第74話「空飛ぶ羽と、ひみつの練習」
ここは、アクアリス達が暮らしている。オープン前の第三アクアリス水族館、今日も今日とて平和です。
海鳥エリア、ペンギンアイランド。様々な種類のペンギン属のいるエリアにて。
朝の柔らかな光が人工岩場を照らし、冷却された空気が白く揺れている。水辺では数羽のペンギン達が滑るように泳ぎ、時折水飛沫をあげていた。
その少し離れた高い岩場。
黄色い冠羽を揺らしながら、キマユペンギンはじっと下を見つめていた。
足元には薄い氷。
月光力によって作られたそれは、淡く青白く輝いている。
小さく息を吐く。
そして。
岩を蹴った。
氷が砕け、身体がふわりと空へ浮く。
だが次の瞬間、姿勢を崩した。
「わっ——」
空中でぐるりと回転し、そのまま雪の積もった地面へぼふんっと落下する。
静寂。
数秒後。
雪の中から冠羽だけがぴょこんと出てきた。
「……いたた」
もぞもぞと雪から這い出る。
頬に雪をつけたまま、むぅ……と唇を尖らせた。
「難しい……」
小さく呟いたその時。
ぱちぱち、と拍手が聞こえた。
振り返る。
そこには飼育員が立っていた。
「あ、見てたんですか……」
「見てたよ~。今の回転、すごかったじゃん」
「失敗です……」
「でも前より飛んでた」
そう言われ、キマユペンギンは少しだけ目を丸くする。
飼育員は近付きながら笑った。
「最近ずっと練習してるよね?」
「……まぁ」
「飛ぶの、好きなんだ?」
少しだけ沈黙。
キマユペンギンは視線を逸らし、人工岩場の上を見る。
「好き……というか」
「うん?」
「空を飛ぶと、自由になれるので」
静かな声だった。
海鳥エリアに冷却ファンの風が流れる。
冠羽がふわりと揺れた。
「水の中も好きです。でも、空はもっと広いですから」
「なるほどなぁ」
「……変ですか?」
「全然」
即答だった。
キマユペンギンは少し驚いたように飼育員を見る。
飼育員は笑いながら続けた。
「ペンギンなのに飛べるって、普通ならありえない。でもキマユペンギンちゃんは飛べる」
「……」
「それってすごいことだと思うよ」
キマユペンギンは少しだけ俯いた。
耳まで赤い。
「……また、その話」
「フライング・ペンギン?」
「言わないでください……」
「えぇ~?かっこいいのに」
「恥ずかしいです……」
彼女は両手で顔を隠した。
飼育員はくすくす笑う。
その時。
ぴしっ。
足元に氷が生まれた。
キマユペンギンの感情に反応したらしい。
「わっ冷たっ」
「……知りません」
ぷいっとそっぽを向く。
だがその顔はどこか楽しそうだった。
飼育員は人工岩場へ視線を向ける。
「そういえば、今日はどんな練習してたの?」
「長距離飛行です」
「長距離?」
「はい。今までは瞬間的な移動ばかりでしたけど、もっと長く飛べるようになりたいので」
「へぇ……」
「空中での姿勢制御も課題です。さっきみたいに回転してしまいますし」
「でもあれ、ちょっとアクロバットっぽかったよ」
「落下です」
「そっか」
真顔で返され、飼育員は吹き出した。
キマユペンギンはむっとした顔をする。
「笑わなくてもいいじゃないですか」
「ごめんごめん」
「……もう」
だが怒っている様子はなかった。
むしろ少し安心しているような空気だった。
飼育員はふと思い出したように口を開く。
「そういや昨日、他の飼育員達が話してたよ」
「?」
「キマユペンギンちゃん、また壁登ってたって」
「……登りました」
「しかも脚だけで」
「手を使うと負けた気がするので」
「何に!?」
思わず声が大きくなる。
キマユペンギンは真剣な顔だった。
「岩場にです」
「岩場と戦ってたの!?」
「はい」
「なんで!?」
「そこに壁があったので」
飼育員は額を押さえた。
「なるほどわからん」
キマユペンギンは首を傾げる。
「変ですか?」
「だいぶ」
「……」
少しだけしゅんとなる。
飼育員は慌てて手を振った。
「あっいや!悪い意味じゃなくて!」
「……ほんとですか?」
「ほんとほんと。キマユペンギンちゃんらしいなって」
その言葉に、彼女は静かに目を瞬かせた。
そして。
ほんの少しだけ微笑む。
「……なら、いいです」
冷たい風が吹く。
遠くでペンギン達が鳴いていた。
キマユペンギンは再び岩場を見上げる。
「もう一回、飛びます」
「お、見る見る」
「今度は失敗しません」
「期待してる」
彼女はこくりと頷く。
足元に再び氷が広がった。
青白い月光。
空気が静かに震える。
キマユペンギンは目を閉じ、深く息を吸う。
そして。
岩を蹴った。
氷の粒が舞い散る。
身体が宙へ浮かぶ。
先程よりも高く。
先程よりも遠く。
彼女は空中で静かに姿勢を整えた。
風が冠羽を揺らす。
その姿は、まるで空を泳ぐ鳥のようだった。
「おぉ……」
飼育員が思わず声を漏らす。
キマユペンギンは空中を滑るように進み、そのまま人工岩場の上へ着地した。
少しだけふらつく。
だが転ばない。
「……できた」
ぽつりと呟く。
その瞬間。
ぱぁっ、と表情が明るくなった。
飼育員は大きく手を振る。
「すごいじゃん!!」
上から見下ろしたキマユペンギンは、少し照れたように目を細めた。
「……まぁ、このくらいは」
「絶対嬉しい顔してる」
「してません」
「してるしてる」
「……してません」
否定しながらも、彼女の口元はわずかに緩んでいた。
海鳥エリアに朝の光が降り注ぐ。
ペンギン達の鳴き声。
揺れる水面。
そして、高い岩場の上。
そこには少しだけ誇らしそうに胸を張る、一羽の“空飛ぶペンギン”の姿があった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




