15 密やかな交流
害獣討伐がどうなっているのか、オーレリアが言っていた不穏な出来事がどうなっているのか、ニナは一切知らない。
極力、淡々といつも通りの暮らしを続けた。前線に出ているヨアキム先生が不在の診療所で、粛々と傷薬や回復薬を作り続けた。
日々、辺境伯邸の空気は重くなって緊迫感を増していた。騎士団がごっそり前線に出ているのだろう。人が少なくて、どこか静かだ。
辺境伯は前線で指揮をとっているようで姿を見ない。ブランもベテランの騎士や家令たちと走り回って指示を出していて、ニナを構うひまもない。ニナが引きこもっているせいもあるけど、筆頭聖女をはじめとして第二王子のご一行とも顔を合わせることもなかった。
その日は朝からどこか騒がしかった。どうやら前線の騎士や後方支援要員が入れ替わりのために帰って来たようだ。騎士や侍女たちがそこかしこで声高に話し込んでいる。珍しく寝坊したニナはできるだけ、人を避けて診療所へと向かう。
「やっぱり筆頭聖女様がいると思うと正直心強いよな」
「士気も高まっているようだよ」
「辺境伯様はああは言っていたけど、内心助かってるんじゃないか?」
「一度、婚約を破棄されたから、表向きはすぐ許しましたとはいかないかもしれないけど、若様と上手くまとまるといいなぁ。有事に聖女様は必要だよ」
「やっぱり、薬だけじゃ心許ないよなー」
なるほど姿を見ないと思ったら、宣言通り筆頭聖女様も前線に出ているようだ。彼女の言うように、前線で3分もかかる治癒魔法など役に立たないだろう。
「ニナちゃん!!」
ニナの存在に気づいた彼らが一斉に口をつぐんだ。
「必要な薬があれば準備しますが、足りないものはありますか?」
「あ、ああ……傷薬と打ち身用の薬、痛み止めの在庫がつきそうだ。あと、回復薬も。ヨアキム先生が書いたリストがあるから準備してくれると助かる」
「いつまでに必要ですか?」
「明日の朝、食料や武器なんかの補給品を運ぶ馬車が出るから、それまでにお願いできるかな?」
「了解しました」
「二、ニナちゃん!! ニナちゃんはいるだけで和むから、だからいいんだよ!」
「そうそう、危ないところには行かなくていいんだよ!」
「辺境伯様にも留守番するように言われているんだろう?」
みんなの気遣うような言葉にニナはどんな表情を浮かべていいのかわからず、黙って頭を下げると診療所へと向かった。
診療所に入ると、ふーっと大きく息を吐いた。
ブランが言っていたように、表だって辺境伯やニナのことを悪く言う者はいない。でも、どこか腫物に触れるような扱いをされると疲れる。
「こんにちは。今日も来てたのね」
診療所のバルコニーのテーブルを占拠しているのは東屋で出会った妖精のような女の子だった。未だにカラフルな一枚布をマントのようにかぶっているので、顔はわからない。
彼女はニナに懐いていて、夜の東屋だけでなく、ニナしかいない診療所にはなぜか出没するようになった。傍らに教本を広げて、今日もせっせと刺繍に精を出している。
ニナは預かった補給リスト片手に調剤室に向かい、木箱に薬を詰める。追加で調剤しなくても、在庫分で足りそうだ。あとは騎士を呼んで運び出してもらえばいいだろう。
気づいたら時間がけっこう経っていたので、休憩でもしようかと声をかけにバルコニーに出る。彼女は飽きもせず同じ体勢で刺繍を続けていた。
「ちょっと一息いれない?」
「うん、もうちょっとだけ。きりのいいところまでやっていい?」
「もちろん、いいよ」
ニナは向かいの椅子に座って、器用に小さな手先が動くのを見つめる。
「ニナちゃんも、刺繍する?」
「できる気がしないから大丈夫! 布を刺すより自分の指を刺しそうだから!」
「初めのうちはそんなもんだよ」
「裁縫は見てるだけでいいかな~。この本、ちょっと見てもいい?」
「どうぞ」
刺繍の教本なのかと思ったら、どうやらこの国の北方の文化史の本のようだ。
「母の故郷の本なの。持ち出せたお母様の唯一の形見」
「わぁ、そんな大事なものなんだね!」
確かに年季が入っていて、少し紙が黄ばんでいる。ニナは慎重にページをめくった。料理のレシピなんかも載っていて、なかなか楽しい。
「北方は肉食なんだね。生のお肉って食べたことないけど、おいしいのかなぁ?」
「お母様は北の方から嫁いできて、私自身はその土地を訪れたことはないの。この本も刺繍のところ以外はほとんど読んでないし」
「ん……結界の魔法?」
それは治癒魔法の手順ととてもよく似ていた。ニナの知識は医術、薬草学に偏っているので魔法には詳しくない。だけど四大魔法と治癒魔法以外の魔法について聞いたことはない。
シンボルを空に描いて、呪文を唱えて発動させる。治癒魔法と同じような手順。
「このシンボル……」
よく見る盾のような形。辺境の蓮の花の紋と同じくらいよく見る。
「ああ、それ、素敵な図案でしょ? 刺繍のページじゃないけど、気に入っちゃってよく使ってるんだ」
「ふふっ、ニナちゃんの紋ほどきれいじゃないけど、私の左手の甲にもこれに似た痣みたいなのがあるから親近感が湧いちゃって!」
彼女の左手には盾のような紋が浮かんでいる。
えーと。
……あの。
もしかして、この子、結界魔法の使い手だったりする?
しかも、本人無自覚で、周りも気づいてないとかそんなことないよね?
ふんわりしていてテンション高いけど、抜け目なさそうな辺境伯様が気づいてないとか、そんなことないよね??
恐らく手順さえ間違えなければ、結界の魔法をこの子は発動できるだろう。
この異常事態に前線に連れて行けば、利用価値はある。
でも、治癒魔法でさえ、目に見えてわからない。どのくらい魔力を消費するのかも、効果も。
自分が初めて治癒魔法を使った時のことが頭をよぎる。
人を怖がるこの子を表舞台に引きずり出すわけにはいかない。
よし、見なかったことにしよう!
ばくばくする心臓を押さえる。ヨアキム先生が戻ったら相談しよう。
辺境伯に報告は必要だろうけど人づてでは危険だ。できることなら直接伝えたい。彼ならこの子を無下に扱ったりしないだろう。
「あのね、その手の紋、とっても素敵だけど人には見せないほうがいいかも……」
「大丈夫。いつもは手作りのハンドカバーをしてるから。ニナちゃんは特別だから見せただけ」
そう言って傍らに置いてあったアームカバーを装着する。手袋とは違って指先は覆わない形になっていて、中指にひもをひっかけるようになっていて、手の甲はきちんと布で覆われて隠されている。それを見てほっと胸をなでおろす。
「右手はニナちゃんとお揃いにしたんだ!」
右手のアームカバーの甲にはニナの右手に浮かぶ薄紫の蓮の花とそっくりな刺繍が刺してある。ニナの顔がほころんだ。
「ニナちゃんは優しいね」
マントの下で彼女が笑った気がした。




