01 プロローグ ~3分治癒魔法~
この3分は長いのか、短いのか?
怪我を治療する時間にしては短いはずだ。でも、治癒魔法をかけられる時間としては長い。そんなのはニナだって、よくわかっている。
寒い中どれだけ聖水をジャバジャバ浴びようが、神に祈ろうが、瞑想しようが、体を鍛えようが、きっちり3分。それ以上は短くならないのだから仕方ない。自分の努力ではどうにもならないのが、治癒魔法の所要時間だ。
ニナが手を握っている若い騎士は明らかに苛立ち始めている。
貴族らしく整っている顔の眉間には皺がより、払っても払っても寄ってくる煩わしい虫のようにニナを睨みつけて不快であると訴えかけている。
いやいやいや、こっちだって不愉快きわまりないですけどね?
なるべく彼から距離を取り、軽く合わせている手の平以外に触れないようにして、顔を下げて視線が合わないようにする。
そんなに嫌なら、ニナの治癒魔法を求めなければいいのに。
伯爵家の次男だか三男だかの男はしょっちゅう怪我をしては医務室にやってくる。
医務室には常に医術師が控えており治療を受けることができる。さらに希望者は聖女による治癒魔法を受けることができるのだ。
聖女の治癒魔法は体を活性化させ、人のもつ自然治癒力を促進するもの。だから、3分間我慢すれば傷口が塞がるまでの2週間を早送りすることができる。断然、治癒魔法を受けた方がお得だ。頭ではわかっていても、いくら聖女だからって孤児で平民の女に3分間、手を握られるのは我慢ならないのだろう。仕方ないじゃないか。患部がどの場所だろうと、手を握らないと——正確に言うと、手の平と手の平を合わせないと——治癒魔法をかけることができないのだから。
「おいっ!! まだかかるのか!」
「はい。あと1分30秒かかります」
もう3分までなら体感で時間の経過がわかるようになってしまった。他ではまったく役に立たない能力だ。
チッ。大きな舌打ちのあと、左足で貧乏ゆすりをはじめた。
目の前の騎士のイライラは最高潮。こっちだって汗くさいし、どなられて唾が飛んでくるし、やってられない。たかだか3分。でも、治癒魔法を施す相手によってはとてつもなく長く感じる。
そんな時は銅貨がチャリンチャリンとお財布の中に入って来るのをイメージする。残念ながら銀貨だとか金貨は見たこともないし、薄給なので想像できるのは使ったことのある銅貨だけ。
ニナが相手の態度がどんなに最悪でも治癒魔法をかけ続けるのは、崇高な志があるからとか、心根が善良だからではない。ただお金が欲しいからだ。基本給にプラスして出来高が考慮される。人数をさばけばさばくほど儲かる。
治癒魔法が完遂されないと出来高には入らない。途中でやめてしまうと、魔力が無駄になるから意地でもこの手をはなさない。どのみち、平民で孤児で王宮で飼い殺しにされているニナに断る術はない。
「ハイ、終わりました」
言ったとたん、手を振り払われた。乱暴に包帯を外すと、傷跡一つ残っていない腕をさすったりふったりして確認している。きちんと治癒魔法の効果がでていて、ほっと息を吐いた。治癒魔法という目に見えない力を一番信用していないのはニナなのかもしれない。包帯をとる瞬間が一番、不安になる。
「神殿の聖女様なら……パウラ様なら一瞬で触れることもなく治せるのに! この出来損ないが!」
立ち上がった騎士から、お礼の言葉ではなくて侮辱の言葉がふってくる。いつものことなので、立ち上がったニナは無言で治癒師の制服の膝のあたりの埃をはらった。
ガンッ。なにかを打ち付けるような音がして、振り返ると足で蹴とばすようにして扉を開けた上司がたたずんでいた。騎士にも負けないくらいの大柄で立派な体格をした彼がもたれかかると戸口が小さく見えるから不思議だ。もじゃもじゃの前髪で隠れているけど、鋭い眼光でこちらを睨みつけているのがわかる。
「ニナ、じいさん先生はどこ行った?」
「30分ほど前に庭師の方が梯子から落ちたとかで呼ばれて、席を外しています」
「ふーん……」
尊大な態度を取っていた騎士の顔が青ざめる。この男に限ったことではないが、医術師であるヨアキム先生や騎士崩れの上司の目のあるところではさすがに今回のような暴言は吐かない。せいぜい、ため息をついたり、舌打ちをするぐらいだ。ニナも医術師が外しているとはじめは断ったのだが、時間がないから応急処置をして治癒魔法をかけろと要求してきたのだ。
「それでは、失礼します」
不穏な空気が漂う中、居ずまいを正した騎士が立ち上がり、そそくさと医務室を出ていこうとする。
ガンッ。またしても扉を蹴りつけた上司に視線を向けられて、若い騎士の肩がびくっと揺れる。
「第三騎士団のハーヤネン伯爵令息。危険もなく、さほど過酷でもない訓練や警備ごときで怪我が多すぎないか? 騎士としての能力と鍛錬が足りていないんじゃないか?」
「っ!!」
騎士にしては生白い肌や筋肉のついていないちょっと小太りな体に上司の視線が刺さる。彼はなぜかニナを睨みつけると逃げるように去っていった。貴族の騎士よりよほど騎士らしい風貌の上司が医務室に入ってくると途端に部屋が狭く感じる。
少し歩き方に癖があって、左足だけひきずるようにしている。第一騎士団の黒の騎士服を着崩しているこの男、医術師でも治癒師でも事務員でもなく、れっきとした医務室の室長だ。医務室には不似合いなやさぐれた空気を醸し出しているが、人の上に立つ者の威厳は備わっている。
もじゃもじゃの前髪で恐らく整っているであろうご尊顔が隠されているけど、やんごとなき身分なのが漂ってる。元は凄腕の騎士だとか、昔はすごくモテてたとか、怪我のせいで婚約破棄されたとか、その諸々で跡取りから外されたとか。ニナの耳にも噂話が入ってくるけど、極力気にしないようにしている。平民は危ないものには近づかない。これ王宮で働く鉄則。
「おつかれさん」
ニナの傍らの机にぽんと薄紙につつまれた飴玉を置いいた彼からふわりと煙草の匂いがする。
「煙草辞めたんじゃないですか?」
「辞めようとは思ってるんだけどな。今日みたいに意味のない会議に長時間出る日は無理。もらった一本だけだし、ちゃんと吸った後は手を洗ったよ」
ガシガシと頭をかいて言い訳じみた言葉を並べる。元々ヘビースモーカーだったらしいのだが、医務室に配属されて以来、禁煙している。
薄紙を開いて、ピンク色の飴玉を口に含む。苺かと思ったら、桃の味がした。ニナにくれる飴も煙草の代わりに持ち歩いているものだ。高給取りだけあって、包みは素朴なのに味はすごくおいしい。
彼は定位置である窓際の一人用のソファまで移動すると、どっかり腰をかけて腕を組み居眠りしはじめた。
仕事嫌いでテキトーな室長だが、きちんとニナの成果報告をそのまま上にあげてくれるし、誰にでも平等に雑だし、仕事をすると飴をくれるので嫌いではない。あとそれなりの爵位の貴族なのか、いいかんじに権力をもっていて、ニナが理不尽な目にあっていると相手を威圧してくれるのもよき。
くわっとニナも一つあくびをした。眠っている人を見ると自分も眠くなるのはなんでだろう?
ぼんやりと右手の甲に浮かぶ薄紫色の蓮の紋を見やる。治癒魔法が使える証。
貴族にしか現れないはずのそれ。その存在は広く知られ、平民の子供でも知っている。だから、孤児院の前に捨てられていたニナの手にその紋があった時、大騒ぎになったそうだ。捨てられたその日のうちに、ニナは王宮に囲われた。
治癒魔法の使い手は貴重で、聖女と呼ばれ大切に扱われる。
本来、聖女は神殿の管轄だ。でも、気位の高い神殿も貴族令嬢である聖女たちも平民から生まれた聖女を受け入れなかった。そうかといって、聖女を平民とはいえ放逐するわけにはいかないので、王家は王宮の片隅に新設した医務室に所属させるという荒業にでた。
この蓮の紋のせいで王宮でこき使われているし、この蓮の紋のお陰で食べることや眠る場所に困らない。ニナにとって複雑な気持ちになる存在だ。
まぁ、人生どうなるかわからないし、とりあえず今が平和ならいいかと、口の中に残っていた飴をかみ砕く。午後のあたたかい日差しが差し込む中、ニナも目を閉じてまどろみに身をまかせた。




