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06話 「よろしく、アンジュ」

【Side:シェナ】



 あれからは特に何事もなく。警備隊への事情説明はターシュが行ってくれたし、警備隊もしっかりと尋問を行うことを約束してくれた。

 幸いに馬車は壊れたりパンクさせられたりはしていなかったので、俺とアンジュ様は馬車に乗り込み、また、ターシュの運転で俺たちはラティオの屋敷へ帰宅した。



「イデーア侯爵家に比べればこじんまりとしているかもしれませんが……」


 俺はそう言いながら、馬車から降りてその手をアンジュ様に差し出す。アンジュ様は俺の手を受け取って、馬車から降りて辺りを見回すのだった。


「泊めていただくのに文句は言いませんわ」


 先ほどまで激昂していたアンジュ様も、馬車の中で大分落ち着きを取り戻したのか、その表情はいつものイデーア家侯爵令嬢アンジュ・イデーアに戻っていた。


「寒いでしょう、さぁ、中に」


 そう俺が促した時、アンジュ様は辺りを見回してぽつり、と呟いた。


「スヴュート……」


 風が、アンジュ様の綺麗な髪を揺らす。同時に、アンジュ様が見たもの、スヴュートの花も揺れて。

 俺はアンジュ様と同じ方向を見て問うのだ。


「好きですか、スヴュートの花」


 俺のそんな問いに、アンジュ様は目を細めて言うのだ。


「この、光の花に相応しい国母になろうとしていましたからね」


 スヴュート、この国の国花で花言葉は光。

 俺は「誰よりもアンジュ様がスヴュートに相応しい女性ですよ」そう言おうとして、その言葉を飲み込んだ。今のアンジュ様にその言葉はアンジュ様を傷つけるだけだろうことが容易に予想ができたから。


「お部屋にお持ちしましょうか?」


 だから、代わりに。もし、この花が僅かでもアンジュ様の心を癒してくれるなら、そう思って提案した。


「いえ、それでは花が可哀そうですわ。花はこうして自由に咲き誇っているのが正しい在り方です」


 そうアンジュ様は庭園のスヴュートをその目に焼き付けるように見つめる。

 その凛としているのに儚げな表情は俺の胸を締め付けた。

 ずっと、見つめていたい、そう思った。

 だけど。


「風邪をひきますよ、そろそろ屋敷へ」

「ええ」


 此処で体調を崩してしまっては屋敷まで来てもらった意味がなくなってしまう。俺は、アンジュ様を屋敷の中へ連れていくのだった。



 さて。俺は、アンジュ様を少々客間に待たせて、メイド長を捕まえる。訳を話せば、メイド長は驚いた顔をしつつ言うのだ。


「まあまあ、まあまあ!イデーア侯爵令嬢を婚約者として連れてくるなんて……!隅に置けませんわねぇ、シェナお坊ちゃま!ですが、婚約者とは言え、婚姻前同衾などは許されませんよ?」


 そう、まるで実母のようにはしゃぐメイド長に苦笑しながら言うのだ。


「いや、しないよ。俺は女性を強引に手籠めにする趣味はないからね。で、その上でなんだけど……」


 俺はメイド長に今日夜会であったことを簡単に話す。そうすると、どんどんメイド長の顔が曇っていって。


「それは……」

「同じ女性なら分かると思うんだ。好きな男に振られて、しかも、下げ渡されて……その心が。だから、極力アンジュに寄り添ってあげて欲しいんだ」

「それは、構いませんが……」

「もちろん、部屋も別だし、1人行動も許す。ただ、彼女が1人で泣いていたら。同じ女性として寄り添ってあげて欲しい」


 俺のそんな切実な頼みごとにメイド長は言うのだ。


「僭越ながら……その役割はシェナお坊ちゃまがするべきなのでは?その方が……」

「その方が、アンジュ様の信頼を勝ち得られる?」


 俺の問いにメイド長が無言でこくり、と頷く。

 うん、そう言う考えもあるだろう。


「酷く傷ついてるときに打算で近づいてこられる方が嫌だろ?卑怯な手を使ったんだ、これ以降は俺はアンジュ様に寄り添いたいんだ」

「シェ、シェナお坊ちゃま……!」


 メイド長がハンカチで目元を押さえる。いや、感動させる目的で言ったわけじゃないんだけど。そんなことを思っていると、メイド長が口を開いた。


「かしこまりました。では、アンジュ様を通常通りおもてなししつつ、必要に応じてその心に寄り添わさせていただきます。……ご報告は要りますか?」

「いや、アンジュ様が許可しない限りは俺に言わなくていいよ」

「かしこまりました。では、お部屋の準備をしてまいります」

「ああ、頼んだ」


 俺はメイド長と別れて、客間に戻る。

 客間では、アンジュ様はうちで一番柔らかいソファに座っていた。


「紅茶、お好きではないですか?」

「……いえ、そう言う訳ではないのですが……申し訳ありません、気分ではないのです」

「じゃあ、温かいミルクにしましょう」


 俺がその場に控えていたメイドに指示を出せば、メイドは静かに紅茶を片付けてくれて。

 そのメイドが退室すれば、アンジュ様は静かに口を開いた。


「それで……私にはどの程度の自由が許されるんですか?」


 その言葉は最初からすべての自由を諦めていて。

 俺は、アンジュ様のその痛ましい姿に泣きたくなりながら言うのだ。


「屋敷の敷地外に出なければ自由で構いませんよ」


 俺のその言葉にアンジュ様がぴたり、と固まる。


「寝室も1人部屋を用意させてます。食事時にはメイドが部屋に来ますので、俺と食うか、1人で食べるかはご自由にどうぞ。あとー……」


 俺がそう言おうとすると、アンジュ様が静かに手を挙げた。


「……それでどれほどの得がラティオ様に?」


 ん?得?……得?

 俺がちょっと困っていると、アンジュ様は言葉を続ける。


「私をどのように利用するかは分かりませんが……万が一にも私が逃げ出すなどはお考えにならないのですか?」


 その言葉に「ああ」と零す。そして、俺は両手を膝の上に置いて言うのだ。


「逃げ出したいほど嫌だ、というなら言ってくれれば俺が責任をもってイデーア家まで送り届けますよ。ただ、此処に少しでも居心地の良さを覚えてくれるなら居て欲しい、俺はそれだけです」


 そう俺が言い切ると、扉がノックされて。どうやらホットミルクが出来上がったようだ。俺がそれに返事をすれば、新しい茶器が運ばれてきて。

 俺とアンジュ様の目の前にそれが置かれる。

 ミルクからはふんわりと甘い香りが漂ってきて。うん、美味しそうだ。


「ミルクには少量のはちみつが入っております。あとはお好みで調整してください」


 そうぺこり、とお辞儀をしてメイドは静かに台車を転がしていく。


「温かいうちに」


 俺がそう言えば、アンジュ様はティーカップを上品に持って一口口を付ける。


「……美味しいです」

「よかった。このはちみつ、うちの特産なんです」

「存じています。スヴュートから採れる蜜を加工したモノ、ですよね」

「はい」


 そんな穏やかな会話。やはり、温かいものは心も温めてくれるのだろう。

 そして、2、3口。アンジュ様が口を開いた。


「私には理解できませんが……では、私の敷地内での自由は保障されている、と考えてよいのですね?」

「はい。と言っても、2階の個々人の私室はできれば遠慮してくれると嬉しいんですが……」

「流石に私室は犯しません」

「よかった。ああ、あと我が家では湯あみは好きな時間に行えます。なので、好きな時間に使用人に命令していただければ」

「……随分豪勢な暮らしをしているのですね」


 アンジュ様の思案するような動きに。俺は「あ」となる。

 この世界、入浴の文化はあるがそう毎日のような頻度で入れるものではない。薪を消費するからだ。

 だから、貴族でも3日に1回とかになりがちなのだが。


「あー……豪勢と言うのでしょうか」

「豪勢でしょう。そんなに薪を溜め込んでおけるなんて。イデーアの家でもあり得ません」

「そうですね。……じゃあ、婚約者のアンジュ様にだけお教えしちゃおうかな」

「なにを?」


 そんなアンジュ様の不思議そうな顔に俺は笑いかける。


「その前に一つだけ」


 俺は立ちあがって胸の前に手を当てて、キザっぽくお辞儀をする。


「アンジュ様にお約束いただきたい」

「口外禁止、ですわね。家のものにも内通はしないと誓いますわ」

「あ、いえ。そこは大丈夫です」

「は?」


 アンジュ様のちょっとぽかんとした顔もこれまた可愛らしくて。推しの居る生活に俺は感謝しつつ。


「俺のことはラティオ様、ではなくシェナと。そして、許しを頂けるならアンジュと呼ばせてほしいのです」


 後半はいいのだ。いつか呼ばせてくれれば。でも、俺を呼ぶときにラティオ様は、その、不便だろう。この家、大体ラティオだし。

 俺がそう言うと、アンジュ様はホットミルクを一口、そして言うのだ。


「シェナ……様。私のことは好きにお呼びになればいいです」


 あらまあ惜しいですわ~~~~。そんな茶番。だけど、まあ。俺は頬を緩めて言うのだ。


「よろしく、アンジュ」


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