02 朝のルーティーン
ニナの一日は薬草の世話から始まる。
朝の爽やかな空気の中、水やりをするのは好きな時間だ。重たいジョウロを抱えて畑を回り、乾いた地面に水が染み込んで色を変え、薬草の緑が元気に雫をはじく様子に目を細める。水魔法を使えば一瞬で終わるけど、魔力を節約するためにせっせと重労働をこなす。
「うーん、今日もいい天気だ」
太陽の光を浴びて、土の上に立ち、草に触れていると元気になる気がする。
ニナは治癒魔法を信頼していない。だから、医術師であるヨアキム先生に、怪我や病気の処置の仕方から薬草の煎じ方や調合まで学んでいる。彼は医術だけでなく薬草学まで幅広い知識を持っている。タダで教えてもらっている対価として、率先して薬草の世話をしているのだ。
「ニナちゃん、おはよう。今日もごくろうさん」
「おはようございます! ヨアキム先生」
白髪でひげもじゃのヨアキム先生が現れて畑の傍らのベンチに腰掛ける。
「失礼します」
傍らに跪づいて、ヨアキム先生の皺しわの手をとる。毎朝、治癒魔法をかけることもニナが勝手にしていることだ。
「畑の調子はどうかな?」
「特に問題はありません。キリャリの花が摘み頃かと。あとケパレード草が増殖しすぎなので間引いた方がよいかもしれません。腹痛用の粉薬と炎症止めの軟膏の在庫が少ないので、そろそろ作った方がいいかもしれませんね」
「なるほど、なるほど」
「手の空いた時に作業していいですか?」
「うん、助かるよ。ただ、無理のないように」
老医術師に治癒魔法を施す間、静かに話す時間がニナは好きだ。同じ3分でも相手によって感じ方が全然違う。治癒魔法をかけているのに、皺しわだけど力強いこの手から逆にニナの方が元気をもらっている気がする。
「終わりました」
「ハイ、ありがとさん。ニナちゃんに治癒魔法をかけてもらうと、腰痛どころか体中が元気になってあと百年でも生きられそうになるわい」
「ふふふっ。それなら、よかったです」
「じゃ、先に行ってるよ」
ヨアキム先生を見送って、辺りを見回すといつものように大きな影が木にもたれかかるようにしているのが目に入った。朝の爽やかな空気に似合わない大柄で気だるげな雰囲気のこの男、黒い騎士服に重めの黒髪なのでなんとも不穏な空気をかもし出している。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶が終わると、立ったまま大きな手が差し出される。
指で空に蓮の花を描き円で囲む。「パララントゥミーネ」と小さく唱え、手を握る。いつもはほとんど無意識で行っている治癒魔法の手順を丁寧に行う。
「パララントゥミーネ」とはこの国の古代語で再生を意味する言葉らしい。
毎朝、室長に治癒魔法をかけることもニナが言い出したことだ。かなり強引な申し出だったのに、彼が医務室に異動してきてから三年間、毎日欠かさず行われている。
煙草の匂いがしない時の彼からは石鹸のような爽やかな香りがほのかにする。朝に弱く口数の少ない彼との3分間はほとんど無言だ。手を握る二人の上で、木の葉が揺れ、朝の爽やかな風が吹き抜けてゆく。二人でぼんやりと薬草畑を見ているこの時間もニナが好きな時間だ。
「今日もありがとう」
ニナが手を離すと、頭をくしゃりとなでられる。朝のこの時間だけはなぜか飴ではなくて頭をなでられることがお礼のようだ。
彼の背中を見送って、次に向かうのは下働き向けの食堂。
王宮は広大だが、誰でもどこでも出入りできるわけではなく厳格に区画分けされている。ニナがいる医務室も下働き向けの食堂も、王族が暮らす場所や政治の中枢の置かれている中央から遠い一番外側の区画だ。
「おはようございます! ハンナさん、調子はどうですか?」
本来、食堂はお昼からしか開いていないが、ニナは顔パスだ。
「ニナちゃんに聞いた薬草の湿布がよく効いてね。それにちゃんと作業の合間に手首を動かすようにしているんだよ」
ニナは医務室にきた人や知り合った人にできるだけ、自分で手当てや処置ができるように助言するようにしている。腱鞘炎に悩んでいたハンナもそのうちの一人だ。
自分の治癒魔法の力がいつなくなるか、自分がいつ他の場所に飛ばされるかわからないから、神殿の聖女に気軽に頼めない人には治癒魔法頼みになってほしくない。治癒魔法は、おまじまいのような気休めのようなものだ。
「私はいいんだけど、ちょっとあの人をお願いしていいかい? 昨日、薪を割っているときに破片が右手の中指に刺さったみたいでね……。 本人は大丈夫だっていうけど……」
心配そうに厨房の方に目をやる。きっとハンナの夫で料理長のサミのことだろう。
「破片を取って、消毒はしてあります?」
「ああ。ニナちゃんに教えてもらった通りにね」
厨房に顔を出すと、パンの焼ける香ばしい香りと野菜を煮込む優しい香りが漂ってきた。ぐぅとニナのお腹がなる。
「ニナか」
はじめは無表情で職人気質なサミが怖かったけど、だいぶ慣れた。
「おはようございます。ハンナさんに聞きました。指、治癒魔法かけていいですか?」
「……」
「私もむやみやたらと治癒魔法を使うのは反対です。でも、こういう時こそ便利に使ったらいいと思うんです」
サミはプロ意識が強いので、料理にバイ菌が入ったり、逆に化膿して包丁を握れなくなったら困るので指が完治するまで調理場に立たないだろう。現に今もいつもの白衣にエプロン姿だが、片隅で料理人たちに指示を出しているだけのようだ。せっかくニナがいるのだから、こういう時はさっさと治せばいいと思う。
「頼む」
しばらく思案した後、手を差し出される。サミの大きくて少しかさついた手と手を合わせ、料理人たちがトントンと野菜を刻み、鍋のスープをくるくる混ぜ、オーブンの様子を伺って働いている様子を二人で見守る。
「不思議なもんだな。ありがとう、ニナ」
治癒魔法をかけおわった後、サミは不思議そうな顔で傷のなくなった指を動かすと不器用な笑顔を見せた。すぐにいつもの無表情に戻ると作業する料理人に混じって、包丁を握る。
「ありがとう、ニナちゃん! 頭ではわかってるけど、料理をしていないと落ち着かないのよ、あの人。ああ見えて、内心すごく喜んでいると思うわ。今日はおまけで夜用のデザートをつけてあげる!」
「わぁ! 嬉しい!」
誰もいない食堂のテーブルに焼きたてのパンとミルクとゆで卵とプリンが用意されている。ニナのいつもの朝食だ。食堂に顔を出して、怪我や体の不調に対して、薬や助言や治癒魔法をここで働く人々に提供する代わりに、簡単な朝食をごちそうになっている。今日はなんとデザート付き。
朝食が終わったら、厨房の片隅で余った食材や野菜の端切れを調理して適当に味付けをしてパンにはさむ。医務室は食堂が開いている時間に昼食がとれるとは限らないので、医務室に備え付けの談話室で簡単に作ったものを食べている。
放っておくと食事をとらない室長の分も包む。庶民が食べるものをお貴族様に食べさせることについてしばし悩んだが、本人はおいしそうに食べているし、何も食べないよりはマシだろうと彼の分も用意している。
「さ、今日も一日がんばりますか!」
昼食の包みを片手に医務室へと足取り軽く向かった。




