第22話 コンビニは敵。財布はもっと敵
引っ越したら人生が変わると思うじゃん。変わらない。住所が変わっただけで、私の脳内の導線はちゃんと旧居のままだから、結局いつも通り「帰る」って言葉を無料で使い散らかして、曲がる。人生は曲がる。狐の尻尾より先に曲がる。
私はコハク。獣人の狐。女。尻尾は今日もピンクで封印。恥で止まるタイプのはずなのに、最近この恥がちょっとずつ鈍ってて、鈍るとその分だけ生活がバカになるから嫌だ。嫌なのに、嫌って言いながらバカになるのは得意。最悪。
引っ越し後の部屋って、何が一番きついか知ってる? 家具がないことじゃない。カーテンがないことでもない。部屋が静かすぎることだ。静かだと心臓がうるさいし、心臓がうるさいと「外に出ればマシ」みたいな顔をする。外に出ると街がうるさいのに。うるささって、どこに行っても形を変えて追いかけてくる。税金みたい。
だから私は、何も考えないために外に出る。理由は「洗剤が切れてる」とか「水がない」とか、そういう“ちゃんとしてる人のフリができる用事”にする。フリをすると罪悪感が薄くなる。罪悪感が薄いと財布が開く。財布が開くと人が終わる。循環型社会。
玄関で靴を履いた瞬間、スマホが震える。
ミツ『コンビニ行くならついでに飯買え。水は飯じゃない』
レン『今日のミッション:コンビニで買うのは1個だけ(難易度SSS)』
ハル『狐さん、いま「ついでに」って言いました?』
言ってない。まだ言ってない。でも言う予定だった。予定が読まれてるのが腹立つ。腹立つのに、こいつらに読まれてるほうが、よくわからない“見てる”よりはマシなのも腹立つ。腹立つって便利な感情だな。私の人生、腹立つで動いてる。
コンビニの自動ドアが開く。パチ屋より優しい顔で開くのがムカつく。コンビニは「生活の味方」みたいな顔をするくせに、平気で千円を溶かしてくるからタチが悪い。パチ屋は最初から敵の顔をしてる。敵は正直。味方の顔の敵が一番嫌い。
店内に入ると、空調がちょうどよすぎて一瞬だけ「ここに住みたい」って思う。最悪。住むな。コンビニに住むやつは終わりだ。いや、もう終わってるから住みたくなるんだけど。
カゴを取るかどうかで、人は分岐する。カゴを取ったら負け。取らなかったら「片手で持てる分しか買わない」という縛りが生まれる。縛りがあると私は少しだけ真人間っぽくなる。真人間っぽいの、腹立つ。腹立つけど今日は縛りが欲しい。
カゴは取らない。
……取らないつもりだったのに、気づいたら手がカゴに伸びてる。手が勝手に動く。私の手、店側。
「このカゴ、最初から私の手に吸い付いてた」
誰も聞いてないのに言い訳が出る。言い訳って、脳が自分を守るために吐く煙みたいなものだなって思う。ヤニじゃないのにヤニっぽい。ムカつく。
洗剤コーナーに行く。小さいボトルが欲しい。私は生活が軽いから、洗剤も軽くしたい。軽いものは持てる。重いものは未来になる。未来は怖い。だから私はいつも軽い方を選ぶ。軽い方はだいたい割高なんだけど、私はそういうことを“見ない”で生きてる。便利な能力。終わってる。
洗剤を掴んだ瞬間、横から声。
「コハク」
ミツ。
なんで。喫煙所ネットワーク、GPSでも積んでるの?
ミツはタバコを吸えないストレスを顔に出しながら、私のカゴを見た。
「……負けてる」
私は即言う。
「まだ負けてない。洗剤しか入ってない」
「洗剤しか入ってないカゴは、これから負けるカゴ」
言い方がムカつく。正しいのがもっとムカつく。
そこへレンも来る。ゲーム機を触りながら。コンビニでゲームすんな。いや、コンビニだからするのか。レンは顔を上げずに言う。
「カゴ取った時点で難易度上がる。縛り解除」
私は言う。
「解除してない。縛りは心でやる」
レンが即返す。
「心は課金で溶ける」
うるさい。猫のくせに現実的なこと言うな。
ハルまで来た。どうして? 私の周り、イベントの湧きが早すぎる。引っ越しって“孤独になるイベント”じゃなかったの? なんでフルパーティになってるの。バグ?
ハルがレシート裏のメモを出しながら、すごく真面目な顔で言う。
「狐さん、今日の買い物ルールです」
「やめろ。ここコンビニだぞ。家庭科の授業じゃない」
「家庭科の方が、人生の役に立つっすよ」
刺すな。軽く刺すな。
私は自分に言い聞かせる。
買うのは洗剤。水。以上。帰る。
なのに、視界の端にホットスナックが入る。ホットスナックって、やけに優しい顔してるよね。「頑張ったね」って言ってくる顔。頑張ってないのに。頑張ってない人ほど、あれに弱い。私のこと。
唐揚げ棒。コロッケ。肉まん。
どれも“ちょっとだけ”の値段で、“ちょっとだけ”の幸せを売ってくる顔をしてる。ちょっとだけって言葉が一番危険なのに。ちょっとだけで済んだこと、人生で一回もないのに。
私は口に出してしまう。
「……一本だけなら」
ミツが即言う。
「はい負け」
レンが言う。
「一本だけは呪い」
ハルが言う。
「“だけ”は禁止語です」
うるさい。禁止語が多い人生、住みにくい。
でも私は、一本だけを取る。取った瞬間、脳が落ち着く。落ち着くのが嫌。落ち着きって、次の欲を呼ぶから。案の定、次の棚が目に入る。
アイス。
アイスって、夏の免罪符みたいな顔をしてる。「暑いからしょうがない」って言い訳を先に用意してある。ずるい。ずるいのに、買う。
レンがふっと笑って言う。
「ミッション失敗。リトライ?」
私は言う。
「リトライできるのはゲームだけだろ。現実は回数が残酷」
ミツが言う。
「じゃあ今日は“失敗しながら帰る”が勝ちだな」
ハルが言う。
「勝ちの基準、低すぎて助かるっすね」
助かるのがムカつく。ムカつくのに助かる。
レジに並ぶ。
洗剤、水、唐揚げ棒、アイス。
これで十分なはずなのに、私はレジ横の棚を見る。レジ横って悪魔の棚だよね。ガム、チョコ、電池、謎の栄養ドリンク。「最後にちょっとだけ」って言わせるための場所。最後にちょっとだけって言ったら終わりなのに。店の設計、人格が悪い。
私は電池を手に取ってしまう。
「いや、必要だから。リモコン用」
部屋にリモコンなんてない。エアコンのリモコンは壁についてる。私は今、何の電池を買おうとしてるんだ。未来の私のため? 未来の私、そんな立派な人間じゃない。未来の私は今の私より終わってる可能性が高い。期待するな。
ハルが小声で言う。
「狐さん、今、嘘ついてます」
「黙って。今、人生を整えてるの」
ミツが言う。
「整える人は唐揚げ棒とアイスを同時に買わない」
レンが言う。
「同時買いはコンボ。課金」
やめろ。現実をゲームみたいに言うな。分かりやすいから腹立つ。
私は電池を戻す。戻せた。偉い。言わない。言ったら死ぬ。
会計。
合計、思ったより高い。
コンビニの合計金額って、いつも「お前の人生、管理できてない」って顔をしてくる。数字が暴力。数字は正しい。正しいものはムカつく。
私は財布を開ける。千円札が一枚しかない。
あ、終わった。
そこでミツが、無言で小銭をジャラって出す。レンも出す。ハルも出す。なにこの共同体。私は野良の狐のはずなのに、勝手に群れになってる。
私は言う。
「……借りない」
ミツが言う。
「貸してない。お前の人権を買ってるだけ」
レンが言う。
「共同課金」
ハルが言う。
「生活って、パーティプレイっす」
うるさい。全部ムカつく。全部ありがたい。ありがたいと思う自分が一番ムカつく。
コンビニを出る。
袋が重い。重いのに、内容がしょうもない。これが生活。
私は歩きながら唐揚げ棒を食べる。うまい。うまいものはムカつく。うまいと「生きていい」って錯覚するから。錯覚してる暇があったら現実をやれ。でも現実は痛いから、錯覚は必要。最悪のバランス。
新しい部屋の前まで来る。
私はふと思う。
今日、パチ屋の方向に一回も曲がってない。
曲がってないのに、勝った感じが薄い。たぶん、こういう勝ちは派手じゃないからだ。派手じゃない勝ちは、パチ屋の音みたいな報酬がない。でも報酬がないから、次の日にも使える。たぶん。たぶんって言うな。
ハルが言った。
「狐さん、今日の勝ち、洗剤買えたことっす」
私は言う。
「勝ちの基準が低すぎる」
ミツが言う。
「低い方が続く」
レンが言う。
「難易度調整大事」
私はピンク尻尾を引っ張って、いつもの言葉を吐く。
「……最悪」
でも今日は、洗剤がある。水がある。アイスもある。唐揚げ棒で誤魔化した心もある。これで十分ってことにする。十分って言葉も無料だけど、今日は無料でいい。明日も生きるために。




