第54話 珊瑚色の寄り道
ここは、アクアリス達が暮らしている。
オープン前の第三アクアリス水族館、今日も今日とて平和です。
クラゲ館を出たあとも、ヒメタツとカワテブクロは並んで通路を歩いていた。
館内にはまだ静かな空気が流れている。
開館前特有の落ち着いた時間。
遠くでは飼育員たちの準備する音が小さく響いていた。
カワテブクロは掃除道具の入った袋を抱えながら、元気いっぱいに歩いている。
「いや~!助かったよ~!」
「お役に立てたのならよかったですわ」
「ヒメタツ、めちゃくちゃ丁寧だったもん!ガラスぴっかぴか!」
「そうでしょうか?」
「うん!あたし途中から自分の顔見て遊んでた!」
「遊んでいたんですの?」
「うん!」
あっけらかんと答えるカワテブクロに、ヒメタツは思わず苦笑した。
「ちゃんと掃除してくださいまし……」
「してたってば~!」
そう言いながら笑う姿は、本当に子どものようだった。
ヒメタツはそんな彼女を横目で見る。
明るくて、よく笑って、じっとしていない。
まるで太陽みたいな子だと思った。
「……カワテブクロさんは」
「ん?」
「いつも、お手伝いをしているのですか?」
「うん!」
即答だった。
「飼育員さん忙しそうだし!あたしも役に立ちたいから!」
「素敵ですわね」
「えへへ~」
カワテブクロは頭をかく。
その時だった。
ぐぅぅぅ……
小さな音が響く。
ヒメタツがぴたりと止まった。
カワテブクロも止まる。
「……今の」
「……」
「ヒメタツ?」
ヒメタツは耳まで真っ赤になっていた。
「き、聞かなかったことにしてくださいまし……」
「お腹空いてるの!?」
「ち、違っ……いえ、違わなくはないですが……」
図書エリアに長くいたせいで、朝食を食べそびれていたのだ。
カワテブクロはぱっと表情を明るくした。
「じゃあ行こ!」
「え?」
「休憩スペース!今ならまだ誰もいないよ!」
「ですが……」
「いいからいいから!」
またしても勢いに押され、ヒメタツは手を引かれていく。
ふたりがやってきたのは、小さな休憩スペースだった。
窓際に丸テーブルが並び、自動販売機と軽食コーナーがある。
まだ営業前なので静かだった。
カワテブクロは慣れた様子で棚を開ける。
「あった!」
取り出したのは小さな袋。
中には丸いクッキーのようなおやつが入っていた。
「これ、おいしいんだよ!」
「それは?」
「甲殻類ボール味クッキー!」
「名前が強いですわね……」
「でもおいしい!」
カワテブクロは一枚取り出して口へ放り込む。
さくっ、と音がした。
「ほら、ヒメタツも!」
「い、いただきます……」
ヒメタツは小さく一口かじる。
甘さの中にほんのり海藻の風味が混ざっていた。
「……おいしいですわ」
「でしょー!」
カワテブクロは嬉しそうに笑う。
ヒメタツも少しだけ頬を緩めた。
窓の向こうでは、水槽の光がゆらゆらと反射している。
穏やかな時間だった。
「ヒメタツってさ」
「はい?」
「昔からここにいるんだよね?」
「えぇ」
「どんな感じだった?」
ヒメタツは少し考える。
「……今より、もっと静かでした」
「へぇ~」
「アクアリスの数も少なく、館内もまだ完成していない場所が多かったですわ」
「なんかすごい……」
カワテブクロは目を輝かせた。
「じゃあ全部知ってるんだ!」
「全部、というほどではありませんけれど……」
「でもかっこいい!」
「か、かっこいいですの?」
「うん!」
カワテブクロは身を乗り出す。
「古参アクアリスって、なんか伝説みたい!」
ヒメタツは困ったように笑った。
「そんな大層なものではありませんわ」
「でもあたし、憧れる!」
「憧れ……」
「うん!みんなを守れたり、頼られたり!」
その言葉に、ヒメタツは少しだけ視線を落とした。
水俣の海。
苦しかった過去。
人間を信じられなかった頃。
様々な記憶が脳裏をよぎる。
だが今は違う。
この水族館には、優しい人たちがいた。
仲間たちがいた。
ヒメタツは静かに微笑む。
「……今のわたくしがいるのは、皆さんのおかげですわ」
「?」
「館長や飼育員さんたち、そしてアクアリスの皆さんが、わたくしを変えてくださいました」
カワテブクロは真剣に聞いていた。
「そっか……」
「ですから、わたくしも誰かの助けになれたらと思っていますの」
「なってるよ!」
即答だった。
ヒメタツは目を丸くする。
「え?」
「だって今日も助けてくれたじゃん!」
カワテブクロはにかっと笑う。
「ヒメタツ、優しいもん!」
その真っ直ぐな言葉に、ヒメタツは少し照れたように目を逸らした。
「……ありがとうございます」
その時。
館内放送が静かに流れ始めた。
開館十分前を知らせるアナウンス。
カワテブクロは立ち上がる。
「あっ、もうこんな時間!入口の最終確認行かなきゃ!」
「わたくしも戻りませんと」
ふたりは休憩スペースを出る。
通路には少しずつ飼育員やアクアリスたちの姿が増えてきていた。
開館が近い。
カワテブクロはくるりと振り返る。
「また一緒に掃除しよーね!」
「えぇ、ぜひ」
「約束!」
「はい、約束ですわ」
そう言うと、カワテブクロは元気よく走っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ヒメタツは小さく笑う。
「……にぎやかな方ですわね」
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ心地よい。
朝の光が水槽に反射し、通路をきらきらと照らしていた。
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次回もお楽しみに




