03 暇な日の午後
朝の習慣をこなして、はりきって医務室に出勤してきたニナだったが、午前中はありえないくらい暇だった。昨日の室長の一喝が効いたのかもしれない。
しばらくは新しく届いた薬草学の本に目を通していたが、ヨアキム先生に断って薬草園に出向き、花や薬草を収穫したり、畑の手入れをしたりして過ごした。
「来客があるから、少し外す」
昼食をとったニナがあくびを噛み殺していると、室長はそう告げて足早に医務室を出た。ヨアキム先生もニナも彼の所在について、なにも気にしていないのに律儀な人だ。
ヨアキム先生は診察机の前で医学書を広げて、うつらうつらと船をこいでいる。このままだとニナまで居眠りしてしまいそうだ。さすがに毎日、惰眠を貪るわけにはいかない。よしっと拳を握って気合いを入れると、診察室の隣の調剤室へ向かった。
「カルテリの実とチルピェの葉、ラティミンの根……」
腹痛用の粉薬を作るための材料を木棚から、手際よく取り出す。陶器の鉢に原料を入れると、木製の棒ですりつぶしはじめた。力が必要な作業だけど、午後の眠気防止にはちょうどいい。
室長は今日はなんの用事だろうか?
上役の会議や騎士団の指導のために呼び出されることは多々ある。いつもは具体的な内容を告げるので、私的な用事なのだろうか?
室長は謎だらけの男だ。
王宮の片隅で生息するニナは異動してくるまで姿を見た事さえなかったけど、栄えある第一騎士団の隊長を務めていて、第一騎士団の団長である第二王子と並ぶくらい人気があったという。第一騎士団は貴族だけで編成されていて、魔法の腕も剣の腕も一流であるエリート騎士の集まりで、主に王族の警護や重要な任務が割りふられる花形部署だ。
事故なのか事件なのかは知らないが、怪我を負って騎士団を辞め、こんな吹き溜まりのあってもなくてもいい医務室に配属されてきた。
王宮の医務室は複数ある。王宮の中は王族しか入れない場所や高級文官しか入れない政治の中枢など厳格に区画分けされている。その区画ごとに医務室や食堂があり、一番外側の区画にある医務室は平民聖女のニナを置いておく場所として作られたもので、王宮医術師を引退したヨアキム先生とニナの二人だけのお飾り部署だ。
そこへ配属された元騎士団隊長の男は、医師でも薬師でもなく、もちろん治癒魔法だって使えない。医務室室長という名ばかりの役職に現在はついている。仕事内容はよくわからないけど、彼が来てから休日や終業時間がきっちり守られるようになり、治癒魔法を使うと出来高で給金が上乗せされるようになったので、ニナにとっては好ましい上司だ。
「なんで、こんなところで燻ってるんだろうなぁ……」
ここに配属された時は近寄るだけで煙草臭くて、今よりもっとどんよりとした影を背負っていた。本人は服を選ぶのが面倒くさいだけだと言っているけど、未だに第一騎士団の黒の騎士服を着ているし、まだ騎士の仕事に未練があるのかもしれない。
高位貴族で花の第一騎士団の元隊長。そんな人にもニナと同じようにままならないことがあるのかもしれない。
薬草をすり潰して混ぜ合わせ、粉末を計りで計量して包み終えると、ニナは達成感につつまれた。隣の診察室をのぞくと、ヨアキム先生は机につっぷして本格的に昼寝をしていて、患者が訪れた気配はない。
「よし! この調子で炎症止めの軟膏を作るか!」
腕まくりしたニナだったが、棚を見ると材料は揃っているが軟膏を詰めるガラス瓶がない。遮光性ではない透明の瓶はあるが、薬の性質上望ましくない。
「はー、取りに行くしかないか……」
ヨアキム先生の傍らにメモを残し、治療室の前に『ただいま、席を外しています』の札を扉の取っ手にかける。
薬草などの管理に気を配らないといけないもの以外は、第三騎士団と共用の備品室に在庫が置いてある。重い足取りで、いくつかの建物を経由して備品室へと向かう。
第三騎士団の敷地に入ると少し背すじが伸びる。第三騎士団は、ニナの所属する医務室と同じく王宮の一番外側の区画にある。爵位の低い貴族や平民、爵位が高くても実力の低い者や少々素行に問題のある者が所属する。主な任務は城下町の警備。気さくで話しやすい人が多いが、中には暴言を吐いたり尊大な態度をとる者もいる。あまり第三の騎士達に遭遇したくないし、自分が踏み入れていけない場所にいるみたいで落ち着かない。
「ニナちゃん!」
声を掛けられて振り向くと、第三騎士団に所属する女騎士たちだった。食堂の夜ごはんを食べる時に、時折一緒になる女騎士達で、平民出身なので話しやすい。訳あり聖女のニナにも優しくしてくれる気さくなお姉さんたちだ。
「珍しいね、こんな所で」
「軟膏用の瓶の在庫がなくて、備品室まで行くんです」
「そっかそっか、ついて行こうか?」
「大丈夫です。お仕事中でしょう?」
書類を抱えているので、彼女たちも用事の途中なのだろう。
「あ! そうそうそう、ニナちゃんのおかげで月のものが軽くなったんだよ!」
「私はニナちゃんお薦めのハーブティーがきいたよ! 教えてくれた城下町のお店の人親切だった~」
「筋トレ、下血のある間だけやめたら、痛みがなくなったわ」
「ほんと、ありがとう。ニナちゃん様様だね!」
口々にお礼を言われてくすぐったい気持ちになり、彼女達に手を振って別れると、少しだけ足取りが軽くなった。
第三騎士団の木造の建物に足を踏み入れる。この建物は日が陰ると、ちょっと不気味だ。
「なんで、医務室の近くに備品室がないのよー」
古くて軋む廊下を小走りで進む。きっと王宮の内側の区画にある備品室は、受付もあってきちんと在庫管理されているのだろうけど、ここは人気がない。
「いつもなんかが出そうで怖いんだよね~」
日中でもなぜか薄暗くて不気味な雰囲気が漂っているので、備品室に入ると医薬品の置かれている棚の前で、軟膏用の瓶を籠に詰め込み、ついでに足りない白布や蜜蝋なども手早く突っ込んでいく。
頻繁に来たくないからと色々と詰め込んだせいで、重たい籠を引きずるようにして廊下を進み、建物から外に出るとほっとした。
外廊下を進むと、中庭の奥からなにか言い合うような声をした。
王宮ではなにも見ないし、聞かない。そう決めてはいるけど、誰かが怪我をして困っていたらというと足が止まる。
見るだけ。お貴族様が揉めているだけだったら、そっと後にすればいいだけ。自分に言い聞かせて足を踏み出した。




