19 真の治癒魔法
19 真の治癒魔法
「ねぇ、ヨルン、ヨルン。わたくしを助けて……」
筆頭聖女がここまで悪事を暴かれてもなお、彼に縋れる図太さに、ニナは呆れを通り越して感心する。ニナも自分のことを欲深いと思っていたけど、もっともっと欲深い人も世の中にはいるのだ。
きっと、そうやって涙を浮かべて手を胸の前で組めば、誰だって彼女の言う事を聞いてしまったのだろう。
「3年間だ」
「は?」
「お前、ニナのこと役立たずだとか落ちこぼれとか散々なこと言って、バカにしてたけどな。お前にできるか? 手をひらひらさせただけで、治せたと吹聴していたお前が」
化粧と涙でぐちゃぐちゃな顔で懇願していた筆頭聖女がピタリと口を閉ざす。
「たかだか1日3分だ。でも、お前にできるか? 毎日欠かさずニナは俺に治癒魔法をかけてくれた。休みの日も。やったところでなんの成果もでないのに。そして、ぴったり3年たった時、俺の足はいきなり治った。壊れた魔力回路さえも治った。だからこうして堂々と里帰りして辺境伯を継ぐことも剣をふるうこともできる」
「え」
初耳ですが。
「ごめん、ニナ。この女や神殿の聖女の件で殿下の指示で動いてたから、治ってないふりをしていたけど、1カ月くらい前に突然完治したんだ」
「え」
「治癒魔法の長期的な症例データはないがな、医術でも薬学でも続けることで効果が出るということは往々にしてあることじゃ。ニナの執念が実ったんじゃろう」
ヨアキム先生がニナの過去の行いを援護してくれる。
「いやあの、あれは……ただのヤケクソというか、神殿の秘伝を貴族にしか授けないって知って悔しくてはじめただけで、清い心でしたわけではないですし……」
知らないところで自分の評価が爆上がりしていることに若干の恐怖を覚える。
基本的にニナは今のことと半径5メートル以内のことしか考えていない。善行や他人のことより、自分の欲を優先してきた自覚がある。買いかぶりもいいところだ。
「たかが3分だけどさ、治癒魔法をかけられてる人にとっては長く感じるじゃん。そしたら、施術しているほうにとってはもっと長く感じられることもあるだろう? 神殿への反骨精神でも、上司へのゴマすりでも、3年間続けたのはニナだろ? 動機や心根なんてどうでもいいんだよ。実際にやったことが大事だろ」
「うーん」
美化しすぎじゃないですか?
「全てをひっくり返すような、全てを一瞬で解決するような一撃必殺の技なんてこの世にないんだよ。できるのはみんな小さいことで、その小さい事を淡々と重ねていくことしかできないんだよ」
ニナの右手をとって、甲にある蓮の花の紋にヨルンが唇をよせる。
「5年前も一年間世話になったしな。殿下をかばって切られて、かけられた筆頭聖女の治癒魔法で痛みに悶絶して、左足が動かなくなって魔法も使えなくなった。衰弱してボロボロになった時に、看病して治癒魔法をかけてくれたじゃないか、毎日。その時の俺は荒れててまともじゃなかったのに、じいさん先生と毎日、せっせと世話してくれた」
「え」
色々なことがありすぎて、働かない脳みそを回転させて記憶を引きずり出す。
「5年前? 左足が動かない……」
ふいにニナの脳裏に衰弱して投げやりになっている青年の姿が蘇る。
今の堂々たる姿とあまりにかけ離れているので結びつけたことはなかったけど、まさかーーーあの青年がヨルン?
衰弱して反抗期の子供みたいな重病人からの、不機嫌オーラ駄々洩れのやさぐれ上司からの、魔法も剣もなんでもできちゃうイケメン次期辺境伯?
振れ幅大きくない?
「覚えてないのか。ショックだな。毎日、手を握った仲なのに……」
そう言ってニナの右手をとって、指を絡めて握りしめる。
「言い方! 気づくわけないじゃないですか! ベッドの中にいて衰弱してるくせに荒らぶっている人と不遜な上司が同一人物なんて!」
あと、さっきからずっと距離感がおかしすぎる。
「あの、そろそろ離してください」
「嫌だ。ニナが足りない」
「足りない?」
「嫌いな女のご機嫌取りして、全然話せなかったし、近づけなかったし」
今一度、確認したいのですが。元上司と部下という関係で、施術者と被施術者で、ペットでも恋人でもないのですけど。
「なんで、よりによってその女を選ぶのよ! ねぇ、ヨルン、頬に傷があるわ。わたくしの治癒魔法で治してあげる! わたくしの超上級の治癒魔法なら、あっという間に……」
ちっとも自分は眼中になく、ニナばかりをかまうヨルンに痺れを切らしたのか聖女の顔が真っ赤に染まった。先ほどオーレリアに痺れ薬を塗った矢で刺されたため動かなくなった腕を必死にあげようとして、突然、動きを止めた。
「あ”、あ”、あ”、あ”、がっ!! あつい! あつい! いだい! いだい!」
右手の蓮の花の紋から煙のようなものが上がり、必死に左手首で右手を掴むがなんともならないようだ。
「あーあ、ついに魔力回路が壊れたかぁ。あれ、痛いんだよなぁ。ほんと死ぬかと思ったもん」
どこか他人事のようなのん気な声がする。
後ろからニナを抱きしめているヨルンの手をぽんぽんと慰めるように叩く。
「神殿とメルタネン公爵家も今頃、大捕物が繰り広げられているころかな?」
「ああ、第一騎士団と兄上と弟が向かっているはずだ」
「あっちもおもしろいことになっていそうだな」
「ああ、後始末のことを考えると頭が痛いよ」
第二王子とオーレリアも天気の話をするように、なにかすごいことを言っている。
「綺麗に消えたな」
オーレリアの声に床に崩れ落ちた筆頭聖女の右手を見ると、手の甲の蓮の花の紋は跡形もなく消えていた。




