第20話 喫煙所ROUTE
引っ越した日の夜って、疲れてるのに眠れない。
体は段ボールで死んでるのに、脳だけ元気。最悪。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。便利。終わってる。
1
新しい部屋は、静かすぎる。
静かだと、心臓がうるさい。
心臓がうるさいと、音が欲しくなる。
音が欲しいと、あの場所が浮かぶ。
駅前のパチ屋。
距離は離れたのに、導線が頭の中に残ってる。
私はスマホを掴む。
……連絡したら負け。
でも黙ってると、足が勝手に曲がる。
震える。通知。
ミツ『住所言うなって言ったのに、駅どっち?』
私は即返信する。
『言ってない。駅じゃない。ここどこ?』
自分で書いてムカつく。引っ越したのに迷子って何。
狐としての尊厳どこ。
すぐにまた震える。
レン『今日のミッション:パチ屋行かない(難易度:鬼)』
うるさい。勝手にミッション作るな。
ハル『狐さん、今“戻る顔”してます?』
見てないのに当ててくるな。ムカつく。
いや、見てないよね? ね?
アオイ『引っ越し祝い、音浴びよ。カラオケ。逃げビートOK』
逃げビートって言うな。ちょっとかっこよくするな。逃げは逃げだ。
私は布団の上で、息を吐いた。
「……静かすぎるのが悪い」
責任転嫁は得意。無料だから。
2
ピンポン。
は?
覗き穴。
ミツ。
なんで。
鍵も知らないはずなのに、なぜかいる。
ドアを開けた瞬間、ミツは第一声で言った。
「生きてる?」
私は言う。
「生きてる。なんでいる」
ミツはタバコを咥えたまま言う。
「勘」
「勘で来るな。怖い」
「怖いのはお前の導線な」
言い返せない。
ミツは部屋の中を見て、段ボール二つを数える。
「少な」
「生活が薄いから」
「薄い生活、動きやすい。今日の作戦、これでいける」
作戦?
ミツはタバコをポケットに戻した。吸わない。えらい。言わないけど。
「喫煙所行くぞ」
私は即答。
「私、吸わない」
「吸わなくていい。“戻らないための席”だ」
席。
安全地帯。
そういう言葉は、私の脳が好き。最悪。
3
夜の喫煙所。
屋根がある。風が弱い。変なジジイが一定の距離で咳してる。
“いつもの地獄”じゃないのに、“いつもの地獄”の匂いがする。
ミツが火をつけて、煙を吐く。
「コハク、今日何が危ない」
私は言う。
「静かすぎる」
「違う」
即否定すんな。ムカつく。
ミツは続ける。
「静かだと“音”が欲しい。音が欲しいと“場所”が欲しい。場所が欲しいと“正当化”が出る」
私は言う。
「うるさい。分析すんな」
「分析じゃない。経験。ヤニは経験値で増える」
経験値で増えるな。
そこへ、レンが来た。ゲーム機を触りながら。
「遅い。デイリー終わらない」
人生のデイリー終わらせろ。
レンは私の顔を見るなり言った。
「顔、今“帰宅後パチ屋”の顔」
私は言う。
「してない」
レンは即返す。
「してる。数値で出てる」
「何の数値だよ」
レンがスマホを出す。メモ。
引っ越し後
静か
疲れ
財布軽い
⇒ 回したい(確率83%)
私は言う。
「適当すぎる」
レンは言う。
「適当だけど当たる。ガチャみたいなもん」
それ最悪の例え。
そこへ、ハルも来た。レシート裏を持って。
「狐さん、チェックします」
私は言う。
「やめろ。保健室か」
ハルは淡々とレシート裏を見せる。
水飲んだ?
飯食った?
玄関に財布置いた?
“覗くだけ”って言ってない?
私は言う。
「最後だけ攻撃力高い」
ハルが言う。
「“覗くだけ”は呪いっす」
ミツが笑う。
「呪いを無料で唱えるな」
うるさい。全員うるさい。
でも、うるさいのが今ちょうどいい。
4
アオイが遅れて来た。
蛍光のウィンドブレーカー。夜に目が痛い。
「引っ越し祝い! 今日は“戻らないビート”!」
戻らないビートって何。言い方だけ良い。
アオイは私のピンク尻尾を見て言った。
「尻尾、揺れてない。今日のコハク、えらい」
えらいって言うな!
私は反射で言う。
「えらいって言うな!」
アオイは秒で返す。
「じゃあ、かわいい」
「かわいいも言うな!」
ミツが煙を吐く。
「コハク、今日キレてる。キレられるのは余裕がある証拠」
レンがうなずく。
「余裕=セーフ。今日はセーフ」
ハルが追撃。
「狐さん、ここでひとつ。今日の代替音、選びましょ」
代替音。
選ばされるとムカつくのに、選べると落ち着くのもムカつく。
アオイが手を挙げる。
「カラオケ! 声は音の中で一番自分のもの!」
レンが言う。
「音ゲー。上達すると脳が満足する」
ミツが言う。
「コンビニの入店音だけで帰る散歩」
ハルが言う。
「湯船。音は水で殺す」
全員、治療法がバラバラなのに、目的だけ同じ。
“戻らない”。
私は言った。
「……散歩」
全員が一瞬止まる。
ミツが言う。
「珍しい選択」
レンが言う。
「低刺激ルート。成功率高い」
アオイが言う。
「じゃあ歩きながら鼻歌ね」
「鼻歌はやめろ」
ハルが言う。
「財布、置いてから行きましょ」
私は即答。
「それは無理」
言った瞬間、全員が同時に私を見る。
ミツ「ほら来た」
レン「確率83%」
ハル「呪いっす」
アオイ「ビート乱れた」
うるさい。
私は舌打ちして、でも立った。
「……財布置く。置けばいいんでしょ」
置いた。
玄関に置いた。
置いた瞬間、胸が少しザワつく。
ザワつくのが、悔しいくらい“効く”。
5
夜の散歩。
風が冷たい。冷たいと現実が戻る。現実はムカつく。
でも今日は、現実が戻っても足が曲がらない。
曲がらないだけで勝ち扱いになる人生。ムカつくけど助かる。
角を曲がった先。
……看板。
パチ屋。
いや、違う。小さい。
パチ屋じゃなくて、ゲームセンターの看板だった。
レンが言う。
「罠。光の罠」
アオイが言う。
「光は全部敵じゃないよ。今日は通過ビート」
ミツが言う。
「通過だけな。寄ったら殴る」
ハルが言う。
「狐さん、尻尾チェック」
私は言う。
「実況すんな」
「実況じゃないっす。安全確認」
ムカつく。
でも私は、ちゃんと通過した。
看板を見たのに、入らなかった。
入らなかったことより、入らない自分が“当たり前みたいな顔”をしてるのが不思議だった。
私は小さく言った。
「……引っ越してよかったのかな」
ミツが言う。
「まだ分かんない。でも今日、曲がらなかった」
レンが言う。
「それはログに残る。次に効く」
アオイが言う。
「今日の勝ちは静かだね。いいね」
ハルが言う。
「静かな勝ちが、本物っす」
本物。
その言葉は、ちょっとだけ嫌いじゃない。
私はピンク尻尾を引っ張って、いつもの言葉を言った。
「……最悪」
でも今日は、最悪の質が違う。
溶ける前の最悪じゃなくて、
“ちゃんと帰れる最悪”。
家に戻る。
玄関に置いた財布が、そのままある。
それだけで、私の心臓が少しだけ静かになった。
静かになった心臓で、私は思う。
静けさって、敵じゃない日もある。
たぶん。
……たぶんって言うな。レンに殴られる。
私は布団に入って、スマホを伏せた。
通知は来てるかもしれない。
でも今日は見ない。
見ないで眠れたら、勝ち。
勝ちって、苦い。
苦いけど、今日の苦さはちゃんと残る。
だから明日、また同じルートを歩ける気がする。
気がするだけ。
でも気がするってだけで、今日は生きる。




