13 静かな夜にこぼれた本音
辺境伯夫人が偽物の聖女であること。
筆頭聖女がニナを排斥したがっていること。
辺境の害獣被害が思ったより、甚大であること。
そして、この地でなにかが起こること。
色々な事実を一度に知ったニナの頭は混沌としていた。その日の夜、寝つけなくて辺境伯邸の一階にある東屋に向かった。午後はずっと辺境伯邸の自分の客間にこもり夕食もそこでとった。少しだけ気分転換がしたかった。
一階の庭を見渡せる外廊下につながる形で造られた東屋がある。屋根と柱だけでできた木造の建物で、壁がない分、風通しがよく開放的だ。座り心地のいいソファと大きな観葉植物があり、ゆったりとした時間を過ごすことができる。夜になると明かりが灯され、近くには使用人の控室もあり、夜間でもニナの出入りが許可されている。
ほどよく明るくて、開放的でほっとできるこの場所で、ぼんやりするのがニナは好きだった。
辺境伯がお酒を傾けていたり、ブランが読書をしていたりする時もある。幸いなことに今日は先客はいない。
ニナは東屋に入ると端っこのソファに腰をかけた。お行儀が悪いけど靴を脱いで膝を抱えて座る。ソファにもたれかかって、目をつぶり風が通り抜けていく感覚に身をまかせた。虫の音や風の揺らす葉音といった聞き逃してしまいそうな小さな音が耳に入ってくる。
普段は明るい昼の方が好きだけど、今は夜の暗さと静けさが心地よく感じられた。
人の気配にはっとすると見慣れた人影が目に入る。
「室長……」
渋い顔をする彼を見て、ニナはそっと靴を履いて腰を浮かせた。
「もう、ニナの上司じゃない」
「申し訳ありません。オーガスタス次期辺境伯様」
なぜかもっと苦い顔をされた。そわそわして立ち上がろうとすると腕を掴まれる。
「落ち着かないなら、俺が出て行く」
「いえ、もう用事は終わったので、大丈夫です!」
「……」
全てを見透かすような目で見られて、腰を再度おろした。
「迎賓館の方に滞在されているとお聞きしましたが?」
本宅から離れた位置に建てられている迎賓館に第二王子ご一行は滞在すると聞かされている。そちらに食堂などの施設もあるので、基本的に彼らと鉢合わせることはない。だから、本来なら筆頭聖女と顔を合わせることもなかったはずなのだ。故意でない限り。
今回、第一騎士団の任務として来ているので、彼も本宅ではなく迎賓館の方に滞在しているはずだ。
「泊まるのはあっちだけど、俺だって息抜きの時間が必要なんだよ」
髪をかきあげて言う彼は、医務室で一緒に仕事をしていた時とは別人のように見える。
魔法が使えるようになったんですか?
左足は完治したんですか?
それは筆頭聖女様の力ですか?
筆頭聖女様と再度、婚約するのですか?
騎士団に復職したんですか?
任務以外に帰省した目的はあるんですか?
聞きたいことはたくさんあるのに、全部、夜の空気に溶けていく。
「エールでも飲まないか?」
「……私はいいです」
ブランと兄弟だけあって、同じ誘い文句。ニナから小さな笑いがこぼれると、少し場の空気が軽くなった。
「でも、なにか別のものを頼みます」
元上司が侍女を呼んだので、ニナは薬草茶を頼んだ。今はソーダ水よりあたたかくて少し苦いものが欲しかった。
「ニナ、知ってるか? 古来から伝わる治癒魔法は一種類だった」
ニナは無言でうなずいた。侍女が用意してくれた薬草茶はほどよい温度で、口にすると体がゆるむのを感じた。
「今は初級と呼ばれバカにされているけどな。中級だの、上級だのができたのはここ十年くらいのことだ。神殿が古文書を遺跡で見つけたと言ってね。ろくに検証もせずに勝手に大金を取って、秘術を授けだした」
ニナはカップをサイドテーブルに置いて、姿勢を正した。
辺境伯のポジションははっきりしている。ニナ本人を嫌いなわけではないが、聖女や治癒魔法に嫌悪感がある。妻が偽物に仕立て上げられた恨みもあるのだろうが、それだけではない気がする。
それなら、次期辺境伯である彼はどの立場でものを言おうとしているのだろうか?
「……伝統って大事ですけど、時間が短くなったり気軽に使えるようになるなら、いいことじゃないですか?」
秘術を神殿の金儲けに利用していることは少々思うところはあるが、効率的になるならいいことではないかと思う。
「一撃必殺の技なんて……奇跡なんてないのにな……」
「?」
「あー、色々ややこしすぎる! あーあ。疲れたなぁ……」
元上司はエールを一息に飲んだ。気持ちのいい飲みっぷりだ。ジョッキを置くと、ソファに沈み込み目を閉じた。かなりお疲れのようだ。
どうやら彼も聖女や治癒魔法には懐疑的なようだ。筆頭聖女と父親に挟まれるのはさぞかし辛かろう。
風呂をすませたのか、昼間は固めていた少し癖のある黒髪が額を流れている。いつもの騎士服ではなく白いシャツに着心地のよさそうな黒のトラウザース。くつろいだ格好なのに、逆に体格の良さが強調されている。大きめのソファでも彼の大きな体を受け止めきれていなくて、斜めにもたれかかっている。
「ニナはエールは飲んだ? ここの名物なんだけど」
ふいに目を開けた彼がこちらを見た。目をつむっているのをいいことに彼を観察していたニナと目があう。琥珀の瞳で直視されると、無駄に体温が上がるからやめてほしい。
「まだです。ソーダ水は好きです。アルコールは口にしたことがなくて。でも、酔っ払っている人を見るとちょっと勇気がでません」
「ははっ。飲んでどうなるかは人によるからなぁ」
空になったジョッキを見て、名残惜しそうにしている。全然酔っ払っている気配がないので、まだアルコールが足りないのかもしれない。
「ニナ」
「はい」
「全部、終わったら一緒に飲まないか?」
「祝勝会ですか?」
辺境は普段から陽気な人が多いので、きっと今回の件が片付いたらお祭り騒ぎになりそうな気がする。
「いや、そうじゃなくてさ……。ニナが酒を飲んでどうなるかわからなくて怖いなら、初めて飲む時は一緒にいるから。そうしたら安心して飲めるだろ? 俺、酒強いし」
「はい」
次期辺境伯という尊い身分の人と二人で飲めるわけがないとか、もう出来の悪い部下の世話をしなくていいんですよとか、全てが終わってニナがここにいるかわかりませんよとか、言いたいことは山ほどある。
でも、全てを飲み込んで笑顔をつくった。
「おやすみ」
サイドテーブルに置かれた薬草茶のカップ傍らにコロンと転がる飴。距離の近づいた彼からはカサブランカの香りがした。濃厚で甘くてスパイシーな筆頭聖女の香り。
彼の気配が完全に消えた後、飴の包みをあけた。
「ミント味だ……懐かしい」
初めの頃はこればっかりだった。だんだんと出現率が下がって、果物の味のするものに変わっていった気がする。彼も変わったように見えて、芯のところは変わっていないのだろうか?
からころと口の中で飴を転がす。飴がなくなるまで、ニナは一人静かに東屋で佇んでいた。




