04 筆頭聖女様
植栽の影で身をひそめるニナの目の前で信じられない光景が繰り広げられた。
音もなく剣が払われ、侍女と思しき女性の腹が斜めに切られ血しぶきが飛ぶ。切られた侍女は悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れた。
驚きのあまり籠を落としてしまい、瓶と白布があたりに散らばり、石畳に当たった瓶がカランカランと間抜けな音を立てる。
侍女を切った騎士がこちらを振り返る。いつも医務室で治癒魔法をかける時に失礼な態度をとる小太りの男だ。他にも彼の隣に二人、第三騎士団の騎士がいるが、彼を止めることも彼女を介抱することもなくニヤニヤとこの状況を見ている。
なにより異様なのは、豪奢なドレスを着た気の強そうな女性が倒れた侍女の向こうで冷めた目で、この状況を見ていることだ。ここに咲いていないはずのカサブランカの香りが濃く漂っている。
「あ……なんで……」
いくら彼らが上位貴族でも、私刑は許されていないはずだ。無許可に騎士の剣をふるうことも。
思わずニナは倒れた侍女に駆け寄り、ふるえる手で空に蓮の花を描き円で囲む。「パララントゥミーネ」と唱え、冷たい手を握った。もう片方の手で脈と呼吸を確認する。大丈夫、まだ生きている。
この理解できない状況に手が震えてくるし、自分の鼓動がやけにうるさい。
「なんだ、この女? しらけるな」
「ああ、外れの医務室の聖女だよ」
「は? 神殿じゃなくて、なんで王宮に聖女がいるんだよ」
「平民の孤児だから、神殿に置いてもらえなくて、お情けで王宮の片隅に置いてやってるんだろ」
「へー、ほんとだ。手に蓮の紋が入ってる。偽物じゃないのか?」
「神殿で鑑定したら、本物だったらしいぞ」
「でも、こいつ、治癒魔法に3分かかるんだぜ? その間、こうやって手をつないだままでさ……」
「男相手でも?」
「そうそうそう」
「そんで、物欲しげにこっちのほう見て媚びるんだぜ?」
「やらしー。なんだ、男を漁ってんのか」
「あわよくば貴族の男を釣って、楽して暮らしたいんだろ?」
「それとも男に飢えてるのかもしれないなー」
「うわー、聖女のくせに男好きかよ!」
好き勝手に話す騎士達の会話が頭の上を通り過ぎていく。
なんで彼は侍女を剣で切ったのか? そして切った後も、なんの罪悪感もなくのん気に会話を交わせるのはなぜなのか?
怒りなのか恐怖なのかわからない感情が胸の奥にうずく。
「どきなさい」
それまで黙って成り行きをみていたドレス姿の令嬢の一声で、騎士に蹴られる。そのまま横に吹き飛んだニナの方を見て、彼女は嘲笑すると血を流す侍女に向かって手をかざした。とたんに侍女の腹から出ていた出血が止まり、顔色が戻ってくる。
「そう、あなたが平民で孤児の聖女ね。噂通り役立たずね。未だに初級の治癒魔法しか使えないらしいわね。神殿では十二の子でも中級までは使いこなせているというのに」
仄暗い青色の瞳に射すくめられて、無様に地面に転がったまま動けない。よく手入れされていて綺麗なカールを描く金色の髪の向こうで勝ち誇ったような笑みをみせる。
——無詠唱無接触の治癒魔法を使えるこの女性は、筆頭聖女様に違いない。
蓮の花を指で空に描き、さらに円で囲う。「パララントゥミーネ」と唱え、手を握って3分。これが初級の治癒魔法。
一筆書きで蓮の花だけを指で空に描き、「パララントゥ」と唱え、手を握って30秒。中級の治癒魔法は手順を少し省略できる。
上級になると、円だけを描き、「パラ」と唱えて、手で体のどこかに触れて10秒。
さらに超上級となるとシンボルを描くことも詠唱も必要ない。手をかざすだけで瞬時に治癒できるらしい。超上級を使えるのは現在では筆頭聖女一人だけ。
神殿で治癒魔法を受けるためにはお布施の金額で、どの級の聖女が手当てをするか変わるが、ほとんどの貴族が上級を希望するという。だから、一度でも神殿で聖女の治癒魔法を受けたことのある者にとっては、3分もかかるニナの治癒魔法はまどろっこしく感じるだろう。
好きで落ちこぼれ聖女でいるわけじゃないのに。
ニナだって、できることをした。
級をあげるために必要なのは能力でも努力でもない、金だ。
お金を払い、神官からの秘術を授けられると中級や上級の治癒魔法が無条件で使えるようになる。お金を積めばいいだけだ。向上心のあったニナは当時少なかった給金を貯めた。
「ニナさん、残念だけど君は神殿の秘術を受けられないだろう。君の給金をいくら貯めても、中級の秘術を受けるのには到底足りないし、お金があったとしても平民の君は門前払いされるだろう。中級以上の治癒魔法は高貴な者のみに許される神の御業だ。諦めなさい」
ニナに治癒魔法を教えてくれた先代の大神官様に諭されて、現実が見えた。平民で孤児のニナを聖女と認定したために、彼は神殿から追い出された。そんな彼の言葉は重い。
金があっても貴族じゃなかったら、そもそも門前払い。それ以来、バカバカしくなってお金は最低限の蓄えを除くと自分のために使うようにしている。
平民に生まれたのがいけないと言われたらそれまでだ。ニナだって望んでここにいるわけではないのに。勝手に連れて来られて勝手に失望されて、いい迷惑だ。
「いいかげん、ヨルンを解放してくれないかしら? 彼、こんなところで燻っている人じゃないのよ。あなたが医務室を辞めると言えば、彼も解放されるわ。辞表を出しなさい。そうしたら、神殿で雇ってあげるわ。筆頭聖女であるわたくしであれば可能よ。ただし、聖女じゃなくて雑用をする下働きとして、ね」
彼女の話ぶりで、室長のファーストネームを初めて知った。黒づくめの彼にぴったりな名前だなと思う。
「どうですかね~、ここで男に囲まれて生活するのが好きだから、自分から辞めませんよ」
「男好きですからね、聖女のクセに」
「おい、能無しなんだから、パウラ様の言うことを聞いておけよ。公爵令嬢で筆頭聖女様の言うことだぞ!」
彼女を守るように控える三人の騎士も好き好きにはやしたてる。
「一つだけ教えてください」
ニナは体勢を整えて座り直し、頭を下げる。
「は? どんなに頭を下げたって、あなたに治癒魔法の秘術は授けられないわよ?」
「なぜ、この侍女は騎士様に切られたのですか? なぜ、筆頭聖女様はそれを止めなかったのですか?」
ゴッという鈍い音と共にもう一度、腹に衝撃が走り、再びニナは地面に転がった。
「パウラ様になんて口を利くんだ!! この女はな、何回も何回も俺との交際を断ったんだよ! 男爵令嬢の分際で!!」
侍女を切った騎士が血走った目でニナを忌々し気に睨みつけている。
「生意気だから躾けただけだ。パウラ様の許可を頂いてな」
「……普段から、そんな理由でこんなことを……?」
ニナは神殿のことや神官の教えを全く知らない。人々を治癒し、崇められている聖女が本当にこんなことをするなんて信じられない。聖女の頂点にいる筆頭聖女がこのような行いをすることを許しているのだろうか?
筆頭聖女は驚くほど冷めた眼差しで、地面に転がるニナを見ていた。背筋に冷たいものが走る。
「この子にも躾が必要じゃなくて? 後始末はするわ」
その一声で、侍女を切り血が滴る剣を騎士が構えた。




