第17話 "Highball" Friend
夜
駅前の夜って、光が多すぎる。
光が多い場所はだいたい金が減る。パチ屋も、コンビニも、人生も。
前にもこんなこと思った。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
スズのブラックで一回だけ曲がり直した。
曲がり直せたのに、胸の奥がまだザワザワしてる。
ザワザワって、静かに鳴る爆音だ。
スマホが震える。
ミツから。
『今日、飲む。ヤニ吸えないから飲む。来い』
来い。
命令形。
命令形は嫌いなのに、今日はちょっとだけ助かる。
なぜなら、飲みに行く理由が「パチ屋じゃない」から。
最悪の言い訳が、今日は味方の顔をする。
私は返信する。
『一杯だけ』
“一杯だけ”。
人生で一番信用できない言葉。
でも無料だから使う。
無料のものは、いつも高くつく。
1
居酒屋。
チェーンの明るさ。清潔そうな嘘。笑顔の店員。
笑顔が多い場所は信用できないのに、ここにはいる。
理由は簡単。
アルコールが、私の心臓のうるささを薄めてくれる気がするから。
薄めるってことは、逃げるってことだ。
逃げるのが楽。
楽は危ない。
席に着くと、ミツがいた。
ヤニカス。
目の下にクマ。口元にニヤけ。手がもうグラスに伸びてる。
「おせー」
私は即答する。
「遅くない。お前が早いだけ」
ミツが笑う。
「それ、スズと同じこと言ってない?」
ムカつく。
なんで知ってんだよ。
街、狭い。
情報、早い。
早い情報は、ユメカネの“見てる”に繋がる。やめろ。
ミツはメニューも見ずに言う。
「とりあえずハイボール」
私は言う。
「私、酒弱い」
ミツが言う。
「弱いなら薄めればいい。薄いハイボールにしろ。水みたいに飲め」
水みたいに飲め。
水は昼飯、まだ死んでない確認。
酒を水扱いするな。死ぬやつだろ。
店員が来る。
ミツが言う。
「ハイボール二つ。濃いめ」
私は即言う。
「え、待って。濃いめいらない」
ミツが平然と言う。
「大丈夫。濃いめの方が効く」
効く。
その言葉、危ない。
効くものほど私を壊す。
でも壊れたい夜がある。
今日みたいに。
注文が通る。
戻れないレールが敷かれる。
レールは楽だ。
楽は危ない。
2
ハイボールが来る。
透明な液体。氷。気泡。
見た目が優しい。
優しい顔は近づいてくる。
私はグラスを持つ。
持った瞬間、心臓が少し黙る。
黙るのが怖い。
黙った分だけ、別の音が聞こえるから。
ミツが言う。
「乾杯。生き延びた記念」
生き延びた記念。
記念って言葉が嫌。
私の人生、記念日にするほど立派じゃない。
でも乾杯の音は、ちょっとだけ好きだ。
カチン。
その音が、コトンに似てて嫌なのに、安心する。
私は一口飲む。
炭酸。
アルコール。
喉が熱くなる。
熱は、当たりでしか作れない気がしてた。
でも酒でも作れる。
作れるって知るのが、怖い。
逃げ道が増えるから。
ミツは一気に飲む。
「ぷは」
この“ぷは”が、妙に生きてる音でムカつく。
ミツが言う。
「最近どうよ。パチ」
私は言う。
「行ってない日もある」
ミツが言う。
「偉いじゃん」
偉いって言うな。
偉いって言葉は私に効く。
効くと、褒められるために壊れたくなる。
私は言う。
「偉くない。スズがうるさい」
ミツが笑う。
「友達じゃん」
私は反射で言う。
「友達じゃない」
ミツはタバコが吸えない苛立ちみたいな顔で言う。
「友達じゃないって言うやつ、だいたい助かってる」
助かってる。
その言葉も嫌い。
助かってるって言われると、私が弱いみたいになる。
弱いのは事実だからムカつく。
私はハイボールをもう一口飲む。
熱が少し増える。
増えると、言葉が軽くなる。
軽い言葉は危ない。
3
二杯目。
ミツが勝手に頼む。
「ハイボール追加」
私は言う。
「一杯だけって言った」
ミツが言う。
「一杯だけって言うやつは二杯飲む。統計」
統計やめろ。
最近みんな統計とか手順とか言ってくる。
世界が私を矯正しようとしてる感じがして腹立つ。
でも二杯目が来た瞬間、私は少しだけ嬉しい。
嬉しいのが終わり。
グラスを持つ。
もう苦くない。
炭酸が優しい。
優しいものほど信用できない。
でも私は信用したい。
今だけ。
ミツが言う。
「ユメカネ、最近どう」
胃が冷える。
冷えると、酒が欲しくなる。
欲しくなるってことは、私はすでに依存の導線に乗ってる。
私は言う。
「ブロックした」
ミツが目を丸くする。
「え、やるじゃん」
やるじゃん。
軽い褒め言葉。
軽い褒め言葉ほど、私の脳が勝手に“許された”に変換する。
許されてないのに。
私は言う。
「効かないけど」
ミツが頷く。
「効かないけど、やったのがでかい。効かないって分かってるのにやるの、強い」
強い。
強いって言葉、怖い。
強いって言われると、強いフリをしたくなる。
強いフリは、誰かの言いなりになる。
私は言う。
「強くない。怖かっただけ」
ミツが笑う。
「怖いのにやったなら強いだろ」
ムカつく。
正しいこと言うな。
ヤニカスのくせに。
私はハイボールを飲む。
熱が増える。
熱いと、私は少しだけ大胆になる。
大胆になると、終わる。
4
スマホが震える。
テーブルの上。
画面が光る。
光は、私を呼ぶ。
私は反射で伏せる。
でも伏せた瞬間、ミツが言う。
「来た?」
私は言う。
「……知らない番号」
嘘。
プレビュー見えた。
見えたけど見てないフリ。
見てないフリって、見てるより弱い。
ミツが言う。
「見せろ」
「やだ」
「見せろ」
命令形。
命令形は嫌いなのに、今は助かる。
私は画面を少しだけ見せる。
プレビュー。
『今、飲んでる? えらい。』
ユメカネの匂い。
優しい顔の文体。
見てる。
見てるってことは、ここも見てる。
居酒屋の明るさが、急に怖くなる。
人が多いのが、盾じゃなくて舞台になる。
ミツが舌打ちする。
「キッショ」
キッショ。
その言葉が、今日初めてちゃんと味方に聞こえる。
ミツが言う。
「返信すんなよ」
私は言う。
「分かってる」
分かってる顔じゃないのを、自分でも分かる。
指がうずく。
うずきは、酒じゃない。
依存だ。
“返したら終わり”って分かってるのに、返したい。
返すと、相手に“届く”。
届くと、私は存在できる気がする。
存在のために、私は首輪を買う。
最悪。
ミツが言う。
「コハク。酒は逃げ道だけど、返信は首輪。違う」
違う。
その区別をつけられるのが、怖い。
私は自分のクズさを、酒で曖昧にしたかった。
なのにミツは、曖昧にさせてくれない。
ムカつく。
でもムカつくってことは効いてる。
私はスマホを伏せて、ハイボールを一気に飲んだ。
炭酸が喉を叩く。
熱が胃に落ちる。
落ちた瞬間、胸が少し静かになる。
静かになると、今度は涙が出そうになる。
酒って、変な方向に静かにする。
静かにする場所を間違える。
私は笑うみたいな声で言った。
「……酒、怖い」
ミツが言う。
「怖いから飲むんだよ。怖いものは、怖いって言える方がマシ」
マシ。
マシって言葉、最近増えた。
私の人生、マシでできていく。
派手じゃない。
でも派手じゃない方が、生き残る。
5
終電が近い。
ミツが言う。
「帰るぞ」
私は言う。
「え、まだ飲める」
言った瞬間、自分で分かる。
これ、パチ屋の「まだいける」だ。
言葉の形が同じ。
依存って、場所じゃなくて口癖なんだ。
ミツが即言う。
「それ、呪文。言うな」
私はキレそうになる。
キレたら楽になる。
楽になると、飲む。
飲むと、帰れない。
帰れないと、明日が死ぬ。
私は歯を食いしばる。
ミツが言う。
「今日は帰れたら勝ち。ハイボールで溶けるな」
溶けるな。
溶ける場所が変わっただけで、私は同じことをしようとしてる。
それが悔しい。
悔しいと、また飲みたくなる。
最悪の循環。
私は立つ。
立てた。
足がふわふわする。
ふわふわは危ない。
でもミツが腕を引く。
外力。
外力って、助かる。
助かるのがムカつく。
6
外。
夜風。
冷たい。
冷たいと現実が戻る。
現実は痛い。
でも今日は、痛い現実の方がマシ。
駅前のパチ屋の看板が光ってる。
酒でふわふわしてる私には、あの光がいつもより優しく見える。
優しい顔は近づいてくる。
私は一瞬、足が止まりかける。
ミツが言う。
「見んな」
私は言う。
「見てない」
「見てる。目が」
目が。
尻尾じゃなくて目。
私の個人情報、全部バレる。
最悪。
ミツが言う。
「今日は酒で逃げた。それでいい。でも店には逃げるな。逃げ道を一本にするな」
一本にするな。
その言葉が、妙に刺さる。
逃げ道が増えると、私はどれもやめられなくなる。
だから今日は、酒だけで終わらせる。
終わらせるって、こんなに難しい。
でもミツが腕を引く。
私は引かれる。
引かれるのが悔しい。
悔しいのに助かる。
それが友達ってやつなら、ムカつくけど認める。
7
家。
布団。
スマホが震える。
ユメカネ。
伏せる。
伏せたまま、私は声に出す。
「返信しない」
言葉を有料にする。
無料の誓いは破れる。
でも有料の誓いは、ちょっとだけ残る。
ミツからメッセが来る。
『生きて帰れた?』
私は打つ。
『帰れた。ムカつく』
返信が来る。
『ムカつくなら勝ち。寝ろ』
寝ろ。
命令形。
命令形は嫌いなのに、今日も助かる。
私は目を閉じる。
ハイボールの炭酸がまだ喉に残ってる。
胃が温かい。
温かいのが怖い。
温かいと、人は判断を間違える。
でも今日は、間違えそうな自分を外力で引っ張れた。
それだけで、今日は勝ちにしてやる。
私はピンク尻尾を握って言った。
「……最悪」
でも今日の最悪は、パチ屋の最悪じゃない。
酔いの最悪。
帰れた最悪。
生き残る最悪。
そして静かな部屋で、コトンが鳴りかけたけど——
今日は、ハイボールの気泡の音の方が先に消えてくれた。
一回だけ。
それが、今日の勝ち。




