06 ぬるい追放の辞令
「ニナ、異動の辞令だ」
翌日、医務室に足を踏み入れると室長が上質な紙を差し出してきた。部屋の片隅でヨアキム先生がしょんぼりした顔でたたずんでいる。
思ったより、早かったな。ニナの感想はそれだけだ。朝、薬草畑にヨアキム先生も室長も現れなかった時点で、予感していた。腹の打撲痕がズキリと痛んだ。残念ながら、治癒魔法を自分にかけることはできない。
「追放か……」
初級の治癒魔法しか使えないニナは用済みらしい。
ニナは神殿で聖女の認定は受けたが、受け入れを拒否されたために王家の庇護下に入った。筆頭聖女の力は王家を一夜にして動かせるくらい強いようだ。王宮の片隅に捨て置かれていたくらいだから、元々、王家も役にも立たない聖女の扱いに困っていたのだろう。
「え?」
書類に目を通すと、ニナの行先は神殿ではなく、東の辺境の地となっている。
「すまん。神殿入りはなんとか阻止できたけど、それが精いっぱいだった」
室長はイライラしている時のくせで机を指でトントンとはじいている。
「悪い場所じゃないし、王宮から出られる。なんにもない田舎だけど悪いところじゃない。隣は親交国だし、平和で温暖で緑も多くて、食べ物もおいしくて、人もいい。いい所だよ」
「あ、北の辺境の地とは違うのか……。お気遣いありがとうございます」
辺境と言うと厳しい土地を連想しがちだが、寒さの厳しく荒地の多い北と情勢が緊迫する時もある国境線がある西と比べて、東は比較的いいところだと聞いたことがある。
きっと室長やオーレリアがたくさんかけあってくれたのだろう。恐らく筆頭聖女や取り巻きの騎士達の画策だろうけど、生ぬるいかんじの追放になってよかった。
「羊いますかね?」
「ああ、畜産も盛んだからな。山ほどいるぞ。他にも珍しい動物もいるけど、かわいい顔して獰猛なやつも多いから気をつけろよ」
「わかりました」
絵本でしか見たことのないもこもこの動物との遭遇へと期待が高まる。
王宮で出会った人々との別れや馴染んだ仕事を辞めることはさみしいし、くやしいけど、いつかこんな日が来ることは覚悟していた。それにのんびりとした田舎なら、ニナでも根付いて暮らしていくことができるかもしれない。
「ちゃんと今と同じくらい給金がもらえるように交渉してあるし、これまでの給金の為替も辺境伯に預けてあるから、むこうで引き出せる」
「行きます! 荷物まとめてすぐ出ます!」
お金の話を聞いたとたんに元気が出る。
「待て待て、一応、挨拶とか色々あるだろ! 迎えがくるまでに荷物をまとめて、挨拶をすませておいてくれ」
「承知しました!」
「あと、ニナ。昨晩は腹にちゃんと薬を塗ったか? 痛みがあるなら痛み止めも飲んでおけよ。医療に関わる者の端くれとして自分の体は大事にしろ」
昨日、帰宅途中の暗がりに室長が佇んでいた時はお化けかと思って、恐怖の声をあげた。「打撲用の塗り薬だ」と言ってニナ謹製の塗り薬の入った瓶を差し出すと、無言で去って行った。騎士に二度も腹を蹴られたことはオーレリアにも誰にも言っていない。彼は昨日の出来事をどこまで知っているのだろうか?
「返事は?」
「は~い」
とりあえず、ニナの今日の一番目の仕事は痛み止めの服用だ。
傷や打撲痕の手当てを自分でしてから、ニナが向かったのは医務室の傍にある薬草園。独特の香りが漂う空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ヨアキム先生、お世話になりました」
傍らに立つ恩師に頭を下げる。
「ニナちゃん……よく、がんばったな……」
絞り出すような老医師の言葉が胸にしみる。
「あの、ここはこの先、どうなるんでしょう?」
ニナの異動をもって、この医務室も閉鎖となるらしい。元々、平民の聖女を王宮に置いておくために作られた場所なので仕方ない。でも、丹精込めて世話をした薬草園の行方は気になる。
「わしも引退だが、この薬草園は潰すには惜しい。ちゃんと王宮の薬師に引き継ぐから安心せい」
「ヨアキム先生も昼寝ばっかりしてちゃだめですよ。家事とか散歩とか無理のない範囲で、体を動かしてくださいね」
「わしの心配をせんでも大丈夫だ。まだまだ、やることがあるからの」
先ほどまで、追放を告示されたニナ本人よりも顔色を悪くしていたけど、いつもの調子が戻ってきている。
ニナが手を差し出すと、いつものベンチに腰掛ける。今日はニナも隣に座って、皺しわの手と自分の手を合わせた。朝とは違って日差しが強いけど、木陰になっているので涼しい。
「ニナちゃん、医務室にある薬や医学書は好きなだけ持っていきなさい。きっと無駄になることはない」
「え? でも……」
「理不尽に追い出されるんだ。退職金だと思って持っていくといい」
「はい」
髭と皺に覆われた顔は明らかにニナの理不尽な状況への怒りがあった。ニナはありがたくその気持ちを受け取ることにした。
薬草園から戻ると、医務室にあるニナの机の整理はすぐ終わった。元々、書類仕事をするための文房具があるくらいで私物はほとんどおいていない。
問題は隣の調剤室だ。乾燥した薬草がぶら下がり、木製の棚には綺麗整頓された器具が並ぶ。ニナは材料が仕舞われた小さな引き出しが並ぶ木の棚の前で腕を組んで唸った。
「どうしたんだ? 難しい顔して」
戸口を背を屈めるようにして入って来た室長に声をかけられる。
「ヨアキム先生は好きに持って行っていいと言ってくれたんですけど、かさばるし、日持ちしないものもあるし……。どうしようかと思って。私が管理していたものや調剤したものなんて薬師局はいらないですよね。処分てどうしたらいいんですかね……」
「挨拶まわりで配って、日持ちするものは材料でも薬でも本でも持っていけばいいだろ?」
「いやでも、私物もありますし、私の持っているトランクは小さいので……」
「大丈夫だ。迎えの馬車の容量はけっこうあるから、この部屋のもの丸ごとでも運べる。持っていきたいものを選んで運べるように木箱に詰めておけばいい」
「え?」
「先ほど連絡がきた。迎えの馬車は一週間後に来るそうだ。それまでに荷物を詰めるといい。医務室は閉めるから、そっちの仕事はなしで荷詰めに専念しろ」
「承知しました! 嬉しいけど、大変だ!」
ニナは感傷に浸る間もなく、荷詰めに追われることになった。




