08 東の辺境
辺境からわざわざ迎えに来てくれた馬車にガタゴト揺られること二週間。
辺境の屈強な騎士たちが護衛としてついてくれているから道中も安心だったし、侍女たちがなにくれとなく世話をしてくれたので快適な旅だった。
「あのー、私が辺境に行くことで、なにかお役に立てることがあるのでしょうか?」
あまりの好待遇に怖くなって、仲良くなった侍女のフローラに訊ねてみた。ニナの質問に小動物のようなつぶらな瞳が大きくなる。
「だって、ニナ様は聖女様でしょう? うちもそうですけど、どこの辺境でも聖女信仰ってすごいと思いますよ?」
「聖女信仰?」
確かに聖女は神殿に所属するし、その神聖なイメージのせいか庶民にも人気は高いが、信仰と言われるほど崇められてはいない。
「ええ。東は元々、穏やかな気候で隣国との関係も良好ですけど、自然災害や害獣には悩まされていますし、北と西は厳しい土地でしょう? 怪我や病気を治して下さるだけでもありがたいのですけど、聖女様がその土地にいるだけでご加護があるって、昔から言い伝えられているんですよ」
「そんな話、知らなかった……」
「口頭伝承ですし、王都と地方だと空気感は違うかもしれませんね~。だから、ニナ様がオーガスタス領に来て下さるということは大変、縁起のいいことなのです!」
拳を握りしめて力説するフローラから、お世辞ではなく本気の熱意が伝わってくる。聖女としてのニナが歓迎されているのが嬉しい反面、不安も襲ってくる。
「あの、私、実は平民出身で孤児なんです。貴族じゃないから神殿にも所属していないし、それに初級の治癒魔法しか使えなくて時間もかかるし……落ちこぼれ聖女って言われていて……」
「だから、なんです? その手の甲にある蓮の紋は本物ですよね?」
「ハイ」
「神殿も王家もニナ様を聖女様として認めているんですよね?」
「ハイ」
「なら、問題ないじゃないですか! ご存知ですか? うちを治める領主様の家紋、蓮なんですよ! ニナ様のお手にあるのも蓮の紋! ぜーったい、いいことありますって!!」
「そ、そうかな?」
「絶対、そうですって!! それに、みんなニナ様のお噂を聞いて、お会いできるのを楽しみしているんです。今回の旅の護衛も侍女も争奪戦でした! 実際にお会いしてみて、私もすでに虜になってます!」
「噂……? 虜……?」
「知らない遠い土地で心細いかもしれませんが、大丈夫です! みんなニナ様の到着をお待ちしておりますから!」
「そうなんですね……」
ニナの告白を聞いても変わらないフローラの勢いに、不安はなくならないものの悩んでいる自分が馬鹿らしくはなった。
はじめに感じた違いは匂い。薬草にも似た干し草の香りと土の匂いがする。
乾いた空気に広がる草原。どこまでも抜ける空にふわりふわりと浮かぶ羊のような雲。王都で見たこともないくらい大きな鳥が上空を悠然と旋回している。
草原を越えて、田舎だと聞いていたけど想像よりも栄えている様子の街を通り、重厚な辺境伯邸にたどり着いた。辺境伯邸の門をくぐった後もけっこうな距離を馬車で揺られた。
やっとたどり着いた本宅の前で大げさな歓迎などがなくて、どこかほっとする。
「お出迎え、あったほうがよかったですか? ニナ様が派手なことがお好きじゃないと聞いて、お出迎えは禁止したんです! 後ほど使用人たちにも顔見せしますね!」
フローラがしたり顔で耳打ちする。彼女に案内されて邸内を歩いていると、すれ違う侍従や侍女はみんなニコニコして会釈をしてくれて、歓迎されているのを肌で感じる。
「ここがニナ様の当面のお部屋でーす! 客間なんですけど、可能な限りニナ様のイメージで整えました!」
ニナに用意された部屋は小ぢんまりしていて、落ち着けそうな調度でほっとする。家具も調度品も高級なものなんだろうけど、そこかしこに手作りの刺繍がほどこされた布製品が使われていて親しみやすい雰囲気だ。
フローラに手伝ってもらって旅の汚れを落として、対面した東の辺境伯を前にニナは緊張していた。想像していたような筋肉隆々な武人ではないが、褐色の肌に大柄で鍛えられた体つきをしていて、彫りが深く整った顔に人好きのする笑みを浮かべていた。
「ニナちゃん、旅はどうだった? ようこそ! オーガスタス家へ!!」
腕を広げて今にも抱き着かんばかりの勢いの辺境伯に戸惑う。東の辺境の人々は人がいいと室長は言っていたど、みんなテンションが高すぎではないだろうか?
「父様! 聖女様が驚いているではないですか! 成人している淑女に抱き着こうとするのは変態のすることですよ! 驚かせてすみません。聖女様の到着を待ちかねていたので興奮してしまって。こう見えて普段はもっとマシなので、ご容赦ください」
背が高くすらりとして細身な青年が辺境伯とニナの間に割って入ってくれる。辺境伯の息子さんだろうか? 辺境伯より顔立ちはあっさりとしていて涼し気だが、髪や瞳の色は同じだ。
「父様、気持ちはわかりますが、聖女様も長旅でお疲れです。今日は挨拶だけで、詳細は明日でもいいですよね?」
「えー、ニナちゃんとお茶しようと思って、好きそうなお菓子用意したのにぃ」
「……いいですよね?」
「ハイ」
「さぁ、仕事が山積みですよ。父様、浮かれてないで仕事をしてください!」
「ニナちゃん、これからよろしく~」
ひらひらと手をふる辺境伯に、ニナは引きつった笑いを返すことしかできなかった。どうやら、冷遇されることはなさそうだ。今のところ。
扉の向こうに辺境伯を押し込めると、苦労人にも見える彼はため息をついた。
「すみません。お見苦しいところを。ブラン・オーガスタスと申します」
「あの、オーガスタス辺境伯子息様、可能でしたら『聖女様』ではなく名前で呼んでいただけるとありがたいのですが……」
「では、ニナ様とお呼びしても?」
「できましたら、呼び捨てでお願いします」
「じゃあ、ニナちゃん?」
「せめて、『さん』付けで……」
「じゃあ、ニナさん。僕のことも、気軽にブランと」
「ブラン様でご勘弁ください」
なんだか名前に関するやりとりだけで、げっそりしてくる。辺境の人々には謎の圧がある。
「わかりましたよ。今日はもう部屋で休みますか? もし、よかったら案内しますが?」
「ブラン様のご都合がよろしければ、ぜひお願いします。馬車に揺られて体が固まってしまって。少し歩きたいです」
「では、辺境伯邸の周辺からご案内しましょう。ニナ様は聖女様で医務室で働いていましたし、まず診療所から行きましょうか」
「辺境伯邸の敷地内に診療所があるんですか?」
「ええ。土地だけは余っているので、敷地内になんでもあります。他にも騎士の演習場やここで働く者の宿舎や食堂など様々な設備があるんですよ」
ブランの後についていって、外に出るとニナはうーんと伸びをした。しばらく歩くと診療所についた。
「え」
デジャブ?
ニナが王宮の片隅で毎日、勤めていた医務室にそっくりな建物がそこにあった。建物ごと引っ越してきたと言われても、おかしくない。よく見ると周りには薬草畑も広がっている。畑の敷地面積は王宮にあったものの十倍はありそうだけど。
ブランの案内で建物の中に入ると見覚えのある廊下に、診察室。その隣の調剤室。備え付けの談話室まで一緒だ。違いは診察室の外に屋根付きの広めのバルコニーがあるところか。
「え」
「やっほー、ニナちゃん」
そこにはロッキングチェアに揺られる恩師がいた。
「ヨアキム先生? どうしてここに……」
ニナは自分の頬をつねってみた。普通に痛い。白昼無をみているわけではなさそうだ。
「引退して、空気のいいところでのんびり過ごしたかったんじゃ。ほっほっほ。余生を過ごすにはぴったりじゃろ?」
混乱したニナは建物を出たり入ったりしてみた。構造は同じ。ただし、置いてある机の引き出しや棚は空っぽ。でも、なぜか同じ建物でヨアキム先生もいる。
「ニナさん、朝からなにも食べていないですよね? ごはんを食べがてら休憩しませんか?」
混乱するニナを静かに見守っていたブランに声をかけられて、とりあえずごはんを食べることにした。
「え」
またしても見覚えのある建物があって、目をこする。
でも背景は王宮の整った庭や建物ではなく、茫洋と広がる草原と石造りの建物。
「まさか……」
食堂の中に入ると、見覚えのあるテーブルと椅子、そしてせわしなく働く女性。
「ハンナさん?」
「ニナちゃん! いらっしゃい!」
驚きすぎて言葉も返せずに、厨房を覗き見る。
「サミさん……」
見覚えのある大柄な背中。働いている料理人たちの中にどこか見覚えのある者もいる。
「ニナちゃん、ぼんやりしてないで料理を取らないとなくなっちまうよ! 王宮と違ってここではお上品にしていたら、食いっぱぐれるよ!」
ハンナさんが差し出したトレイを受け取る。
「ハンナさん……?」
「そうだよ。食堂のハンナだよ。大丈夫だよ。ちゃーんとニナちゃんにもらった薬も籠ごと持ってきてるからね」
「王宮の食堂は大丈夫ですか?」
「ええ。だって、あそこはニナちゃんのいた医務室と同じで元々なかったものだからね」
「ナカッタモノダカラネ……?」
理解に苦しむ。常連だった騎士団のお姉さんたちやオーレリアは大丈夫だろうか?
「ニナちゃん、ここは王宮の食堂と違ってお昼もやってるし、好きな皿を取り放題だから! ほら、デザートもあるよ! 好きな物を選びなさいな」
ハンナに背を押されて、列に並ぶ。
ブランはトレイにさっさと自分の食べたいものを取っている。どうやら一つしかメニューのなかった王宮と違って色々な種類のおかずやパンが準備されているようだ。ニナも適当におかずをとる。
「これは一体、どういうこと……?」
「おーい! ニナちゃん、しばらくぶり! これからもよろしくね!」
「馬車での旅って初めてだったでしょ? 大丈夫だった?」
「王都みたいなおしゃれなメニューはないけど、鮮度は抜群で味は保証付きだよ!」
ざわめく食堂の中で目立つ紺色の騎士服に身を包むのは第三騎士団の女騎士たち。きっちりとした王宮騎士団の制服と違い辺境の騎士服はシンプルで実用的なようだが、違うのは騎士服のみで中身は王都でおなじみの騎士団のお姉さまたち。
騎士だけでなく、侍女、庭師、下働きの者……。
辺りを見渡すと、辺境の人々の中にどこか見覚えのある人たちが混じっている。
見覚えのある医務室いや診療所。見覚えのある食堂。馴染んだ人々。
移動したつもりでいたけど、まだここは王宮の中なのだろうか?
でも、窓からのぞく空は高く色が濃いし、乾いた草の匂いがするし、空気もカラッとしていて背景だけは王都とは全然違う。
「ええーー? えー? えええ???」
絶賛混乱中のニナは思わず目をこすった。
あれ? 異世界に迷い込んじゃったかな?
迷子になったような気分になる。
「あーあ、兄さんもニナさんが驚いてるところ、見たかっただろうな……」
そんなニナを見て、ブランがいたずらが成功した子供のように楽しそうに笑った。
全然意味がわからないんだけど。
とりあえず、別れの涙を返してもらっていい?




