第13話 魔が差した
夜の駅前って、光が多すぎる。
光が多い場所はだいたい金が減る。パチ屋も、コンビニも、カラオケも。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
カラオケで声を出した翌日。
声を出したぶんだけ、現実が少しだけ近い。
近い現実は、痛い。
痛いと、逃げ道が欲しくなる。
逃げ道は、私の足より先に私を歩かせる。
スマホが震える。
知らない番号じゃない。
知らない番号より嫌なやつ。
ユメカネ。
『おはよ。昨日は楽しそうだったね。えらい。』
楽しそうだったね、って何。
見てたってこと?
「えらい」って何。
褒めるな。褒められたら、私の生活が“許されてる”みたいになる。
許されてないのに。
私はスマホを伏せて、息を吐いた。
吐いた息が薄い。
薄い息は、負けの息。
私は言った。
「……うるさい。今日は、静かになりたい」
静かになりたい。
それはつまり、音が欲しいってこと。
最悪。
1
昼のバイトは、何とか終わった。
何とかって言葉は便利。
便利な言葉ほど、何も解決しない。
帰り道。
足が勝手に駅前の方に曲がる。
曲がった瞬間、私は自分にキレた。
「黙って真っ直ぐ帰れよ、私」
言ったのに、曲がった。
いつも通り。
駅前のパチ屋の看板が光ってる。
相変わらず優しい顔で「おかえり」って言ってくる。
私は看板を見ないようにして、見た。
見た瞬間に、脳が言う。
“今日は、少しだけでいい”
少しだけ。
人生で一番信用できない言葉。
少しだけって言うやつは、だいたい全部持ってかれる。
でも私は、持ってかれる側の才能がある。
私の中の理屈の詐欺師が、今日も元気。
「今日は勝つかもしれない」
勝つ?
勝つって言葉、誰の口からも出てないのに、私の頭の中で鳴る。
鳴るってことは、音だ。
音だってことは、正しい。
……違う。
音が正しいのはパチ屋の中だけだ。
外の音はだいたい嘘。
でも私は、嘘でもいいから今は軽くなりたい。
軽いと戻る。
戻ると溶ける。
分かってるのに、足が止まらない。
自動ドアが開く。
開くときだけ優しい。
閉まるときは冷たい。
人生と同じ。
私は入った。
2
店内の空気が肺に入った瞬間、分かる。
「ここでは深呼吸するな」
でも深呼吸した。
カラオケのせいで。
声を出したあとの肺は、余計に空気を欲しがる。
欲しがるのは良いことみたいな顔をする。
欲しがるものほど、私を壊す。
島を歩く。
音、光、熱。
全部が「戻ってきたね」って言ってくる。
言葉じゃないのに、言ってくる。
機械のくせに。
私は空いてる台を探すふりをして、もう決めてた。
海。
安定とか言われる、あの島。
安定して負ける島。
でも今日は、「安定して戻りたい」気分だった。
最低の安定。
座る。
尻尾を押し込む。
ピンクなのに押し込む。
意味ないのにやる。
儀式は、意味がないから効く。
財布を開く。
千円札が二枚。
硬貨。
あと、日払いの封筒の残り。
軽い。
軽いのに、脳が嬉しそう。
軽いものほど溶けやすいのに。
私は言った。
「……千円だけ」
言った瞬間、脳が笑った。
嘘つきの笑い方。
その笑い方が一番ムカつくのに、私は笑い方に慣れている。
両替機に札を食わせる。
飲まれる音が、嫌に気持ちいい。
現金が玉に変わる瞬間だけ、世界が「可能性」っぽい顔をする。
可能性は最初だけ優しい。
そのあと普通に刺してくる。
私はハンドルを握った。
最初の一玉が跳ねた。
——コトン。
この音だけで、「まだ終わってない」って思えるのが終わってる。
回る。
外れる。
回る。
外れる。
いつも通り。
いつも通りの安心。
安心は危ない。
安心すると、欲が出る。
欲は、私の尻尾より先に揺れる。
3
三百円くらい溶けたとき。
いきなり、画面が静かになった。
静かになったのに、怖くない。
怖くないのが怖い。
海の魚が、いつもより丁寧に泳いで見える。
丁寧な演出はだいたい嘘。
でも今日の嘘は、優しい顔をしてる。
「リーチ」
派手じゃない。
赤でも金でもない。
ただの、地味なやつ。
地味なやつほど当たる時がある。
ない。
大体ない。
希望って基本的に嘘。
私は口に出す。
「当たったら真人間」
もうこの祈りも、口癖になってる。
口癖は首輪になる。
無料のくせに。
画面が揺れる。
魚が、変に光る。
音が一段だけ太くなる。
——当たった。
当たった瞬間、頭の中が白くなる。
白は綺麗で、ムカつく。
ムカつくのに、胸が軽い。
軽いのが怖い。
軽いと戻る。
戻ると溶ける。
でも今は、軽いが気持ちいい。
最悪。
払い出しの音。
ジャラジャラ。
ジャラジャラ。
音が、私の脳の角を丸くする。
角が丸いと、優しくなれる。
優しくなった私は、自分に甘くなる。
甘くなると終わる。
画面が言う。
「確変」
確変の文字が出るだけで、世界が許されたみたいになる。
許されてない。
私は借金がある。
見られてる。
月末が来る。
なのに、確変の文字は全部を消す。
消してくれるから、私はそれを好きになる。
好きになるから、殺される。
分かってるのに、私は笑いそうになる。
笑うと尻尾が揺れる。
尻尾が揺れると負ける。
でも今日は、揺れる。
止められない。
ピンクの尻尾カバーの中で、尻尾が暴れてる。
個人情報が反乱してる。
4
連チャンが続く。
続き方が、嘘みたいに綺麗。
外れがない。
煽りが全部当たる。
いつもの私の世界じゃない。
世界が違うってことは、罠だ。
でも罠でもいい。
今は痛くないから。
音がずっと正しい。
店内の空気が、今日だけ優しい。
優しいものほど信用できない。
ユメカネの男と同じ。
——そう思った瞬間に、背中が冷える。
私は店内の通路に視線を向ける。
いた。
黒いジャケット。
細い指。
笑ってる口。
目だけが笑ってない。
優しい顔。
ユメカネ。
なんで。
なんでここにいる。
ここは私の地獄で、あなたの職場じゃないだろ。
でも、地獄って他人の職場になりやすい。
私は、勝ってるのに、胃が冷える。
冷えた胃は、もっと熱を欲しがる。
熱は、玉でしか作れない気がする。
私はハンドルを握り直した。
握り直した瞬間、私は終わった。
「勝ってる時ほど、やめられない」
レンの言葉が頭に浮かぶ。
浮かんだのに、手は止まらない。
止められない自分が、勝ってるのが一番怖い。
勝利が私を助けない。
勝利は、私を深く沈める。
ユメカネの男は、近づいてこない。
近づかない優しさ。
それが一番嫌。
遠くから見てる。
見てる。
またその言葉。
首輪の音がする。
私はスマホが震えたのを感じる。
見ない。
見ないって決めた。
決めたはず。
でも勝ってる手は、スマホも触れる。
触れる手は、もう私の手じゃない。
私はスマホを見た。
通知。
『今、すごいね。コハクさん、やればできる。えらい。』
えらい。
その言葉が、脳の一番弱い場所を撫でる。
撫でるな。
撫でたら、私は自分で自分を売る。
でも撫でられた瞬間、私は思ってしまう。
“私、ちゃんとやれてる”
パチ屋で。
借金の中で。
音の中で。
ちゃんとやれてるわけないのに。
でも勝ちがあると、全部“努力”に見える。
努力って、罠の言い換え。
私は手が震えるのを止められない。
震えが、快感と恐怖の混ざったやつ。
最悪のミルク。
5
気づいたら、箱が二つになってた。
箱が二つって、現実が二つになる感じがする。
重い。
重いのに、私の心臓は軽い。
軽い心臓は危険。
軽い心臓は「もっといける」って言う。
軽い心臓は、店の味方。
私は「やめる」の言葉を探す。
口の中にない。
無料の言葉なのに、出てこない。
代わりに出てくる言葉は一個。
「まだいける」
負けの呪文。
でも今日は勝ってる。
勝ってるのに負けの呪文を唱える。
これが地獄。
連チャンが止まった。
止まった瞬間、世界の色が戻る。
戻った色は、惨めだ。
私は箱を見て、突然怖くなる。
「……これ、持って帰れるの?」
勝ってるのに、帰れない気がする。
勝ってるのに、帰ったら死ぬ気がする。
帰ったら現実が始まる。
現実は利息が育つ。
ユメカネの男は、遠くで笑った。
笑ってない目で笑った。
目で笑わない笑いは、回収の笑いだ。
私は胸が苦しくなる。
苦しいと、音が欲しくなる。
音が欲しいと、ハンドルを握る。
私は握った。
追加で札を入れた。
気づいたら入れてた。
千円縛りは、どこかで死んだ。
死んだのに、私は生きてる。
生きてるから、もっと死ねる。
最悪。
6
大勝ちは、さらに大勝ちを呼ぶ。
呼ぶって言い方、運が良いみたいでムカつく。
これは運じゃない。
これは店が私を選んでるだけ。
選んでるって言い方、特別みたいでムカつく。
特別じゃない。
回収のための特別。
私はまた当てた。
また伸びた。
箱が三つになった。
周りの目線が刺さる。
刺さる目線は、羨望じゃない。
「戻れないやつ」の目。
「今日だけ勝って、明日死ぬやつ」の目。
私はその目に慣れてる。
慣れてるのが一番終わってる。
尻尾が揺れる。
ピンクの中で暴れる。
恥で止める道具だったのに、今日は恥が追いつかない。
私の恥は、勝ちに負ける。
恥より強い快感があるのが一番怖い。
7
いつの間にか、隣にハルがいた。
フード。
小柄。
目が冷たい。
冷たい目は賢いか悪いか、どっちかだ。
だいたい悪い。
でもハルは、今日は賢い目をしてる。
「……狐さん」
私は言う。
「来るな」
「もう来てます」
「来たなら帰れ。今、邪魔」
言葉が刺々しい。
勝ってるときの私の口は、負けてるときより酷い。
私は優しくなれない。
勝ちが、私を優しくしない。
ハルは箱を見て、顔色を変えないまま言った。
「勝ってるのに、負けてる顔っす」
私は言う。
「うるさい。勝ってる」
「勝ってるのは玉。狐さんは負けてる」
私はキレる。
「黙って! いま! 気持ちいいんだよ!」
言った瞬間、自分で分かる。
これ、終わりのセリフ。
“気持ちいい”って言った瞬間、私はもう止まれない。
ハルの視線が、少しだけユメカネの方へ動く。
私はそれで気づく。
ユメカネは、私だけを見てない。
ハルも見てる。
仲間も見てる。
見られてる。
見られてると、勝ちが“舞台”になる。
舞台の上の私は、下りられない。
下りたら負け。
勝ってるのに、下りたら負け。
最悪のルール。
8
ユメカネの男が、ようやく近づいてきた。
距離を詰めない優しさのまま、距離を詰めてくる。
「コハクさん、すごいね」
私は言う。
「見てるなって言っただろ」
「見てないと、応援できない」
応援。
その言葉、吐き気がする。
応援って言うやつは、だいたい回収する。
男は箱を見て、丁寧に頷いた。
「今日、月末じゃなくて“今”入れたら、楽になるよ」
楽になる。
その言葉は、一番危ない。
楽になるって言われた瞬間、人は売れる。
私は言う。
「……返せる」
男が笑う。
「返せる。えらい。じゃあ、返せる分だけじゃなくて、返せる“形”を選ぼう」
形。
形って言葉は、契約の匂いがする。
男は続ける。
「今日の勝ち、全部じゃなくていい。半分だけでもいい。半分入れたら、君の利息は優しくなる」
優しくなる。
優しい顔は近づいてくる。
私は胃が冷える。
冷えた胃は、また熱を欲しがる。
私はハンドルを握りたくなる。
現実の会話より、音の方が正しい気がする。
音に逃げたい。
逃げたら死ぬのに。
ハルが横から言う。
「明文化されてます?」
男は笑う。
「難しいよ。うちは柔らかいサービスなんで」
柔らかいサービス。
骨が折れる言葉。
ハルが言う。
「柔らかいって言葉、だいたい骨折れます」
男の笑顔が一ミリ薄くなる。
刺さった。
でも刺さっても、男は引かない。
引かないってことは、勝ってる。
この場で勝ってるのは、私じゃない。
勝ってるのは、ユメカネだ。
私の大勝ちは、ユメカネの勝ちに変換される。
私は気づく。
勝つって、こういうことじゃない。
でも遅い。
私はもう箱を持ってる。
箱は重い。
重いものは、私を守らない。
重いものは、私を縛る。
9
その夜。
家に帰れた。
帰れたのに、勝ってない。
勝ってるはずなのに、勝ってない。
部屋が静かすぎて怖い。
パチ屋の音がないと、心臓の音がうるさい。
うるさい心臓は、「戻れ」って言う。
スマホが震える。
ミツから。
『生きてる?』
レンから。
『収支、メモれ。たぶんが一番死ぬ』
アオイから。
『音、浴びたくなったら言え。パチじゃない音にしよ』
ハルから。
『今日の勝ちは、負けの入口っす』
私はスマホを伏せる。
伏せても、通知は鳴ってないのに鳴ってる。
体が先に怯える。
便利。最悪。
そして、ユメカネ。
『今日はありがとう。えらい。次は“もっと楽に”できるよ。』
楽に。
その言葉を見た瞬間、私の頭は勝手に映像を作る。
今日の確変。
今日の音。
今日の光。
あの気持ちよさ。
あの「私が許された」みたいな錯覚。
錯覚って分かってるのに、欲がそれを本物にする。
私は歯を食いしばって言う。
「……私は、勝った」
言った瞬間、尻尾が揺れた。
ピンクの中で、喜びみたいに揺れた。
喜びが揺れるのが、一番終わってる。
私は笑いそうになる。
笑うと軽くなる。
軽くなると戻る。
戻ると溶ける。
私は知ってる。
知ってるのに、知ってることが止めにならない。
私は布団に潜って、スマホを握ったまま、最悪の祈りを口に出した。
「……明日も、当たれ」
祈りは負ける。
いつも。
でも今日は勝った。
勝った日は、祈りが“願い”になってしまう。
願いは、首輪になる。
無料のくせに、一番高い。
部屋の静けさの中で、私は気づく。
私が今日壊れたのは、負けたからじゃない。
勝ったからだ。
勝てるって知ったからだ。
勝てるって知った人間は、負けるより厄介だ。
負けは諦めに繋がる。
でも勝ちは、未来を人質にする。
私はピンク尻尾を握って、いつもの言葉を言った。
「……最悪」
でも今日の最悪は、いつもの最悪と違う。
溶ける前の最悪じゃない。
溶けたあとに残る最悪だ。
そして残る最悪は、明日を呼ぶ。
呼ぶな。
呼ぶなって思うほど、呼ぶ。
私の頭の中で、もう一度だけ、あの音が鳴った。
——コトン。
それだけで、私は明日の自分が怖かった。




