第16話 "Caffeine" Friend
朝
返済した翌日の朝って、世界が静かすぎる。
静かって、優しい顔してるくせに、ちゃんと刺してくる。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
枕元のスマホは、鳴ってないのに鳴ってる気がする。
体が先に怯える。便利。最悪。
通知は来てない。
ユメカネはブロックした。
ブロックって現実に効かない。
でも、効かないって知りながらやったことだけ、ちょっとだけ私の中で重い。
その重さが、逆に不安を呼ぶ。
不安って、軽い音で近づいてくる。
パチ屋の自動ドアみたいに。
私は布団から出て、財布を触る。
薄い。
薄い財布は、私をパチ屋へ押す。
でも今日は行かない。
行かないって決めた。
決めたことを無料にしない日。
そう思った瞬間、足が勝手に駅前の方角を向く。
向くな。
向くなって思うほど向く。
私は自分にキレた。
「……黙って真っ直ぐ、生きろよ、私」
言ったのに、玄関の鍵を開けた。
1
駅前へ向かう道。
朝のコンビニは明るい。
明るい場所は信用できないのに、私は入る。
理由は簡単。
飲み物。
飲み物を買うっていう“小さい行為”で、今日の自分を動かしたい。
動かしたいって思う時点で、もう不安に負けてる。
冷蔵棚の前で、私は手が止まる。
水。
エナドリ。
缶コーヒー。
どれも「まだ死んでない確認」みたいな顔してる。
私は水を取る。
まともなふり。
その瞬間、背後から声。
「コハク?」
呼び方が短い。
短い呼び方って、丁寧じゃないから安心する時がある。腹立つ。
振り返ると、いた。
でかいタンブラー。
黒い服。
目の下のクマ。
手には、もう一本、コンビニのブラック。
「……スズ」
スズ。鈴。
同年代かちょい上。
私が昔、短期の現場で一回だけ一緒になって、なぜか連絡先だけ残ってた人。
残ってる連絡先って、だいたいロクなことに使われない。
でも今は、スズの存在が現実っぽい。
現実っぽいものは、パチ屋よりちょっとだけ正しい。
スズが私のピンク尻尾を見て、眉も動かさずに言う。
「尻尾、派手」
私は即答する。
「うるさい。百均」
スズは頷く。
「百均、偉い。止める意思がある色」
偉いって言うな。
偉いって言葉は私に効く。効くと腹立つ。
私は言う。
「止める意思じゃない。恥」
「恥でもいい。止まるなら」
その言い方がムカつく。
でもムカつくのに、ちゃんと効く。
スズはレジに向かいながら言った。
「今日、顔が“行く”って顔。どこ行くの」
私は、嘘をつく前に口が動いた。
「……駅前」
スズが即言う。
「パチ?」
私は言う。
「……違う」
嘘。
嘘って分かってる。
でも“違う”って言うと、私はまだ人間側にいる気がする。
スズはレジで会計して、私にブラックを一本差し出した。
「飲む」
命令形。
命令形って嫌いなのに、今日は助かる。
私は言う。
「いらない」
スズが言う。
「いらないなら捨てる。捨てるのはもったいない。だから飲む」
意味が強引。
強引な理屈は、私の頭の中の詐欺師に似てる。
似てるからムカつく。
でも詐欺師と違うのは、スズの強引さは財布じゃなくて“足”を止めに来てること。
私は受け取ってしまう。
受け取った瞬間、指が震える。
震えはカフェインじゃない。いつもの不安。
スズが見て言う。
「手、揺れてる。眠い?」
私は言う。
「怖い」
スズは一瞬だけ黙って、すぐ言う。
「じゃあ、起こす」
2
コンビニを出る。
朝の空気が冷たい。
冷たいと現実が戻る。現実は痛い。
痛いと、私は音を欲しがる。
音=パチ屋。
その公式が、私の中にこびりついてる。
スズは歩き出す。
駅前方向じゃない。
逆方向。
私は言う。
「どこ行く」
スズが言う。
「散歩。20分。カフェイン効く前に歩く」
「効く前にって何」
スズはタンブラーを振る。
中の氷がカラカラ鳴る。
その音が、私の中の“コトン”に似てて嫌。
でもパチ屋のコトンより弱い。
弱い音は、私を殺さない。
スズが言う。
「カフェインって、味じゃない。手順。飲む→歩く→呼吸整う→不安が1段落ちる」
手順。
ハルが言ってた言葉。
“宗教じゃない。手順っすよ”
私はムカつく。
私の周り、手順で人生を殴ってくるやつが多い。
でも手順って、殴り方が雑じゃない分、余計に刺さる。
私はブラックを開ける。
プシュッ。
この音だけで少し落ち着くのが最悪。
私は一口飲む。
苦い。
苦いのに、目が覚める。
覚めると、パチ屋の幻聴が少し遠のく。
遠のくと、逆に自分の心臓が聞こえる。
心臓の音、うるさい。
スズが言う。
「今、胸うるさい?」
私は言う。
「うるさい」
「じゃあ数える。歩数。信号までで100」
「何それ」
「数えると、脳が別の仕事する。脳に“回転”以外の仕事を渡す」
回転。
その単語が刺さる。
パチ屋だけの言葉じゃないのに、私の中ではパチ屋の言葉だ。
私は言う。
「……私、終わってる」
スズが言う。
「終わってる人は、終わってるって言わない」
「言うよ」
「言ってる時点で、まだ動ける」
動ける。
動けるって言葉が怖い。
動けるなら、またパチ屋へ動けるから。
私は言い返す。
「動けるのが良いとは限らない」
スズが即答する。
「限らない。でも今日は“動く方向”を変える」
方向。
方向音痴じゃない。依存症だ。
でも方向を変えるって言い方は、ちょっとだけ希望みたいでムカつく。
3
歩いてるうちに、私は気づく。
スズの歩き方、速い。
速いって、焦りの歩き方だ。
スズは落ち着いて見えるのに、落ち着いてない。
落ち着いてないのに、落ち着いたふりが上手い。
それが、私のパチ屋の顔に似てる。
私は言う。
「スズ、眠いの?」
スズは即答する。
「眠い」
「じゃあ何でそんな元気」
「元気じゃない。起きてるだけ」
起きてるだけ。
その言い方が、私の“まだ負けてないだけ”に似ててムカつく。
私はブラックをもう一口飲む。
苦さが胃に落ちる。
落ちた苦さが、パチ屋の甘い光より本物っぽい。
スズが言う。
「コハク、今日どれくらい寝た」
「寝てない」
「何で」
「静かで怖かった」
スズが頷く。
「静けさは怖い。だからみんな音に行く」
みんな。
そう言われると少しだけ楽。
私だけがクズじゃない気がする。
楽になるのが怖い。
楽は危ない。油断する。油断すると曲がる。
私は言う。
「でも音は、私を溶かす」
スズは言う。
「だから音を変える。パチ屋の音じゃなくて、コンビニの冷蔵棚の音とか、歩道の信号の音とか」
「そんなので足りる?」
スズは言う。
「足りない。だから足りないままにする」
足りないまま。
それはつまり、“満たされる”を諦めるってこと。
それ、強い。
強いのに、地味。
地味な強さは、パチ屋の派手さより怖い。
4
駅前の近くまで戻ってくる。
戻ってくるって言葉が嫌。
戻るって、いつも悪い戻り方だったから。
でも今日はスズと戻ってきた。
戻り方が違うだけで、景色が少しだけ違う。
駅前のパチ屋の看板が見える。
光ってる。
優しい顔してる。
「おかえり」って言ってる。
私は一瞬、足が止まる。
止まった瞬間、尻尾がピンクの中で揺れる。
恥じゃない揺れ。
欲の揺れ。
最悪。
スズが横で言う。
「止まった」
私は言う。
「してない」
「してた。今、呼ばれた顔してた」
呼ばれた顔。
その言い方がムカつくほど当たってる。
私はキレたくなる。
キレたら楽になる。
楽になると、行ける。
私は歯を食いしばる。
スズが言う。
「コハク。今日の勝ち方、簡単」
「何」
「入口まで行かない。看板見ながら、コンビニ入る」
「……それ勝ち?」
スズが言う。
「勝ち。だって“曲がった”を、“曲がり直す”に変えた」
曲がり直す。
その言葉が刺さる。
私、曲がったら終わりだと思ってた。
曲がった瞬間に負けが確定すると思ってた。
でも曲がり直せるなら、負けは確定じゃない。
その希望が怖い。
希望は嘘になるから。
でも今日は希望を“手順”で扱う日。
私は言う。
「……コンビニ、さっき行った」
スズが言う。
「もう一回行く。今日のテーマは“同じ場所を別の理由で使う”」
パチ屋じゃなくて、コンビニ。
同じ駅前でも、別の導線。
その発想が、ムカつくほど正しい。
私は足を動かす。
パチ屋じゃない方へ。
足が動く。
動いたことが怖い。
でも動いた。
スズが言う。
「はい。今日、1勝」
「1勝って言うな」
「じゃあ1回。生存確認」
生存確認。
水のときと同じ言葉。
私はブラックを飲んで、苦さで現実を口に入れた。
5
夜。
家。
静か。
静かすぎて怖い。
でも今日は朝より静けさがマシ。
理由は、歩いたから。
苦いのを飲んだから。
看板の前で曲がり直したから。
全部、小さい。
小さい勝ちは、派手じゃないから不安になる。
不安になると、また音が欲しくなる。
私はスマホを見る。
通知はない。
ないのに、私は手が触りたくなる。
触りたくなる衝動って、カフェインじゃなくて依存だ。
私はスズにだけメッセを送る。
『今日、行かなかった。ムカつく』
返信がすぐ来る。
『ムカつくなら効いてる。ブラック飲んで寝ろ。寝れなくても横になれ』
寝ろ。
命令形。
命令形は嫌いなのに、今日は助かる。
私は布団に潜る。
ピンク尻尾を丸める。
丸めた尻尾が、静かに揺れる。
揺れ方が、いつもの欲の揺れじゃない。
疲れの揺れ。
疲れは、現実の証拠。
現実は痛いけど、今日は現実で終われた。
私は小さく言う。
「……最悪」
でも今日の最悪は、パチ屋の最悪じゃない。
苦い最悪。
眠い最悪。
生きてる最悪。
そして最後に、スマホが一回だけ震える。
知らない番号じゃない。
ユメカネじゃない。
スズ。
『明日も起こす。逃げ道、増やすな。方向だけ変えろ』
方向だけ変えろ。
その言葉が、私の頭の中のコトンより少しだけ強かった。
私は目を閉じた。
静か。
静かの中で、今日は“戻れ”が鳴らなかった。
一回だけ。
それが、今日の勝ち。




