13話 「私は誇り高きアンジュ・イデーア。クロイア殿下の元婚約者で……シェナ様の婚約者です」
そんな俺のお怒り決意表明から数日。
まあ、俺がどれだけ怒り心頭したところで、今の現状は動かず、ラティオの家にいる間は安全だった。
そんな平和な日常そのものの朝。
「シェナ様」
「ん?なんだ?」
アンジュとも大分気楽に話せるようになってきた。相変わらず、アンジュからはシェナ様呼びだけど、大分気楽に話せるようにはなった。俺に至ってはタメ口だし。
「これは……?そしてそちらは……?」
朝食の席に座ったアンジュが不思議そうな顔をする。アンジュの前に置かれているのは、所謂卵焼き。そして、米。みそ汁。所謂、WASYOKUだ。和食。あ、うん、別にこの国に元から存在している文化という訳ではない。完全俺発生源の輸入品だ。
「ああ、これは……俺の好きな東の島国の食事だよ」
ま、この世界の東に鎖国している島国があるかは知らないけどネ。
「この白いツブツブがパンの代わりの主食、黄色いモノが卵を焼き固めたもの、で、こちらのスープは豆を主原料に作られている」
「な、なるほど……」
恐る恐る食卓に着くアンジュ。多分食べられると思うけど……アリナは美味しいって目を輝かせてくれたし。製造工程では大分その味を疑われたが。
「これもラティオの秘密という訳ですね……」
そんな大層な覚悟を持って挑むものではないですよー。
そんなことを思いつつ、俺も食卓に座る。そして、食事前の神様への祈りを済ませたら、さあ、食事だ。となって数秒。
「シェナ様、それは……?」
俺の方を見てアンジュが目を瞬かせる。
「ん……?」
アンジュの視線に従い、俺は自分の手元を見れば、それは———。
「ああ、これは箸。これも東の島国の食器なんだけど……」
「2本の木が食器……?」
俺は魂がジャパニーズなので、その箸を普段通り使ってご飯を口に運ぶ。
「こうして割とスープ以外ならなんでも食べれるな」
もぐもぐ、ごきゅん。そして、アンジュを見れば、アンジュはいつも通り並べられた食器を見てから言うのだ。
「……予備のハシ?はありますか?」
「お、挑む気だな?……ちょっと難しいぞ」
「それは胸が躍りますね」
そんな会話を取り交わして、俺はメイドを呼び箸を一膳持ってきてもらう。
そして———。
「この私がこんなに苦戦することがッ……!」
アンジュ、大苦戦である。まあ、そもそもナイフやフォークとは使い方が大分違うし、なんだろうな、うん、まあ。
「無理はするなよ……?」
「無理などッ……していませんッ……」
あーもー、手がプルプルしていらっしゃる。でも、ここ数日アンジュと過ごしてて分かった。アンジュは大分負けず嫌い……と言うか、未知を既知にしたがる。そのおかげで、大分ラティオのアレソレ(俺が持ち込んだオーバーテクノロジーだけだが)を話したものだ。
アンジュは手を震わせながら、なんとか箸でご飯を掴み、それを口に運ぶ。そして、それを咀嚼して言うのだ。
「甘い……?」
不思議な顔をしてもう一口……を、大分苦労して口に運ぶアンジュ。うん、可愛い。
「甘いです……!」
「お、口に合ったかな」
「はい、仄かに甘くて……これは……」
「米、というものだな。これ自体は穀物なんだが、それを蒸して、炊いてってするとこうなる。ちなみに、色んなモノと合うんだ」
「穀物だけでこんなに甘く美味しくなるのですね……ちなみに色んなもの、とは?」
「ああ……下品だ、って怒らないでくれよ?」
俺はそう言いながら、卵焼きを少し小さめに切り分けてご飯と一緒に口の中に入れる。
そして、咀嚼して飲み込む。うん、今日もアリナの卵焼きは絶品だ。
「2つの食材を同じ口に……!?」
「ああ、そもそもこの米自体が色んな食事と合わせて食べる前提のモノなんだ。……まあ、この国の食事情とはかけ離れてるから、無理をしない程度で、な?」
俺がそう言うと、アンジュは先ほど俺がやったようにプルプルと手を震わせながら箸で卵焼きを切り分けて、その小さな口にご飯と卵焼きを放り込む。
そして、咀嚼して、飲み込んで。
「ふんわりと……これは……?とても美味しい気がするのですが……」
「多分出汁だと思うな。卵の味付けに魚を粉にしたものが入ってるんだ」
「……ラティオ男爵家にはあとどれだけの特許出願するべきものが眠っているのでしょう……」
アンジュの言葉に苦笑してしまう。いやまあ、特許出願してもいいんだけど、なんかもう数が膨大過ぎて辞めたんだよな。というか、ラティオ領には割と普通に普及させたし。
そんな風にその日の朝食は進んでいった。
そして、朝食後に緑茶をアンジュに出していると———。
「そういえば、シェナ様」
「ん?どうした?」
アンジュは俺の顔を見て少し気まずそうに笑うのだ、そして———。
「イデーアの家に帰ろうと思います」
時間が、止まる。今、アンジュはなんて?なんで?俺はちら、とアンジュの手を見る。あの日負った傷も見事に完治していて。
(ああ———)
もうアンジュを引き留めておける理由がなくなったことを知る。だけど。
「俺は……反対だ。クロイア殿下の婚約者という後ろ盾がなくなった今、アンジュにどんな無体をされるか分かったものじゃない」
「それでも、婚姻前の女性が男性の家に長い間お邪魔するという方が外聞が悪いです。殿下が取り計らってくれるとはいえ、まだ、私たちは婚約者、なのですから」
婚約者、その言葉を口にする瞬間、僅かに振るえたアンジュの唇。その様子は未だ、現状を、もうクロイア殿下の婚約者ではないという事実を受け止めきれてない様にも見えて。
(でもッ……)
あのクソお義父様がアンジュを傷つけない筈がないことはあの日の対面、そして、そのあとアンジュから語られた言葉で確信を持てた。
そして、クロイア殿下の婚約者という後ろ盾がなくなった今、どんな……酷い暴力が振るわれてもアンジュは反抗できない。
ましてや、男爵の家に下げ渡されるのだ、じゃあ、その前に味見でも、なんてことになる可能性だってある。
(クッソ……)
俺に、アンジュを止める理由はもうなかった。傷も治った、あれから数日が経ってお義父様の怒りもそこそこに落ち着いた頃だろうとも思う。でも、でも、でも———。
「そんな、苦しそうな顔をしないでください」
アンジュの少し苦しそうな瞳と視線が合う。
「ラティオの家はとても私にとって暖かい場所でした。シェナ様、使用人の皆様、突然訪問した私を暖かく受け入れてくれて……私も、なれるのならこの家の一員になりたい、そう思うほどでした」
その言葉は、もう戻ってこれないだろうことを安易に語っていた。俺は心拍を早めながら言うのだ。
「アンジュはもうこの家の一員だ。それはみんなが認めるだろう、だから、あとは家越しに手続きをすればッ……」
「そのような不義理は許されません。そして、不義理をすればそこをつついてくる。それが……あのお父様です。だから、つつがなく全てを終わらせなければいけません」
俺は奥歯を噛みしめる。此処で、此処でアンジュの手を放してしまったら、きっとアンジュはもう戻ってくることができないことになるだろう。それだけは、それだけはッ。
「私は誇り高きアンジュ・イデーア。クロイア殿下の元婚約者で……シェナ様の婚約者です」
それは、アンジュが示せる最大の誠意だったのだろう。俺の胸から、言葉がこみ上げて、でも、つっかえて、でなくて。俺は喉を熱くして、言葉を零そうとした瞬間だった。
「————様ッ、今はッ———」
「些事を————ている————せん」
扉越し1枚向こうがやけに慌ただしい、そう感じた瞬間だった。扉が、勢いよく開け放たれた。
「シェナ、貴方一体何をしたのですかッ……!?」
そこに居たのは俺のお父様。平たく言えば、親父。
俺は唐突な親父の登場に目を剥く。だけど、俺の返答も待たず、アンジュにも目もくれず親父は言うのだ。
「国家転覆容疑の件、しっかり話してもらいますよ?」




