第15話 返済日
朝
返済日って、天気と関係ないのに空がやたら白い。
白い空は「やり直せ」って顔してくる。やり直せるわけないのに。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
スマホが震える。
ユメカネ。
『今日、月末。約束、覚えてるよね。えらい。』
えらい。
返済日に「えらい」って言うやつ、信用できない。
褒めてから回収するタイプ。
私は返信しない。
しないって決めた。
でも昨日までの私は、決めたことを無料にしてた。
今日は、有料にする日。
枕元の封筒を開ける。
札がある。昨日の勝ちの残骸と、日払いの残りと、必死の残り。
足りるかは分からない。
でも“足りない”って言い方をすると、私はまた「じゃあ当てに行く」になる。
だから私は言い方を変える。
「……返す分だけは、ある」
言い方が弱い。
弱い言い方は、私を守るときがある。
1
昼前。
ハルから返信が来た。
遅い。遅いのに、来た瞬間、息が戻るのがムカつく。
『共有って言われたなら、今日払わない方がいい。場所変えましょう。交番近く』
払わない方がいい?
でも私は払うって言った。
払うって言った自分が、今日の自分を縛る。
縛りは嫌いなのに、今日は縛りが必要。
私はスマホを握って打つ。
『払う。払わないと、首輪が締まる』
既読がすぐ付く。
ハルの既読は、パチ屋の当たりより安心するのが最悪。
『じゃあ“払う場所”を選ぶ。カフェじゃない。駅ビルのフードコート。人とカメラ多い』
カメラ。
その単語が胃に効く。
でも効くってことは、現実に効く。
現実は痛いけど、今日は現実の痛さを使う日。
2
駅ビル。
フードコートの端。人が多い。うるさい。子どもの泣き声。トレーの音。店員の呼び声。
この音は、パチ屋の音より雑で、正しい感じがしない。
でも正しくない音の方が、私には必要かもしれない。
ハルがいた。
フード。小柄。目が冷たい。
今日は冷たい目が、味方っぽい。
「狐さん」
私は言う。
「呼ぶな。目立つ」
「目立つ方が安全っす」
「安全って言葉、信用できない」
「信用できないから使うんすよ」
ムカつく。
でも正しい。
私はバッグの奥の封筒を触る。
触るだけで昨日の音が蘇る。
ジャラジャラ。コトン。
思い出すな。今日は思い出す日じゃない。
ハルが言った。
「手順、ひとつ。封筒は出さない。スマホで送金できるならそれ。できないなら、封筒出すのは最後」
私は言う。
「送金とか知らない」
「じゃあ現金。でも渡し方を決める。“全部渡して終わり”って形にする。相手の提案は全部聞かない」
全部聞かない。
それが一番難しい。
聞きたくなるから。優しい顔の提案は、脳の弱い場所を撫でるから。
私は舌打ちして言う。
「……今日は、キレない」
ハルが言う。
「キレてもいい。キレる前に“帰る”って言う」
帰る。
無料の言葉。
今日は有料にする。
3
来た。
ユメカネ。
黒いジャケット。細い指。優しい口。目だけ笑ってない。
歩き方が丁寧で腹立つ。丁寧は刃物の鞘だ。
男は私を見つけて、すぐ笑う。
「コハクさん。来てくれてありがとう。えらい」
私は言う。
「えらいって言うな」
男は困った顔をする。上手い困った顔。信用できない。
「ごめん。じゃあ…約束、守れる?」
守れる。
その単語で、喉が狭くなる。
守れるかどうかって聞かれると、守れない自分が先に浮かぶ。
浮かんだ瞬間に、パチ屋の看板が頭の中で光る。
やめろ。
今日はフードコートだ。
私はバッグを開けて、封筒をテーブルに置く。
置いた瞬間、手が震える。
震えは恥と怒りと怖さの混ざったやつ。
ピンク尻尾が椅子の影で揺れる。最悪の実況。
男は封筒を見て、にこっと笑う。
「すごい。できたね」
できたね。
その言い方、子ども扱いでムカつく。
でも私は子どもみたいに逃げてきた。
ムカつくほど効く。
男が続ける。
「でもね、コハクさん。これで終わりじゃない。終わらせ方を—」
ハルが口を挟む。
「話、長くしないでください。ここ、フードコートっす」
男の笑顔が一ミリ薄くなる。
薄くなると、やっと人間っぽい。最悪。
「友達さん、今日もいるんだ」
ハルが即答する。
「いるっす。で、要件は“回収”ですよね。なら金受け取って終わりにしてください」
回収。
その言葉をここで使うな。パチ屋の言葉を現実に持ち込むな。
でも男は笑う。
「回収って言い方、怖いよ。僕らは—」
私は言う。
「受け取って。終わりにして」
声が思ったより低く出た。
低い声は、パチ屋の爆音より強い感じがする。
男は封筒に手を伸ばす。
伸ばす指が綺麗でムカつく。綺麗な指ほど人の生活を汚す。
男が封筒を開けようとする。
ハルが言う。
「開けないで。金額確認はこっちで言います」
男が私を見る。
「じゃあ、いくら?」
私は息を吸って、吐く。
「四万。これで終わり」
言った瞬間、自分の中の何かが一回だけ静かになる。
パチ屋の音が、頭の奥で一瞬消える。
消えるのが怖い。
でも今日は、その怖さを使う日。
男は少しだけ首をかしげる。
「四万“だけ”で終わると思ってる?」
だけ。
またその言葉。
“だけ”は嘘。
でも今日は、嘘でもいいから言い切る。
私は言う。
「終わる。終わらせる」
男は優しい声で言った。
「コハクさん、すごい。でも—」
私は遮る。
「“でも”いらない」
言えた。
言えたことが、胃に刺さる。
刺さるけど、刺さるってことは生きてる。
男は一瞬黙って、封筒を閉じた。
「分かった。受け取る。…でも、次の話は—」
ハルが立つ。
「次ないっす。帰ります」
私は立つ。
立った瞬間、足が少し震える。
震える足で、歩けるのが悔しいくらい嬉しい。
4
帰り道。
駅の外に出ると空気がうまい。うまい空気は泣きたくなるから嫌い。
私は泣かない。泣いたら負ける気がする。
でも今日は、勝ちと負けがごちゃごちゃだ。
ハルが言う。
「狐さん、今、音が静かっすね」
私は言う。
「静かって言うな。怖い」
「怖いのが正常っす」
正常。
その単語もムカつく。
正常って、私を責める言葉に見えるから。
でも今日は責められたいんじゃない。
戻りたい。
パチ屋に。
あの音に。
返済したご褒美みたいに、行きたくなる。
ご褒美って言葉が頭に浮かんだ瞬間、私は自分にキレた。
「……行きたくなってる」
ハルが頷く。
「なるっす。返済って、脳にとって“勝ち”扱いだから。勝ったら、次も勝ちたくなる」
最悪の仕様。
私は言う。
「じゃあどうすんの」
ハルが言う。
「今日は、帰る。パチ屋の前通らない。遠回り」
遠回り。
遠回りって言葉は、負けみたいで嫌い。
でも今日は負けみたいな勝ちが必要。
私はうなずく。
うなずいた瞬間、尻尾がピンクの中で小さく揺れた。
喜びみたいに。
その喜びが一番怖い。
喜びは次を呼ぶから。
5
夜。
部屋に戻る。
静か。
静かすぎて心臓がうるさい。
うるさい心臓は「戻れ」って言う。
でも今日は、戻る場所を一個だけ減らした。
それだけで世界が変わるわけない。
変わらない。
でも変わらない中で、私は一回だけ違うことをした。
スマホを見る。
通知が来てる。
ユメカネ。
『今日はありがとう。えらい。次はもっと楽に—』
私は、ブロックした。
ブロックは現実に効かない。
分かってる。
でも“効かない”って知りながらやる行為は、私の中でちょっとだけ強い。
強いのが怖い。
強いと、また賭けたくなるから。
ミツから。
『生きてる? 返せた? ヤニで祝う?』
レンから。
『数値、確定した? たぶん卒業?』
アオイから。
『音、欲しくなったら来い。パチじゃない音用意する』
ハルから。
『今日の勝ちは、静かなやつっす。静かな勝ち、逃げないで』
静かな勝ち。
逃げないで。
私は布団に潜って、ピンク尻尾を握った。
握ると、恥が少しだけ働く。
恥は私を救わないと思ってた。
でも今日、恥は“帰る”を手伝った。
私は小さく言った。
「……最悪」
でも今日の最悪は、溶ける前の最悪じゃない。
溶けないための最悪だ。
静かで、苦くて、腹が減る。
でも腹が減るってことは、生きてる。
私は水を飲んで、まだ死んでない確認をして、目を閉じた。
そして、頭の中で鳴りかけたコトンを、今日は無視できた。
一回だけ。
それが、今日の勝ち。




