第72話「ペンギンアイランドの見回り当番」
ここは、アクアリス達が暮らしている。オープン前の第三アクアリス水族館、今日も今日とて平和です。
海鳥エリア、ペンギンアイランド。様々な種類のペンギン属のいるエリアにて。
冷たい人工岩場の上を、黒と白を基調にした少女が静かに歩いていた。
冠羽のような黄色い髪飾りが、歩くたびに小さく揺れる。
キマユペンギンは周囲を見渡しながら、小さく頷いた。
「......異常、なし」
ペンギンたちは元気よく鳴きながら水へ飛び込み、勢いよく泳いでいく。
ばしゃり、と跳ねた水滴が彼女の頬へかかった。
「......冷たい」
だが嫌そうではない。
むしろ、少し落ち着いたように目を細めていた。
その時。
遠くの岩場から、ぴぃーっ!と甲高い鳴き声が響く。
キマユペンギンがそちらを見ると、一羽の小さなペンギンが岩陰で転んでいた。
「......あ」
急いで近づく。
転んだペンギンは慌てたように羽をばたつかせていた。
「......大丈夫」
そっと抱き起こす。
するとペンギンは安心したように鳴き声を漏らした。
キマユペンギンは小さく息を吐く。
「......びっくり、しただけ」
よちよち歩きで戻っていくペンギンを見送りながら、彼女は静かに岩場へ腰を下ろした。
人工雪の積もる白い景色。
青白い照明。
水の流れる音。
ここは落ち着く。
彼女はぼんやりと水槽を眺めた。
すると不意に、館内放送が響く。
『海鳥エリア、点検作業を開始します』
「......点検」
キマユペンギンは立ち上がる。
見回りも兼ねて、上部通路へ向かうことにしたらしい。
人工岩壁を見上げる。
普通なら階段を使う高さ。
だが。
彼女の足元に、淡い月光色の氷が生まれた。
ぱきん。
氷を蹴る。
身体がふわりと宙へ浮いた。
そのまま空中を滑るように上昇する。
長い冠羽が風になびき、黒い上着の裾が揺れる。
数秒で上部通路へ到着した。
「......よし」
通路を歩きながら配線や照明を確認していく。
真面目な性格なのか、一つ一つ丁寧だった。
「......異常なし」
「......ここも」
「......うん」
静かな声が続く。
だがその時。
かたん。
どこかで小さな音が鳴った。
キマユペンギンはぴたりと止まる。
「......?」
ゆっくり周囲を見る。
すると通路の隅に、小さな工具箱が転がっていた。
「......落とした?」
近づいて確認する。
中身は無事だった。
だが、端の方に小さなネジが散らばっている。
「......危ない」
しゃがみ込み、一つずつ拾い始める。
すると。
ころころ。
最後のネジが床を転がった。
「あ......」
ネジは通路の隙間から落ちそうになる。
反射的に手を伸ばした。
だが届かない。
その瞬間。
ぱきっ。
足元に氷が生成される。
彼女は氷を蹴り、一瞬だけ身体を滑らせた。
ひゅっ。
空中でネジを掴む。
「......とれた」
静かに着地。
そしてそのまま固まる。
下を見る。
そこには数羽のペンギンたち。
ぽかん、とした顔で彼女を見上げていた。
「............」
キマユペンギンは無言で視線を逸らす。
どうやら見られていたのが恥ずかしいらしい。
そのまま足早に歩こうとした瞬間。
ぴぃーっ!
ぴぴーっ!
下のペンギンたちが騒ぎ始めた。
「......?」
まるで真似するように、小さく跳ね始める。
ぴょん。
ぴょん。
「............」
しばらく見つめた後。
キマユペンギンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「......ふふ」
珍しい笑みだった。
すると今度は。
ぴぴぃーっ!
ペンギンたちがさらに騒ぎ出す。
「......うるさい」
そう言いながらも、声音は柔らかい。
彼女は通路の柵へ軽く寄りかかった。
下ではペンギンたちが泳ぎ回っている。
水中を飛ぶように進む姿。
岩場をよちよち歩く姿。
喧嘩している子。
眠そうな子。
全部違う。
けれど、みんなここで暮らしている。
キマユペンギンは静かに目を細めた。
「......ここ、好き」
小さな呟き。
誰も聞いていないはずだった。
だが。
下のペンギンが一羽、こちらを見て鳴いた。
まるで返事をするように。
彼女は少し驚き、それから小さく笑った。
「......変なの」
その時だった。
館内の照明が一瞬だけちらつく。
キマユペンギンの表情が変わった。
「......?」
すぐに周囲を確認する。
異常音はない。
だが、ほんの少しだけ空気が重い。
「............」
彼女はゆっくり空を見上げた。
人工天井の向こう。
見えるはずのない月を思い浮かべるように。
静かな海鳥エリア。
水の音。
鳴き声。
その中で、キマユペンギンはしばらく動かなかった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




