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パチ中の狐、今日も溶ける  作者: もや兄


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13/30

第13話 魔が差した

夜の駅前って、光が多すぎる。


光が多い場所はだいたい金が減る。パチ屋も、コンビニも、カラオケも。


私はコハク。狐の獣人。女。


尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。


カラオケで声を出した翌日。


声を出したぶんだけ、現実が少しだけ近い。


近い現実は、痛い。


痛いと、逃げ道が欲しくなる。


逃げ道は、私の足より先に私を歩かせる。


スマホが震える。


知らない番号じゃない。


知らない番号より嫌なやつ。


ユメカネ。


『おはよ。昨日は楽しそうだったね。えらい。』


楽しそうだったね、って何。


見てたってこと?


「えらい」って何。


褒めるな。褒められたら、私の生活が“許されてる”みたいになる。


許されてないのに。


私はスマホを伏せて、息を吐いた。


吐いた息が薄い。


薄い息は、負けの息。


私は言った。


「……うるさい。今日は、静かになりたい」


静かになりたい。


それはつまり、音が欲しいってこと。


最悪。


1


昼のバイトは、何とか終わった。


何とかって言葉は便利。


便利な言葉ほど、何も解決しない。


帰り道。


足が勝手に駅前の方に曲がる。


曲がった瞬間、私は自分にキレた。


「黙って真っ直ぐ帰れよ、私」


言ったのに、曲がった。


いつも通り。


駅前のパチ屋の看板が光ってる。


相変わらず優しい顔で「おかえり」って言ってくる。


私は看板を見ないようにして、見た。


見た瞬間に、脳が言う。


“今日は、少しだけでいい”


少しだけ。


人生で一番信用できない言葉。


少しだけって言うやつは、だいたい全部持ってかれる。


でも私は、持ってかれる側の才能がある。


私の中の理屈の詐欺師が、今日も元気。


「今日は勝つかもしれない」


勝つ?


勝つって言葉、誰の口からも出てないのに、私の頭の中で鳴る。


鳴るってことは、音だ。


音だってことは、正しい。


……違う。


音が正しいのはパチ屋の中だけだ。


外の音はだいたい嘘。


でも私は、嘘でもいいから今は軽くなりたい。


軽いと戻る。


戻ると溶ける。


分かってるのに、足が止まらない。


自動ドアが開く。


開くときだけ優しい。


閉まるときは冷たい。


人生と同じ。


私は入った。


2


店内の空気が肺に入った瞬間、分かる。


「ここでは深呼吸するな」


でも深呼吸した。


カラオケのせいで。


声を出したあとの肺は、余計に空気を欲しがる。


欲しがるのは良いことみたいな顔をする。


欲しがるものほど、私を壊す。


島を歩く。


音、光、熱。


全部が「戻ってきたね」って言ってくる。


言葉じゃないのに、言ってくる。


機械のくせに。


私は空いてる台を探すふりをして、もう決めてた。


海。


安定とか言われる、あの島。


安定して負ける島。


でも今日は、「安定して戻りたい」気分だった。


最低の安定。


座る。


尻尾を押し込む。


ピンクなのに押し込む。


意味ないのにやる。


儀式は、意味がないから効く。


財布を開く。


千円札が二枚。


硬貨。


あと、日払いの封筒の残り。


軽い。


軽いのに、脳が嬉しそう。


軽いものほど溶けやすいのに。


私は言った。


「……千円だけ」


言った瞬間、脳が笑った。


嘘つきの笑い方。


その笑い方が一番ムカつくのに、私は笑い方に慣れている。


両替機に札を食わせる。


飲まれる音が、嫌に気持ちいい。


現金が玉に変わる瞬間だけ、世界が「可能性」っぽい顔をする。


可能性は最初だけ優しい。


そのあと普通に刺してくる。


私はハンドルを握った。


最初の一玉が跳ねた。


——コトン。


この音だけで、「まだ終わってない」って思えるのが終わってる。


回る。


外れる。


回る。


外れる。


いつも通り。


いつも通りの安心。


安心は危ない。


安心すると、欲が出る。


欲は、私の尻尾より先に揺れる。


3


三百円くらい溶けたとき。


いきなり、画面が静かになった。


静かになったのに、怖くない。


怖くないのが怖い。


海の魚が、いつもより丁寧に泳いで見える。


丁寧な演出はだいたい嘘。


でも今日の嘘は、優しい顔をしてる。


「リーチ」


派手じゃない。


赤でも金でもない。


ただの、地味なやつ。


地味なやつほど当たる時がある。


ない。


大体ない。


希望って基本的に嘘。


私は口に出す。


「当たったら真人間」


もうこの祈りも、口癖になってる。


口癖は首輪になる。


無料のくせに。


画面が揺れる。


魚が、変に光る。


音が一段だけ太くなる。


——当たった。


当たった瞬間、頭の中が白くなる。


白は綺麗で、ムカつく。


ムカつくのに、胸が軽い。


軽いのが怖い。


軽いと戻る。


戻ると溶ける。


でも今は、軽いが気持ちいい。


最悪。


払い出しの音。


ジャラジャラ。


ジャラジャラ。


音が、私の脳の角を丸くする。


角が丸いと、優しくなれる。


優しくなった私は、自分に甘くなる。


甘くなると終わる。


画面が言う。


「確変」


確変の文字が出るだけで、世界が許されたみたいになる。


許されてない。


私は借金がある。


見られてる。


月末が来る。


なのに、確変の文字は全部を消す。


消してくれるから、私はそれを好きになる。


好きになるから、殺される。


分かってるのに、私は笑いそうになる。


笑うと尻尾が揺れる。


尻尾が揺れると負ける。


でも今日は、揺れる。


止められない。


ピンクの尻尾カバーの中で、尻尾が暴れてる。


個人情報が反乱してる。


4


連チャンが続く。


続き方が、嘘みたいに綺麗。


外れがない。


煽りが全部当たる。


いつもの私の世界じゃない。


世界が違うってことは、罠だ。


でも罠でもいい。


今は痛くないから。


音がずっと正しい。


店内の空気が、今日だけ優しい。


優しいものほど信用できない。


ユメカネの男と同じ。


——そう思った瞬間に、背中が冷える。


私は店内の通路に視線を向ける。


いた。


黒いジャケット。


細い指。


笑ってる口。


目だけが笑ってない。


優しい顔。


ユメカネ。


なんで。


なんでここにいる。


ここは私の地獄で、あなたの職場じゃないだろ。


でも、地獄って他人の職場になりやすい。


私は、勝ってるのに、胃が冷える。


冷えた胃は、もっと熱を欲しがる。


熱は、玉でしか作れない気がする。


私はハンドルを握り直した。


握り直した瞬間、私は終わった。


「勝ってる時ほど、やめられない」


レンの言葉が頭に浮かぶ。


浮かんだのに、手は止まらない。


止められない自分が、勝ってるのが一番怖い。


勝利が私を助けない。


勝利は、私を深く沈める。


ユメカネの男は、近づいてこない。


近づかない優しさ。


それが一番嫌。


遠くから見てる。


見てる。


またその言葉。


首輪の音がする。


私はスマホが震えたのを感じる。


見ない。


見ないって決めた。


決めたはず。


でも勝ってる手は、スマホも触れる。


触れる手は、もう私の手じゃない。


私はスマホを見た。


通知。


『今、すごいね。コハクさん、やればできる。えらい。』


えらい。


その言葉が、脳の一番弱い場所を撫でる。


撫でるな。


撫でたら、私は自分で自分を売る。


でも撫でられた瞬間、私は思ってしまう。


“私、ちゃんとやれてる”


パチ屋で。


借金の中で。


音の中で。


ちゃんとやれてるわけないのに。


でも勝ちがあると、全部“努力”に見える。


努力って、罠の言い換え。


私は手が震えるのを止められない。


震えが、快感と恐怖の混ざったやつ。


最悪のミルク。


5


気づいたら、箱が二つになってた。


箱が二つって、現実が二つになる感じがする。


重い。


重いのに、私の心臓は軽い。


軽い心臓は危険。


軽い心臓は「もっといける」って言う。


軽い心臓は、店の味方。


私は「やめる」の言葉を探す。


口の中にない。


無料の言葉なのに、出てこない。


代わりに出てくる言葉は一個。


「まだいける」


負けの呪文。


でも今日は勝ってる。


勝ってるのに負けの呪文を唱える。


これが地獄。


連チャンが止まった。


止まった瞬間、世界の色が戻る。


戻った色は、惨めだ。


私は箱を見て、突然怖くなる。


「……これ、持って帰れるの?」


勝ってるのに、帰れない気がする。


勝ってるのに、帰ったら死ぬ気がする。


帰ったら現実が始まる。


現実は利息が育つ。


ユメカネの男は、遠くで笑った。


笑ってない目で笑った。


目で笑わない笑いは、回収の笑いだ。


私は胸が苦しくなる。


苦しいと、音が欲しくなる。


音が欲しいと、ハンドルを握る。


私は握った。


追加で札を入れた。


気づいたら入れてた。


千円縛りは、どこかで死んだ。


死んだのに、私は生きてる。


生きてるから、もっと死ねる。


最悪。


6


大勝ちは、さらに大勝ちを呼ぶ。


呼ぶって言い方、運が良いみたいでムカつく。


これは運じゃない。


これは店が私を選んでるだけ。


選んでるって言い方、特別みたいでムカつく。


特別じゃない。


回収のための特別。


私はまた当てた。


また伸びた。


箱が三つになった。


周りの目線が刺さる。


刺さる目線は、羨望じゃない。


「戻れないやつ」の目。


「今日だけ勝って、明日死ぬやつ」の目。


私はその目に慣れてる。


慣れてるのが一番終わってる。


尻尾が揺れる。


ピンクの中で暴れる。


恥で止める道具だったのに、今日は恥が追いつかない。


私の恥は、勝ちに負ける。


恥より強い快感があるのが一番怖い。


7


いつの間にか、隣にハルがいた。


フード。


小柄。


目が冷たい。


冷たい目は賢いか悪いか、どっちかだ。


だいたい悪い。


でもハルは、今日は賢い目をしてる。


「……狐さん」


私は言う。


「来るな」


「もう来てます」


「来たなら帰れ。今、邪魔」


言葉が刺々しい。


勝ってるときの私の口は、負けてるときより酷い。


私は優しくなれない。


勝ちが、私を優しくしない。


ハルは箱を見て、顔色を変えないまま言った。


「勝ってるのに、負けてる顔っす」


私は言う。


「うるさい。勝ってる」


「勝ってるのは玉。狐さんは負けてる」


私はキレる。


「黙って! いま! 気持ちいいんだよ!」


言った瞬間、自分で分かる。


これ、終わりのセリフ。


“気持ちいい”って言った瞬間、私はもう止まれない。


ハルの視線が、少しだけユメカネの方へ動く。


私はそれで気づく。


ユメカネは、私だけを見てない。


ハルも見てる。


仲間も見てる。


見られてる。


見られてると、勝ちが“舞台”になる。


舞台の上の私は、下りられない。


下りたら負け。


勝ってるのに、下りたら負け。


最悪のルール。


8


ユメカネの男が、ようやく近づいてきた。


距離を詰めない優しさのまま、距離を詰めてくる。


「コハクさん、すごいね」


私は言う。


「見てるなって言っただろ」


「見てないと、応援できない」


応援。


その言葉、吐き気がする。


応援って言うやつは、だいたい回収する。


男は箱を見て、丁寧に頷いた。


「今日、月末じゃなくて“今”入れたら、楽になるよ」


楽になる。


その言葉は、一番危ない。


楽になるって言われた瞬間、人は売れる。


私は言う。


「……返せる」


男が笑う。


「返せる。えらい。じゃあ、返せる分だけじゃなくて、返せる“形”を選ぼう」


形。


形って言葉は、契約の匂いがする。


男は続ける。


「今日の勝ち、全部じゃなくていい。半分だけでもいい。半分入れたら、君の利息は優しくなる」


優しくなる。


優しい顔は近づいてくる。


私は胃が冷える。


冷えた胃は、また熱を欲しがる。


私はハンドルを握りたくなる。


現実の会話より、音の方が正しい気がする。


音に逃げたい。


逃げたら死ぬのに。


ハルが横から言う。


「明文化されてます?」


男は笑う。


「難しいよ。うちは柔らかいサービスなんで」


柔らかいサービス。


骨が折れる言葉。


ハルが言う。


「柔らかいって言葉、だいたい骨折れます」


男の笑顔が一ミリ薄くなる。


刺さった。


でも刺さっても、男は引かない。


引かないってことは、勝ってる。


この場で勝ってるのは、私じゃない。


勝ってるのは、ユメカネだ。


私の大勝ちは、ユメカネの勝ちに変換される。


私は気づく。


勝つって、こういうことじゃない。


でも遅い。


私はもう箱を持ってる。


箱は重い。


重いものは、私を守らない。


重いものは、私を縛る。


9


その夜。


家に帰れた。


帰れたのに、勝ってない。


勝ってるはずなのに、勝ってない。


部屋が静かすぎて怖い。


パチ屋の音がないと、心臓の音がうるさい。


うるさい心臓は、「戻れ」って言う。


スマホが震える。


ミツから。


『生きてる?』


レンから。


『収支、メモれ。たぶんが一番死ぬ』


アオイから。


『音、浴びたくなったら言え。パチじゃない音にしよ』


ハルから。


『今日の勝ちは、負けの入口っす』


私はスマホを伏せる。


伏せても、通知は鳴ってないのに鳴ってる。


体が先に怯える。


便利。最悪。


そして、ユメカネ。


『今日はありがとう。えらい。次は“もっと楽に”できるよ。』


楽に。


その言葉を見た瞬間、私の頭は勝手に映像を作る。


今日の確変。


今日の音。


今日の光。


あの気持ちよさ。


あの「私が許された」みたいな錯覚。


錯覚って分かってるのに、欲がそれを本物にする。


私は歯を食いしばって言う。


「……私は、勝った」


言った瞬間、尻尾が揺れた。


ピンクの中で、喜びみたいに揺れた。


喜びが揺れるのが、一番終わってる。


私は笑いそうになる。


笑うと軽くなる。


軽くなると戻る。


戻ると溶ける。


私は知ってる。


知ってるのに、知ってることが止めにならない。


私は布団に潜って、スマホを握ったまま、最悪の祈りを口に出した。


「……明日も、当たれ」


祈りは負ける。


いつも。


でも今日は勝った。


勝った日は、祈りが“願い”になってしまう。


願いは、首輪になる。


無料のくせに、一番高い。


部屋の静けさの中で、私は気づく。


私が今日壊れたのは、負けたからじゃない。


勝ったからだ。


勝てるって知ったからだ。


勝てるって知った人間は、負けるより厄介だ。


負けは諦めに繋がる。


でも勝ちは、未来を人質にする。


私はピンク尻尾を握って、いつもの言葉を言った。


「……最悪」


でも今日の最悪は、いつもの最悪と違う。


溶ける前の最悪じゃない。


溶けたあとに残る最悪だ。


そして残る最悪は、明日を呼ぶ。


呼ぶな。


呼ぶなって思うほど、呼ぶ。


私の頭の中で、もう一度だけ、あの音が鳴った。


——コトン。


それだけで、私は明日の自分が怖かった。

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