスマホを伏せた。
ミツが言う。
「ダッサ」
レンが言う。
「捨て台詞って、負けの挨拶だよね」
ハルが言う。
「狐さん。行きましょう。今日は、帰る日」
帰る。
無料の言葉。
でも今日は、ちゃんと有料にする。行動で払う。
駅前のパチ屋の看板が光っていた。
優しい顔で「おかえり」って言ってくる。
私は一瞬だけ見て、視線を落とす。
見た。
でも入らない。
“見たら終わり”じゃない日を作る。
ピンク尻尾を掴む。
揺れてる。
揺れてるけど、歩ける。
揺れながらでも、戻らない。
私は言った。
「最悪。……でも今日は、相談に勝った」
ミツが笑う。
「パチじゃなくて、相談で勝つ狐。新台だな」
レンが言う。
「新台は見下してくるぞ」
私は言う。
「黙って。今は私が私を見下してる」
ハルが小さく息を吐いた。
「それ、勝ちの顔っす」
ムカつく。
でも、ちょっとだけ嬉しい。
嬉しいのが怖い。
でも今日は、嬉しいまま帰る。
背中で、コトン、って聞こえた気がした。
……幻聴。最悪。
でも私は振り返らなかった。




