第52話 「静かな図書エリア」
オープン前の第三アクアリス水族館は、まだ来館者の声もなく、ゆったりとした静寂に包まれていた。展示エリアの照明は控えめで、館内を歩けば水槽の揺らめく光が天井へ映り込む。その中でも図書エリアは特に静かで、本の紙の匂いと、遠くの濾過装置の低い音だけが空気に溶け込んでいた。
高い本棚の前で、小柄な少女がぴょんと背伸びをする。
「ふぅ!ん~!」
しかし指先はあと少し届かない。
その様子を見ていたルビー色の髪の少女が、静かに歩み寄った。
「これがほしいのかい?」
長い腕を伸ばし、一冊の分厚い本を軽々と取り出す。
明るい黄土色の髪をした小柄な少女は、ぱっと顔を明るくした。
「あ、はい!ありがとうございます!」
受け取った本を大事そうに抱える。
ルビー色の髪の少女は、その姿を見て小さく微笑んだ。
「おや、君はたしか三人の古参アクアリスの」
「ヒメタツです!」
元気よく頭を下げる。
ヒメタツ
『トゲウオ目 ヨウジウオ科 タツノオトシゴ亜科 タツノオトシゴ属 ヒメタツ』
タツノオトシゴ類は外見がにており分類学的に混同され、2017年にタツノオトシゴとは頭部の突起が小さいこと、ハナタツと背びれの基底付近に側方へ張り出す突起があるとして新種として認定された。卵を抱えたメスがオスのお腹の袋(育児嚢)に卵を入れる、その姿はまるでハートに見える。卵を受け取り体を動かし袋の中で受精させる。約1ヶ月後の夜にオスは孵化した赤ちゃんヒメタツを生む。タツノオトシゴ類のアクアリスはアホ毛が生えておりヒメタツのアホ毛は小さい、水俣の海からやってきた、過去のトラウマか、水銀が嫌いであり昔は人間嫌いだったが、第一、第二アクアリス水族館の飼育員や館長や地元の人達とのふれあいによって、普段の性格に戻った、第三アクアリス水族館を作ることが決定した際、送られた最古参のアクアリスの一人。
「そうだそうだ、ヒメタツだね、私はマダコだよ、ここで知識を集めている」
ルビー色の髪の少女――マダコは、本棚の側面へ軽く寄りかかった。
マダコ
「八腕目 無触毛亜目(マダコ亜目) マダコ科 マダコ属 マダコ」
日本近海でポピュラーなタコの軟体動物です。全身は約60〜70cm、最大で1.3m、重さは10kgにも成長します。知恵が高く周囲に合わせて体色を変える能力を持ち、1〜2年の短い寿命で貝や甲殻類を食べて生活します。無脊椎動物の中で最も知能が高い部類に入り、学習能力や問題解決能力があり人間の3歳児ほどの知能があるとも。アクアリス化したマダコは知識を集めることが好きでよく図書エリアにいる。
ヒメタツは抱えていた本を見下ろした。
「マダコさん」
「ん?何かな?」
「マダコさんは、いつもここで?」
マダコは本棚の並ぶ空間をゆっくり見渡す。
「あぁ、そうだよ」
その返事は自然で、まるで“ここにいること”が当たり前だと言っているようだった。
ヒメタツは感心したように目を丸くする。
「すごいですね」
「そんなことないよ、私はここが好きなだけさ」
マダコは笑いながら近くの机へ向かった。机の上には開きっぱなしの図鑑やメモ用紙、読みかけの本が積み重なっている。
ヒメタツは周囲をきょろきょろと見回した。
図書エリアには魚類、深海生物、海流、古代生物、環境問題、さらには星や地理の本まで並んでいる。水族館にあるとは思えないほど種類が豊富だった。
「その本、読むならあそこが空いているよ」
マダコが指差した先には、窓際の小さな席があった。ガラス越しに巨大水槽が見え、青い光が静かに差し込んでいる。
「ありがとうございます」
ヒメタツはぺこりと頭を下げ、席へ向かう。
椅子によじ登るように座り、本をそっと机へ置いた。
表紙には「海洋生物の生態」と書かれている。
「……難しそうです」
小さく呟きながらページを開く。
すると、すぐ後ろから声がした。
「最初から全部理解しようとしなくていい」
振り返ると、マダコが別の本を抱えて立っていた。
「好きなところだけ読めばいい。本っていうのは、全部覚えるためだけにあるわけじゃないからね」
ヒメタツは少し考え込む。
「好きなところ……」
ぱらぱらとページをめくる。
すると、タツノオトシゴの仲間について書かれたページが目に入った。
「あ……!」
目を輝かせる。
マダコはその反応を見て、静かに笑った。
「見つけたみたいだね」
「はい!」
ヒメタツは夢中になって読み始めた。
図書エリアには、ページをめくる音だけが静かに響く。
遠くでは開館準備のアナウンスが小さく流れ始めていた。しかしこの場所だけは、まだ時間がゆっくり進んでいるようだった。
マダコは椅子へ腰掛け、自分の本を開く。
ヒメタツは小さな身体を揺らしながら、一文字ずつ丁寧に読んでいく。
静かな朝の図書エリア。
そこには、知識を集める者と、新しく知る喜びを覚える者の、穏やかな時間が流れていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




