第38話 雷の奥にある静かな場所
「ここは、アクアリス達が暮らしている。アクアリス水族館、今日も今日とて平和です。」
アマゾンエリア。
巨大な木々を模した柱が天井まで伸び、霧のような湿った空気がゆっくり漂っている。水槽の中では大型魚が影のように泳ぎ、足元には浅い水路が流れていた。
ぴちゃ、ぴちゃ、と小さな水音。
ミナミメダカは辺りを見回しながら歩いていた。
「す、すごいです……ほんとうに森みたい……」
黒髪の少女は静かに前を歩いている。
腰に揺れる電気を通しやすい鞭。腕には淡く青白い電流が走っていた。
「夜になるともっと暗いよ。雷も鳴るし」
「ら、雷!?」
「人工だけどね。アマゾンの環境を再現してるから」
そう言いながら、デンキウナギは小さく笑った。
ミナミメダカはその横顔を見つめる。
さっきまでアビスと戦っていたとは思えないほど落ち着いていた。
「……デンキウナギさんって、いつも戦ってるんですか?」
「んー……パトロールは毎日してる。アビスが出るかもしれないから」
「怖くないんですか……?」
「怖いよ」
即答だった。
ミナミメダカは思わず目を丸くする。
「え?」
「怖い。でも、誰かがやらないといけないから」
デンキウナギは立ち止まり、大水槽を見上げた。
巨大なアロワナがゆっくりと泳いでいく。
その銀色の身体が照明を反射し、森の中に月光が落ちたように揺れていた。
「私は強いわけじゃない」
「でも、すごかったです!」
「電気が強いだけ。近づかれたら危ないし、水の中じゃないと本気も出せない。空気呼吸だから長く潜れないし」
「それでも……すごいです」
ミナミメダカは小さく拳を握った。
「私、メダカだから……小さくて、弱くて……」
その声は、どこか沈んでいた。
デンキウナギは少しだけ首を傾ける。
「小さいと弱いの?」
「え?」
「アマゾンには小さい魚いっぱい居るよ。みんな必死に生きてる」
「でも、攻撃力とか……」
「必要?」
「えっ」
「戦うだけが強さじゃないよ」
静かな声だった。
しかし、その言葉は妙に重かった。
「ミナミメダカは、さっき逃げなかった」
「そ、それは……!」
「普通は怖くて逃げる」
ミナミメダカは言葉を詰まらせる。
確かに怖かった。
アビスを見た瞬間、足が震えた。
それでも、目を逸らせなかった。
「頑張り屋なんだね」
「……!」
ミナミメダカの顔が少し赤くなる。
「そ、そんなこと……」
「あるよ」
デンキウナギはそう言うと、再び歩き出した。
「こっち」
「は、はい!」
ふたりはさらに奥へ進んでいく。
アマゾンエリアの裏側。
そこには小さな休憩スペースがあった。
木製の椅子。観葉植物。小さな照明。
水音だけが静かに響いている。
「ここ、私のお気に入り」
「わぁ……落ち着きます……」
「誰もあんまり来ないから」
デンキウナギは椅子に腰掛ける。
その瞬間、ぱちり、と微弱な電気が走った。
照明が少しだけ明るくなった。
「わっ!?」
「たまにこうなる」
「び、びっくりしました……」
「ごめん」
デンキウナギは少し困ったように目を伏せた。
ミナミメダカは慌てて首を振る。
「い、いえっ!」
その時だった。
ぐぅ〜……
小さなお腹の音。
ミナミメダカの顔が真っ赤になる。
「〜〜〜っ!?」
「……お腹空いた?」
「き、聞かないでください〜!」
デンキウナギは小さく吹き出した。
「ふふっ」
「わ、笑いましたね!?」
「ちょっとだけ」
珍しく、柔らかい笑顔だった。
ミナミメダカは少しだけ安心したように肩の力を抜く。
「……デンキウナギさんって、もっと怖い人かと思ってました」
「よく言われる」
「でも優しいです」
「……そうかな」
「はい!」
その返事は真っ直ぐだった。
デンキウナギは少し黙り込む。
自分が優しいなど、考えたことがなかった。
危険を探して。
アビスを倒して。
水族館を守る。
そればかりだったから。
「……ありがと」
小さな声だった。
その時。
ぱたぱたぱたっ、と慌ただしい足音が聞こえてきた。
「デンキウナギちゃ〜ん!」
元気な飼育員が走ってくる。
「いたいた!探したよ〜!」
「……どうしたんですか?」
「また巡回ルート増やそうとしてたでしょ!」
「うっ」
「館長から、休憩も仕事って言われてるでしょ〜?」
デンキウナギは露骨に目を逸らした。
ミナミメダカは思わずくすっと笑う。
「……笑った?」
「え!?い、いえ!?」
「ミナミメダカちゃんまで〜」
飼育員は楽しそうに笑った。
「デンキウナギちゃん、真面目すぎるからねぇ」
「……安全第一です」
「はいはい。でも倒れたら意味ないから」
「……気をつけます」
全然納得していない顔だった。
飼育員は苦笑する。
「それじゃ、ちゃんと休むんだよ〜?」
「はい」
飼育員は手を振りながら去っていった。
静けさが戻る。
水音だけが響いていた。
「……人気者ですね」
「そう?」
「みんな、心配してました」
デンキウナギは少しだけ考え込む。
それから小さく息を吐いた。
「……守るって難しいね」
「え?」
「自分だけで全部やろうとすると、怒られる」
ミナミメダカは少し考えたあと、ふわりと笑った。
「でも、それって……みんながデンキウナギさんを大切に思ってるってことじゃないですか?」
デンキウナギは目を瞬かせる。
「……そう、かな」
「はい!」
ミナミメダカは力強く頷いた。
その笑顔を見ていると、不思議と肩の力が抜ける。
ぱちっ。
デンキウナギの指先から小さな電気が跳ねた。
驚いたミナミメダカが小さく肩を揺らす。
「わっ」
「……安心すると、たまに漏れる」
「感情と連動してるんですか?」
「たぶん」
「ふふっ、面白いですね」
「……そう?」
「はい!」
アマゾンエリアの奥。
静かな休憩スペースに、小さな笑い声が響いていた。
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次回もお楽しみに




