07 別れの時
追放が決まったにしては、平和な日々が過ぎてゆく。
ニナは極力、いつも通りに過ごした。違うのは仕事の時間に薬の原料や調剤した薬の仕分けをしていることぐらいか。しんみりするのが嫌で、ニナは医務室以外の人には公言しないことにした。
だから、最後の日も極力いつもと同じように過ごすことにした。
「いただきます!」
目の前に並ぶ朝食がどこか豪華なのは、きっと気のせいじゃないだろう。
「おいしい……」
この食堂で食べる素朴な朝食やボリュームたっぷりの夜ごはんが大好きだった。一口一口味わうようにして食べる。
「ハンナさん! 今、在庫整理していて、この薬をもらってもらえませんか?」
風邪薬や腹痛用の薬、痛み止めの軟膏などが詰まった籠を通りがかったハンナに差し出す。
「こんなにたくさん、いいのかい?」
「ちゃんとヨアキム先生の許可もいただいてますから、大丈夫です。服用の仕方や使用期限などはラベルに書いてあるので、よかったら使ってください」
ニナを王宮に置いておくために仮初で作られた医務室だったが、王宮で働く下働きの者などにとっては有用なものだっただろう。そこがニナのせいで閉められてしまう、せめてものおわびの気持ちだ。顔が広いくて世話好きなハンナならこの薬を必要な人に使ってくれるだろう。
「ニナちゃん、いつもありがとうね」
「こちらこそ、いつもありがとうございます!」
「サミさん! いつもありがとうございます! ごちそうさまでした!」
出しなに厨房のサミの背中に声をかける。サミは手を止めて、こちらをじっと見ると、無言でコクリと頷いた。
医務室に顔を出すと、すでにヨアキム先生と室長がいる。この一週間、二人は昼寝の時間を返上してニナの荷詰めを手伝ってくれていた。お陰様で調剤室や廊下には積む予定の木箱が待機していて、準備万端だ。おかげさまで出勤最終日の今日はやることがない。
ヨアキム先生は疲れがでたのか、うとうとしているし、室長は定位置のソファで腕を組んで目をつぶっている。手持ち無沙汰になって、掃除をすることにした。ヨアキム先生や室長のまどろみを邪魔しないように、できるだけ音をたてないようにして拭き掃除をする。小さいと思っていた医務室も調剤室も拭き始めると、終わりがなくて夢中になっているうちに一日が終わっていた。
「ニナちゃん、お疲れ様」
「お疲れさん」
いつも通りの挨拶をして退勤していく二人を見送り、食堂へと向かう。
「オーレリア様!」
銀色に揺れる髪が見えて、ニナの声が弾む。
「ニナ、久しぶりだね。元気そうでよかった」
オーレリアと会うのはあの事件以来で、どこか顔色が冴えない。
「ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
今日はハンバーグに付け合わせはマッシュポテトに新鮮なサラダ。デザートはオレンジだ。
「ニナちゃん、これあげる。今日はあんまり食欲がないんだ」
「ありがとうございます!」
二人並んで腰かけると、ニナのトレーにデザートの小皿をのせてくれる。オレンジはオーレリアの好物だ。
第一騎士団の要職につく彼女はニナの追放について知っているだろうけど、話題に出すことはない。口にはしないけど、餞別なのだろうと好意をありがたく受け取る。
「えー、いいないいな、ニナちゃん! オーレリア様、私にはなにかないですか?」
「ほんとだ! いいなー」
しんみりとしたニナとオーレリアの雰囲気に女騎士達が割り込んでくる。女騎士の数は少なく、第一から第三まである騎士団の垣根なく皆仲が良い。元々、第三騎士団の女騎士は利用していたのだが、ボリュームがあっておいしいというのが口コミで広がって、オーレリアのような幹部や他の騎士団の女騎士も利用したりしている。
「相変わらず図々しいな。もらいものだが、クッキーがあるから、みんなで分けなさい」
苦笑しながらも自分を慕ってくれる女騎士たちをオーレリアもかわいがっている。懐から取り出したクッキーの小袋を渡すと、女騎士たちから歓声があがる。
「あの、私からもいいですか?」
「えー、ニナちゃんからはもらってばっかじゃない!」
「ニナちゃん、いいなって言ったけど冗談だから、気にしちゃだめよ!」
「お買い得だったので城下街でまとめ買いしたんです。一人では使い切れないので、女騎士の皆さまで分けてもらえませんか?」
会えたら渡そうと思って持ってきていた籠を差し出す。もし会えなかったら、ハンナに言づけるつもりだったものだ。月のものや安眠に効くとされる香り袋やハーブティー。これらのものはさすがに手作りできないので、城下街のお店で買ってきたものだ。小分けにしてあるので、なんの理由もない贈り物でも、それほど負担にならないだろう。
「わー、色々な種類があるー! かわいい!」
「本当にいいの? 嬉しい!」
「いい匂いする! 本当にニナちゃん、センスいい!」
女騎士たちはニナのことを妹のようにかわいがってくれた。食堂や敷地内で気軽に声をかけてくれる彼女たちにどれほど、気持ちが和んだことか。改めてお礼もお別れも言うつもりはないけど、感謝の気持ちだけは届けたかった。
「こらこら、他の客もいるんだ。少し落ち着け。食べてから、平等に分けるんだぞ」
「「「「はーい」」」」
みんなニナの差し出した籠の中身をちらちらと見ながらも、すごい勢いで食事の手を進めていく。
名残惜しくてみんなの顔をそっと眺める。おかしいな。おいしいはずの食事の味がしない。胸の奥がきしんで、なかなか食事が喉を通らない。できるだけ、自分の心を遠くに置くようにしていたつもりだったのに。
ニナの処遇はいつ変わるかわからなかった。
飛ばされる覚悟はしていたし、なにかあったら簡単に首すら飛ぶと思っていた。
だから、毎日その時のことだけ見て考えて生きていた。
なるべく誰かの役に立つように。なるべく人の機嫌をそこねないように。なるべく楽しく。
彼女たちと食卓を囲んでいると、塩辛い感情がじわじわと浸食してくる。けっこう心の奥にまで、みんなの存在が染み込んでしまっているようだ。
きっと、ちゃんとした送別会があったなら、ニナは泣いてしまっただろう。行きたくないと叫んでしまっただろう。だから、いつも通りでよかった。最後の夜はこれでいい。
食事を終えて、ニナの籠を囲んで楽しそうに話している女騎士たちに別れを告げて席を立つ。
「夜勤だから、先に失礼するよ」というオーレリアと食堂の入り口から外に出た。夜ごはんの時間帯は忙しいハンナとサミには特に挨拶はしていない。
あたりはすっかり暗くなっているが、さすが王宮内、灯りがともされていて心細くない程度には明るい。
ふわりとラベンダーの香りに包まれた。
眠りが浅いオーレリアにラベンダーの香り袋を贈ってから、好んでラベンダーの香りのついた石鹸や香水を使用しているらしい。凜としていて優しい彼女にとても似合っている。気づいたら、ニナより頭一つ分高いオーレリアの腕の中にいた。
「ニナ、元気で」
「オーレリア様も」
鼻の奥がツンとする。
別れの言葉と軽いハグの後、オーレリアは振り返ることはなかった。姿勢よく早足で歩く凛々しい後姿を見えなくなるまで送る。
「最後の晩餐か……」
感慨深く食堂を振り返ったニナの視界に大きな人影が入り込む。もう帰宅したはずの室長がなぜかいた。
「塔まで送る。明日は見送れないから」
ニナの希望で、明日の朝は誰にも挨拶せず見送りなしで出発する予定だ。ヨアキム先生も室長もニナの意思を尊重してくれた。
「最後に薬草園を見ていいですか?」
「かまわない」
彼のあとを追う。大股で歩くけど左足が少し遅れる。会った時から変わらない癖。
『迷惑じゃなかったら、治癒魔法をかけていいですか?』
三年前に出会ったあの日、足をひきずる彼にニナがそう提案したのは同情したからではない。
神殿で秘術の伝授を受けることはできないと知って、やけになっていたのだ。初級でも自分の治癒魔法がこの世界の何かの役に立っているって証明したかった。彼の古傷を治したら、認められるとそんな邪な思いしかなかった。
もちろん、はじめは渋い顔をして断られた。
『ええと、研究したくて。治癒魔法が古傷に効くのかどうかを。だめでしょうか?』
粘るニナについに彼が頷いたのは、断っても断ってもくらいついてくるニナが面倒くさくなったからだろうか?
でも、彼は一度もニナが治癒魔法を施す3分を長いと言ったことはないし、少しも良くならないことに文句を言われたこともない。
夜の薬草園は静かで神秘的で、朝の爽やかな空気の中で見るのと違って見える。
「あの……最後に、治癒魔法をかけてもいいですか?」
今日の分のノルマは朝に終わっている。驚いた顔をしたけど、いつもの大木の下に移動すると手を差し出してきた。最後はとことん、ニナのわがままに付き合ってくれるらしい。
ベンチにエスコートしない所が彼らしい。
空に蓮の花を描き円で囲む。「パララントゥミーネ」と唱える。いつもよりことさら丁寧に手順をなぞる。
手の平を合わせるように手をにぎる。ごめんなさい。今日はちょっとだけ下心がある。いや、下心しかないかもしれない。一日の間に繰り返し治癒魔法をかけても効果はないのだから。でも、最後だから許してほしい。
隣にいる気配と彼と一緒に見る薬草畑の風景を自分の中に焼き付ける。
「ニナは役立たずでも落ちこぼれでもない」
治癒魔法を掛ける時にいつもはしゃべらない彼から、慰めの言葉がふってくる。でも結局、彼の左足は治らなかったじゃないか。
「ここでもらったたくさんの『ありがとう』を忘れるな」
頭を駆け巡る王宮での日々。彼とつないでいる自分の右手の蓮の紋を見つめる。初級の治癒魔法とにわか仕込みの医術の知識と必死に製薬した薬や軟膏。城下町をまわって探したハーブティーや香り袋。
自分は誰かの役に立てたのだろうか?
自分がここにいる意味はあったのだろうか?
ニナにはわからない。
強い風が吹いて、室長の前髪が流れる。そこから金色にも見える琥珀の瞳が覗いた。今更、彼の瞳の色なんて知りたくなかった。
その夜、ベッドの中でニナは少しだけ泣いた。




