第10話 夜のビート
夜の街って、音でできてる。
人の声、車の音、コンビニの入店音。全部が「ちゃんと生きろ」って鳴ってる。うるさい。
私はコハク。狐の獣人。女。
尻尾は今日もピンクで封印。恥でしか自分を止められない。終わってる。
今日も、パチ屋を見ないで帰れた。
帰れたのに、心の中がザワザワする。
溶けたい。
でも溶けたくない。
この二つが同時にあるのが、いちばんムカつく。
スマホが震える。
今度はミツでもレンでもない。
『今夜、来れる? 音浴びたくない?』
送り主:アオイ
アオイ。
私の友達。たぶん。
DJ。EDM好き。低音信者。
音で人生をごまかすタイプ。私と同類。種類違いの地獄。
私は画面を見て、思わず言った。
「……音って、薬みたいに誘うな」
1
夜。小さなクラブ。
入口が狭くて、中が暗くて、床がベタついてる場所。
でもパチ屋と違うのは、ここは“金を溶かしに来る場所”って自覚がみんなあること。
正直でムカつく。
ドアを開けた瞬間、低音が腹に来る。
ズン。ズン。
心臓の位置が分からなくなる。
分からなくなると、借金も一瞬だけ分からなくなる。最悪。最高。最悪。
「コハク!」
叫ぶ声。
振り返ると、いた。
アオイは派手だった。
蛍光のウィンドブレーカー、でかいヘッドホンを首にかけて、目元だけキラキラ。
笑い方が“音に勝ってる人”の笑い。眩しい。ムカつく。
「久しぶり! 尻尾ピンク何それ!」
私は即答。
「見んな。百均」
「百均、神じゃん!」
「神じゃない。私を辱める神器」
アオイは笑って私の肩を掴む。
「いいじゃん。今日、音で洗おう。脳みそ」
洗うな。
脳みそ洗ったら、また戻れなくなる。
でも戻りたくない日もある。今日みたいに。
2
フロアの端。スピーカーの近く。
アオイは私を“低音が一番当たる場所”に連れていく。
「ここ。ここが正義。胸の骨が鳴る」
胸の骨が鳴る。
それ、パチ屋の“当たりが来る前”の感じに似てて、嫌で、安心する。最悪。
アオイが言う。
「最近どう? 溶けてる?」
私は言う。
「溶けそうなのを止めてる」
アオイが目を丸くする。
「え、偉っ。成長してるじゃん」
偉いって言うな。
偉いって言葉は私に効く。効くと腹立つ。
私は言う。
「偉くない。恥で止まってるだけ」
アオイは笑う。
「恥でも止まれるなら才能だよ」
才能って言うな。
才能って言葉は、逃げ道みたいで好きになりそうで怖い。
そのとき、音が一段上がる。
ハイハットが切れて、ドロップ前の静けさ。
静けさって怖い。静かになると現実が入ってくるから。
アオイが私の耳元で言う。
「今から落ちる。飛べる?」
私は言った。
「飛べない。私は地面にしがみついて生きてる」
アオイが笑う。
「いいね。地面いる狐、かっこいい」
かっこいいって言うな。
私はかっこよくない。生活がかっこ悪い。
3
ドロップ。
ズンッッッ。
低音が腹を殴る。
殴られると、私はちょっとだけ“自分じゃない”になれる。
自分じゃないと、ユメカネの優しい顔も、パチ屋の看板も、借金の数字も、全部遠くなる。
遠くなるのは楽。楽は危ない。
私は気づく。
……私、これが欲しかった。
“回してる自分”じゃなくて、“揺れてる自分”。
揺れる。
尻尾が揺れるのは負けの合図。
でも体が揺れるのは、ここでは“生きてる合図”みたいに扱われる。
ムカつくほど優しい。
アオイが私の手首を掴んで、笑って言う。
「ほら! 尻尾じゃなくて体で揺れろ!」
私は叫ぶ。
「尻尾の話すんな!」
「ごめん! でも尻尾かわいい!」
「かわいいって言うな!」
声を出したら、少しだけ楽になる。
パチ屋で出す声はだいたい負け声だけど、ここではただの音になる。
音になった瞬間、私の恥も、ちょっとだけ軽くなる。
軽くなるのが怖い。軽いと戻るから。戻ると溶けるから。
4
一曲終わって、外に出る。
夜風が冷たい。冷たいと現実が戻る。現実は痛い。
アオイがタバコを吸おうとして、ミツみたいな動きで笑った。
「やば。ミツに怒られるやつだ、これ」
私は言う。
「ミツ、ヤニの権化だから怒らない」
アオイが言う。
「ヤニの権化、語感いい」
私は息を吐く。
「……アオイ。私さ、音に逃げるのやめられない」
アオイは一瞬だけ真面目な顔をした。
「逃げていいよ。逃げ方がヤバい時だけ、止めれば」
私は言う。
「止め方が分からない」
アオイはスマホを出して、私に見せる。
メモアプリ。短い箇条書き。
今日は帰る時間を決める
お金は使う上限を決める
“戻りたい”が来たら、外に出る
連絡が来ても返さない(それは音じゃなくて首輪)
首輪。
その単語に、胃が冷える。
私は言う。
「……ユメカネ、来る」
アオイが頷く。
「来る。だから、返さない。返すと向こうのビートになる」
向こうのビート。
その言い方、ムカつくのに分かりやすい。DJの例え、刺さる。
私は小さく言った。
「……今日、帰れるかな」
アオイが笑って言う。
「帰れる。帰れたら勝ち。勝ち方、今日の私がDJする」
勝ち。
また勝ち。
でも今日の勝ちは、玉じゃない。ガチャでもない。ヤニでもない。
“帰る”っていう、無料の言葉をちゃんと有料にする勝ち。
私はピンク尻尾を握って言った。
「最悪」
アオイが笑う。
「最悪でいい。最悪のまま、帰ろ」
私たちはまたフロアに戻らず、駅の方へ歩いた。
背中で低音が鳴ってる。
でも私は振り返らなかった。
振り返らなかった日の勝ちは、苦い。
苦いけど、これがたぶん本物




