16 結界の聖女と治癒の聖女
「ニナちゃん!」
深い眠りについているところをゆさゆさと起こされた。
「え、え、え、なにごと? 朝?」
寝ぼけて身を起こすと、カラフルなマントが目に入る。辺りはまだ真っ暗だ。
「助けて! カレルヴォが危ないかもしれない!」
「たすける? カレルヴォ?」
「本当はニナちゃんの治癒魔法に頼る気はなかったんだけど。でもでも、カレルヴォが死んじゃうかもしれない!」
カレルヴォは誰なのか? なぜ死にそうなのか?
なにもわからないけど、きっと彼女の大事な人のピンチなのだろう。もしかしたら、人ではなく動物の可能性もあるけど、彼女にとっての一大事には変わりない。少し冴えてきた頭で最善はなにかと考える。
「でも、治癒魔法なら筆頭聖女様のほうが……」
「ニナちゃんがいいの! ニナちゃんの治癒魔法が必要なの!」
いつもは小声でしか話さないのに、きっぱり言われて腹が決まった。
「わかった! 行こう!」
「ありがとう、ニナちゃん! でも、ちょっと待って。寝間着のまま行けないよ。これに着替えて」
ほとんど彼女にされるがままに辺境の騎士服にお揃いのカラフルな布、もといマントを被る。サイズがぴったりのブーツまで用意されている。一体どこへ行くというのだろう。
「準備よし!」
彼女に手を引かれて辺境伯邸の中を駆け抜ける。
「あ、侍女に言づけないと!」
「大丈夫!」
彼女の勢いは止まらない。騎士団の演習場を越えて着いたのは厩舎だった。ニナには縁のない場所だ。
「馬か、よかった……」
なんとなく彼女の友達は人ではなく動物だろうと思っていた。馬なら治癒魔法をかけた実績があるので、安心だ。怪我や病気の状態によるけど。
厩舎から栗毛の馬を引いて来たのはブランだった。立派な体格でしっかりとした足取りで、毛並みもいい。怪我をしているのが馬の可能性は消えた。
「ニナさん、夜中にすみません。でも、状況が思ったより切迫しているようで……」
彼がこんな言い方をするということは、前線でなにかあったということだろうか? でも、前線には筆頭聖女様が控えているから、違うトラブルの可能性もある。
「ニナさん、乗馬の経験は? ……なさそうですね」
ブランに問われる前から馬を前にして固まっているニナを見て、察したようだ。
「さぁ、行くわよ! ニナちゃん。後ろに乗って」
小柄な彼女が鐙に足をかけ、颯爽と馬にまたがった。
「ひぃぃぃぃぃぃ」
馬を怯えさせないよう口の中で小さく悲鳴をあげる。遠目で見るより、馬ってかなり大きい。
「失礼しますね。僕たちが頼れるのはニナさんしかいないんです。後から父様と兄様に説教されそうですけど」
子供のようにひょいっとブランに持ち上げられて、彼女のうしろに乗せられる。
「私の体に手を回して離さないでね。魔法で私と固定するし、ある程度風とかは避けられるから。体の力を抜いて、馬の動きに合わせてバランスだけとってね!」
馬上から見るとかなり高い。目の前の小さな背中にぎゅっと抱きつく。彼女がなにかを小声でつぶやくとニナと彼女の間の空気がきゅっと縮まったかんじがした。風魔法の応用だろうか?
「ご武運をお祈りします!」
ブランの声を背に馬が歩き出した。体の力を抜くなんて無理で、必死になってしがみつく。辺境伯邸の敷地内を早足でリズミカルに駆けていく。今が一体、何時ごろなのかわからないけど、辺りは真っ暗だ。見回りをしている騎士以外に人気はなく、道すがらぽつりぽつりと灯りが灯っている。
「行くわよ!」
辺境伯邸の門を顔パスで抜けると、急に加速した。草原を駆け抜ける。暗いし、彼女にくっついて乗っているので景色はよくわからないけど、風の音と体感ですごいスピードで駆けているのを感じる。音の割に風圧で体が後ろにもっていかれることがないのは、彼女の魔法のお陰なのかもしれない。
「なにも考えない、なにも見ない……」
怖いものに遭遇した時のおまじないをぶつぶつと唱え、ひたすら彼女にしがみつく。
彼女はこの辺りを熟知しているのか迷いなく進んでいく。
辺境伯邸の敷地から出たことはないし、この辺りの地理は全然わからない。馬の蹄の音でなんとなく草原を駆け抜け、森の中を進んでいるのだろうと予測する。
速度が緩まり着いたのかと思ったら、パシャパシャと水をはじく音がする。小川かなにかの水辺を通ったのだろう。それを抜けるとまた、全力疾走がはじまった。横目で見ると、木々が自分に迫ってくるように見える。彼女は馬と一体となって道なき道を選び進んでいく。
もう、お尻と手が限界かもと思ったところで速度がゆるまり、やがて止まった。
明るく火が灯され、大きな生成りのテントが張られている。もしかして……もしかしなくてもここは前線なのかな? 手の平がじっとりと汗ばんでくる。重傷者の治療はしたことはあれど、荒事の現場に行ったことはない。もちろん害獣退治の最前線にも。
「辺境伯夫人! なぜここに?」
「カレルヴォはどこ?」
「それは……」
「どこ!!」
小柄な彼女から放たれる覇気に屈強な騎士がたじたじになっている。
えーと、気になることはいくつもあるけど、辺境伯夫人って言われてなかった?
空耳? 疲れすぎてるのかな。ぜえはあ言う呼吸を整えながら、頭の中は混沌としている。
「じゃあ、言葉を変えるわ。前線はどこ? 獣が湧いてくるのはどこって聞いてんのよ!」
「お教えするわけにはいきません。夫人は辺境伯邸にお戻りください。辺境伯に殺されます」
「その主がピンチなんでしょ? ヨルンがブランに隼を飛ばした時点で緊急事態でしょ!! だいたい、なんで盾守布を入れ替えるだけでこんなに手間取ってるのよ。引っ込んでなんかいられないわよ!」
「それでもお通しするわけにはいきません!!」
「……わかった。十時の方向ね」
「辺境伯夫人!!」
騎士の悲鳴を背に彼女は再び馬を進める。
「辺境伯夫人!」
時折、騎士に行きあい驚いたような声があがるが、彼女は全無視だ。
ガウッ!
横から獣が飛び出してくるがなにかに弾かれたように吹き飛ぶ。
え? 馬に乗りながら魔法で攻撃してるの??
彼女の強さに驚きながらも、ニナは涙目だ。
きっと、先ほどのテントが前線の拠点で、最後の安全地帯。
この先は害獣がわんさかいる危険地帯なのだろう。
暗い森の中も怖かったけど、左右や多分前後にも獣が飛びかかってきている。前線の過酷さが伝わってくる。今のところ、全部彼女の魔法かなにかで弾かれているし、馬も彼女もなんの動揺もなく前へ前へと進んでいく。
辺境伯がピンチだと、ヨルンが隼を飛ばした。
彼もこんな過酷な状況の前線で闘っているのだろうか? 無事だろうか?
「ひぃぃぃぃぃ、死ぬぅううううーー」
たぶん、ニナはここで死ぬ。ああ、最後に彼を一目見たかった。最後までニナの脳内は、煩悩だらけだ。
「母さん!! ニナ??」
会いたいと思った人の声がする。
「ヨルン! カレルヴォはどこ?」
「分断されて、父さんが囮になって崖の方に追い込まれている! 二時の方向だ! 大型種がわんさか湧いてきただけじゃなくて、大型の翼種が一羽いるから気をつけて!」
馬の鼻先の向きを変えて、突進が再び始まる。
「おいっ! 待てよ! なんでニナがいるんだ! 母さん!!」
後ろからヨルンの焦ったような声がするけど、彼女の勢いは止まらない。
大型の獣の開けた口が迫るが、馬は怯えることなく避けながら突進していく。
瞳がつぶらでかわいい馬だと思ったのに勇敢なようだ。主の辺境伯夫人のように。
「あああぁあああーー」
飛びかかって来る獣の牙や爪が迫る。魔法でなんか守られてるとはわかっていても、怖い。
確かに王宮にいた頃は、動物が見たいなー触れ合いたいなーと思っていた。
でも、これは違う。ニナが望んでいたのはふわふわの羊のようなかわいい動物だ。
暗い森を抜けると満月の光が目に入り眩しい。ぽっかりと開けた崖の上で、辺境伯が一人、大剣を振り回していた。一振りするたび、肩からあふれた鮮血が飛び散っている。彼は馬ほどの大きさの鳥と戦っていた。今にもその大きな嘴で頭ごとガブリと喰われそうだ。
血の匂いに釣られて、周りに獣が集まってきていて、怪鳥が彼を仕留めるのを待ち構えている。
「カレルヴォ!!」
叫んだと思うと、彼女は減速した馬からひらりと飛び降りた。残されたニナは推進力で馬の鬣にぶつかるようにしがみついた。彼女は向かってくる獣を蹴散らしながら、まっすぐに辺境伯に向かって駆けていく。
「キーラ……なんで……」
ふわりとマントが風にあおられ、月光に照らされた彼女はとても神々しかった。
見たこともない水色の髪が風になびく。青の瞳は辺境伯しか見ていない。左手のハンドカバーを投げ捨てて、彼女が描くは盾のシンボル。それを円で囲み「キルピオースタ」と唱えると手を空にかざした。
ビリビリする衝撃を感じたと思ったら、辺境伯を仕留めようとしていた怪鳥も地上の大型の獣たちも吹き飛ばされていた。
「ええーーー!! すごすぎるーーー!!」
ニナの治癒魔法がちんけに思えるくらいすごい威力の魔法だ。
ニナが驚愕しているうちに、辺境伯が夫人を腕に抱き込んでいた。
え? 大怪我しているのに移動早すぎない?
こちらを振り向いた彼女の顔は先ほどまでの勢いはなくて、すごく弱々しく見えた。
「ニナちゃん。お願い、この人を助けて……」
辺境伯は立ったまま気絶している。肩だけでなく体のあちこちにから出血している。
「もちろんです! だって、私達、友達でしょう? 友達のピンチを救うのは当たり前じゃないですか!」
ニナは馬の鬣にしがみついたまま、胸をはった。
「あの、とりあえず、馬から下ろしてもらえませんか?」
「ニナ」
いつの間にかヨルンが馬の後方で控えていた。彼の手を借りてなんとか馬から降りると、足がふらふらする。彼は頬に切り傷があるしボロボロだけど、致命傷はなさそうだ。
ヨルンが母親から辺境伯を引きはがし、そっと地面に横たえる。
ニナは頭を切り替え、呼吸と脈を診る。
「大丈夫、まだ脈はあります。すみません、辺境伯様、治癒魔法かけます!」
「お願い、ニナちゃん」
「……キーラ」
空に蓮の花弁を一枚ずつ描き、それを円で囲む、「パララントゥミーネ」と唱え、辺境伯の泥と血にまみれた右手を握った。
治癒魔法をかける3分をこんなに長く感じたことも、こんなに祈るような気持ちで施すのも初めてのことだ。
「あ”り”か"と"う"……。ニナちゃん」
3分経った後、涙で顔をぐしゃぐしゃにした彼女に抱きしめられた。どうやら傷口は塞がったようだ。失血がひどいようで、辺境伯は気を失ったままだ。
「しっかし初めて見たけど、母さんの結界魔法、規格外だな……」
「あんたたちがチンタラしてるからでしょ! 私が来なかったらカレルヴォは死んでたし、前線も突破されていたでしょう?」
「入れ替えたはずの盾守布が破られていたり、この時期に活動しないはずの獣が出たり、トラブル続きだったんだよ。第二王子が勝手にうろうろするし、筆頭聖女や取り巻きが騒ぎも起こすし……。満月の夜に、東では出現したことのない翼種まで出現してさ。だから、降参して隼を飛ばしただろ?」
「遅いのよ!!」
「だって、父さんは母さんを危険にさらしたくないんだよ」
「次期辺境伯なんだから、指揮官の判断が悪かったら、あんたが仕切りなさいよ!」
辺境伯の頭を膝に乗せて抱きしめながら、辺境伯夫人は息子への愚痴が止まらないようだ。
血と獣の匂いの中に独特の甘みのある香りがして、ニナはそちらの方へ足を進める。甘みがあるだけでなく、どこかスパイシーで……。
「カサブランカ……じゃない? ミュルウルルク?」
紫の大輪を咲かす花の群生地のようだ。月明かりの中、ニナはその花をじっくり観察する。
「なんでこんなところに咲いているの?」
ミュルウルルクは湿度を好まない。それだけなら東の辺境でも育てられそうだが、適度な寒さも必要とする。普通の植物が好む水や日の光、温かさが必要ない強い花だ。この国では、西の辺境でしか育たない特産品。厳しい環境で育つ故の防衛本能なのか毒性が強い。だが、得てして毒は薬となる。花も葉も根も、回復薬、興奮剤、痛み止めなどに欠かせない原料となる。一説によると、人だけでなく獣を興奮させる作用があるとか……。
「ニナ、どうした?」
「このミュルウルルクの群生地は野性のもの?」
「みゅるうるるく……?」
「なかったわ。土が新しい。誰かが最近植えたものね……。それに、この香り、あの女の香水と一緒」
「一株だけ、土ごと回収します。戻ってヨアキム先生に聞いてみます。わざと植えられたなら、獣を呼び込んでいた可能性があります」
「……なるほど、まだ問題は解決してないってことか」
横でヨルンが頭を抱えている。
「カレルヴォを殺そうとした奴らなんて、絶対許さないわ」
ふわふわの水色の髪に澄んだ青の目。ニナより年上の子供がいるのに、ニナと同い年に見える妖精のような人。なのに、その顔には屈強な騎士でも逃げ出すような怒りがあった。
東の辺境で一番怒らせてはいけない人をこの日、ニナは知った。




