第18話 "Nice Guy" Threat
昼
昼の光って、夜より怖い。
夜は「終わってる」って顔してくれるけど、昼は「普通」って顔で刺してくる。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
パチ屋に行ってない。
ブラック飲んで歩いた。
ハイボールで帰れた。
勝ちが積み上がってるはずなのに、胸が落ち着かない。
落ち着かないって、私の中で“音が欲しい”の別名だ。
スマホが震える。
知らない番号。
もうそれだけで分かる。
ユメカネ。
プレビュー。
『コハクさん、えらい。今日は“歩いてた”ね。』
歩いてた。
なんで知ってる。
知ってるってことは、見てる。
見てるってことは、ブロックは“会話”を止めただけで、“目”は止まってない。
私は息を吸う。
浅い。
浅い息は負けの息。
でも今日は負けたくない。
私は返信しない。
しない。
しないって決めた。
決めた瞬間、次の通知。
『返信しなくていいよ。怖くない。』
怖くないよ。
その言葉が一番怖い。
怖さの構造を知ってるやつの言い方。
1
バイトの休憩。
倉庫の外。日陰。水。
まだ死んでない確認。
私はスマホを伏せる。
伏せても、通知の光が目の裏に残る。
残る光が、パチ屋の看板に似ててムカつく。
ポケットの中で、スマホがまた震える。
今度は別。
スズから。
『今日、顔色悪い。ブラック持ってく。どこ?』
どこ?
“どこ?”って聞かれると、胃が冷える。
ユメカネの“いる?”と同じ形だから。
私は返す。
『倉庫。駅裏。来なくていい』
すぐ既読。
すぐ返信。
『行く。来なくていいって言う人ほど危ない』
統計やめろ。
でも今日は、その統計が助かる。
2
午後。
作業中。
バーコードのピッが、コトンに変換されそうになる。
やめろ。
私は今、ここだ。
ここで壊れたら、生活が死ぬ。
生活が死んだら、私はパチ屋に住む。
それは嫌だ。
嫌って言えるのが、今日の唯一の武器。
スマホはロッカーに入れてるのに、体が震える。
震えはカフェインじゃない。
怖さだ。
怖さは音を欲しがる。
音はパチ屋を呼ぶ。
呼ぶな。
そのとき、作業場の端がざわつく。
責任者が誰かと話してる。
声が丁寧。
丁寧な声は信用できない。
私は棚の影から見た。
黒いジャケット。
細い指。
笑ってる口。
目だけ笑ってない。
ユメカネ。
……は?
ここ、職場。
ここ、私の現実。
現実に入ってくるな。
私は喉が鳴る。
息が浅くなる。
浅い息は負けの息。
でも今キレたら、私が悪者になる。
ユメカネはそれを狙う。
優しい顔で、私にだけ刃を向ける。
男が責任者に頭を下げて、何か紙を渡してる。
紙?
契約?
私は足が動きかける。
行くな。
行ったら終わる。
でも行かないと、終わる。
この二択が一番怖い。
3
休憩室の隅。
私は手を握りしめて、爪が手のひらに刺さる。
刺さる痛みは、まだ生きてる確認になる。
扉が開く。
スズが入ってくる。
でかいタンブラー。
目の下のクマ。
ブラックの缶を2本。
「……来た」
私は言う。
「来るなって言った」
スズが言う。
「言うと思った。だから来た」
ムカつく。
正しいことするやつ、ムカつく。
スズは私の顔を見て、即言う。
「いる」
私は言う。
「……いる」
スズはブラックを私に渡す。
「飲む。今」
命令形。
今日も助かるのがムカつく。
私は開けて飲む。
苦い。
苦いと現実が戻る。
現実は痛いけど、必要。
スズが低い声で言う。
「誰」
私は言う。
「ユメカネ」
スズの目が一瞬だけ動く。
「……来たんだ。職場に」
私は言う。
「来た。なんで。どうやって」
スズが言う。
「理由は後。今は“対処”。責任者、知り合い?」
「知らない。今日ここ初めて」
「じゃあ余計に危ない。今日の私の役割、決める」
役割。
Friendシリーズっぽい言い方するな。
でも今は役割が欲しい。
スズが言う。
「私は“壁”。コハクは“黙って働く”。相手に喋らせない」
喋らせない。
ユメカネは喋るのが仕事だ。
喋らせたら負ける。
私は頷く。
頷いた瞬間、尻尾がピンクの中で揺れる。
怖さの揺れ。
揺れは正直。
だから嫌い。
4
作業場。
責任者が私を呼ぶ。
「コハクさん、ちょっと」
呼び出し。
取り立てに似てる。
胃が冷える。
スズが私の横に付く。
勝手に。
勝手に付く外力は助かる。
助かるのが悔しい。
責任者の横に、ユメカネがいる。
男は私を見ると、にこっと笑った。
「コハクさん。えらい。働いてたんだね」
働いてたんだね。
見てたってこと。
ここまで来て、まだ“褒め”で首輪を作る。
私は言う。
「用がないなら帰って」
声が思ったより震えてない。
ブラックのおかげ。
スズが壁になってるせい。
ユメカネはスズを見る。
「友達?」
スズが即答する。
「友達じゃないです。現場の同伴です」
同伴。
嘘だけど強い言葉。
ユメカネの眉がほんの少し動く。
刺さった。
ユメカネが責任者に向き直る。
「今日はね、コハクさんの“確認”だけ。無理させないから」
無理させない。
その言い方が一番無理させる。
責任者が困った顔をする。
「えっと……知り合い?」
私が答える前に、ユメカネが言う。
「知り合いです。コハクさん、ちょっとだけお金の相談があって」
相談。
相談って言葉、暴力。
相談って言えば、私が悪い側に見える。
私は口を開く。
キレそうになる。
キレたら負ける。
私は歯を食いしばる。
スズが先に言う。
「個人情報なので。職場で扱わないでください」
ユメカネが笑う。
「もちろん。だからここで話さない。外で5分だけ」
外。
外に連れ出す導線。
導線は地獄の入り口。
私は言う。
「行かない」
ユメカネは優しい声で言う。
「行かないなら、ここでいいよ。責任者さんにだけ、説明する」
説明。
その単語で、背中が冷える。
職場に説明されたら終わる。
私は生活を失う。
生活を失うと、私はパチ屋に住む。
嫌だ。
嫌だって言える私は、まだ生きてる。
私は言う。
「……外で。5分」
言ってしまった。
首輪が一段締まる音。
ユメカネは笑う。
「えらい」
えらいって言うな。
5
倉庫の外。
人の目がある場所。
でも“人の目”は味方じゃない。
ただの観客。
観客がいると、私は綺麗に壊れる。
ユメカネは距離を詰めない。
詰めない優しさ。
詰めないのに、逃げ道は塞ぐ。
男が言う。
「コハクさん、最近頑張ってるね。パチ屋行ってない日、増えた」
パチ屋。
この人、そこまで知ってる。
知ってるってことは、見てる。
見てるってことは、逃げ場はもう逃げ場じゃない。
私は言う。
「何が目的」
ユメカネは少しだけ笑って言う。
「目的は、君が壊れないこと」
嘘。
壊れないように壊すのが一番上手い言い方。
私は言う。
「用件だけ言え」
ユメカネはスマホを出す。
画面は見せない。
見せないのも技術。
「コハクさん。紹介の件、まだ残ってる。君が“終わらせたい”なら、終わらせ方がある」
終わらせ方。
その言葉で、脳が一瞬だけ楽になる方向へ傾く。
楽になる=首輪。
私は言う。
「終わらせたい」
ユメカネが頷く。
「うん。えらい。じゃあ、今日ここで一つだけ」
一つだけ。
また“だけ”。
人生で“だけ”で済んだことない。
「君の友達に、迷惑かけたくないよね?」
友達。
その単語が、胃の一番弱い場所を撫でる。
撫でるな。
撫でたら、私は売れる。
ユメカネが続ける。
「だから、コハクさんが“ちゃんと連絡くれる人”になればいい。返信だけでいい」
返信だけでいい。
返信=首輪。
首輪を“軽い”って言うな。
私は言う。
「返信しない」
ユメカネは、優しい声のまま言った。
「じゃあ、スズさんに聞く」
その瞬間、背中が冷える。
名前。
スズの名前を知ってる。
なぜ。
いつから。
どうやって。
スズが一歩前に出る。
壁が動く。
スズの声は低い。
「私の名前、どこで知った」
ユメカネが笑う。
「街は狭いから」
その言い方が、最悪に軽い。
軽い言葉で人の生活を触るやつの言い方。
私は言う。
「やめろ。私の友達に触るな」
友達って言ってしまった。
言った瞬間、胸が痛い。
でも痛いってことは本物。
ユメカネは嬉しそうに微笑む。
「友達。いいね。じゃあ余計に、君が頑張れる」
頑張れる。
その言い方は、脅し。
私は歯を食いしばって言う。
「何がしたい」
ユメカネは初めて、優しさを薄くする。
「君が“ここで働ける状態”を維持したい」
維持。
生活を人質にした言い方。
「だから、月に一回、僕に“報告”して。パチ屋行ってない日が増えたって」
報告。
首輪の別名。
スズが言う。
「それ、管理ですよね」
ユメカネは笑う。
「管理じゃない。応援」
応援。
その言葉が吐き気。
私は言う。
「……じゃあ私も、応援してやる」
ユメカネが一瞬止まる。
「何を?」
私は息を吸って、吐いて言う。
「お前が怖いって言ってる自分を、応援する。スクショする。記録する。残す」
言ってしまった。
強い言葉。
強い言葉は、後で自分を縛る。
でも今日は縛りが必要。
ユメカネの笑顔がほんの少しだけ固まる。
固まると、人間っぽい。
人間っぽいと、勝てる気がする。
勝てる気がするのが怖い。
勝てるって知ると、次を呼ぶ。
ユメカネはすぐ笑顔を戻す。
「いいね。えらい。じゃあ僕も、もっと丁寧にする」
丁寧に。
刃物の鞘を磨く宣言。
私は言う。
「近づくな」
ユメカネは小さく頷いて、最後に言った。
「じゃあ今日は帰る。でもね、コハクさん。君が黙るほど、僕は“確認”しに来る」
確認。
それが脅し。
ユメカネは去っていく。
去り方が軽い。
軽い背中ほど怖い。
次がある背中だから。
6
その夜。
家。
静か。
静かすぎて怖い。
でも今日は、静けさが“敗北”じゃない。
ユメカネが職場に来た。
スズの名前を知ってた。
一段上がった。
怖さが。
私はスマホを開く。
ユメカネの通知は消してない。
消すと、なかったことになる。
なかったことにすると、次がもっと怖くなる。
私は初めて、スクショを撮る。
シャッター音は鳴らないのに、頭の中で音がした。
コトンじゃない。
もっと乾いた音。
「残る」って音。
スズがメッセを送ってくる。
『帰った?』
私は返す。
『帰った。あいつ、スズの名前知ってた』
既読。
すぐ返信。
『明日、話す。今夜は寝る。ブラック飲め。逃げ道増やすな。記録だけ増やせ』
記録だけ増やせ。
逃げ道じゃなくて、証拠を増やす。
その方向転換が、今日の一番の外力。
私はブラックを飲む。
苦い。
苦いと現実が戻る。
現実は痛い。
でも今日は痛い現実の方がマシ。
私はピンク尻尾を握って言った。
「……最悪」
でも今日の最悪は、パチ屋の最悪じゃない。
生活に触られた最悪。
人に触られた最悪。
そして最悪は、次の最悪を呼ぶ。
スマホが震える。
知らない番号じゃない。
ユメカネじゃない。
ミツ。
『コハク、今さ。知らない番号から来た。“えらいね”って。これ何?』
——友だちに触った。
来た。
一段上がった。
私は息が浅くなる。
浅い息は負けの息。
でも今日は、負けたくない。
私はメッセを打つ指が震えながら、打った。
『スクショして。消すな。今から行く』
送信。
送った瞬間、頭の中でコトンが鳴りかけた。
でも今日は、コトンじゃなくて別の音が鳴った。
シャッターの音。
残る音。
それが、今日の勝ちの音。




