駒
太刀を抜いた治親だったが、最早立ち上がる力は残ってはいなかった。徒に太刀を振り回し、息の続く限り辺り構わず斬りつけている。
「殿」
毒の効用を目の当たりにした大膳は、そのおぞましさに背筋を凍らせた。
目が焦点を結ばず痺れた口からは涎が溢れ、息が出来ぬのか喉が奇妙な音を立てている。顔色も赤黒く変色して来たとき、治親はそのまま前のめりに倒れ込んだ。
「……殿?」
大膳は治親の持った太刀を退かしてから首に手を当ててみた。
先程まで凄まじいとも言える形相で暴れていた治親だったが、倒れ込んだ途端に事切れていた。
この夜、豊田家の主は浄土へと旅立って行った。
動かなくなった治親を確かめた大膳は、一つ大きく溜息を吐くと、一人の家臣を呼んだ。
「又兵衛、平沢又兵衛を呼べ!」
安心したのかその場に腰を落とした大膳が畳に手を付いた。辺りは贅を尽くした馳走が散乱し、酷いありさまであった。
「儂が、手を下したのか」
はははと大膳は笑った。気の抜けたような笑いは自嘲の笑いでもあったかもしれない。
深い溜息をついた。
放心していたそのとき、大膳は、畳に着いていた左腕をいきなり掴まれた。
驚いてその方を見ると、眼球が別の生き物のように動き、食いしばった為に歯が砕けて口から血を流した治親が半身を起していた。
「と、殿!」
唸りを上げる治親の、その形相のあまりの恐ろしさに大膳は太刀を抜き放った。
「成仏してくだされ!」
刺し込まれた太刀は治親の首の根を深々と斬り裂いていた。
事が終わった時、全洞付きとなっていた平沢又兵衛が現れた。
血まみれになった大膳を見た又兵衛は少々驚いたが、大膳に全洞を呼び戻すように下知されると直ぐさま示し合わせていた下宿の先に走って行った。
急使として大曾根の城に戻ると言っていた全洞だったがこれは芝居である。
一度は豊田の下宿の木戸を出て行った全洞であったが、それは大曾根に向かうものではなく、近くに潜めていた軍勢と合流するためだったのだ。
又兵衛の案内で全洞の兵は何の警戒もしていない豊田の城に入り込むと、一の曲輪と二の曲輪の城門を堅く閉ざし全洞のみが大膳屋敷に戻ってきた。
「手筈通り、上手く行きましたな」
ひひひと笑う醜怪な老人がそこに現れた。
唇をぺろりと舐めまわし、再びひひひと掠れた息を漏れさせている。
「あとは弥藤三郎に治親毒殺の濡れ衣を着せればそれで事は済む。大膳殿が主殺しをしたと知られては、多賀谷が豊田の土地を治める為の駒が無くなりまするからな」
大膳は、全洞に「駒」と言われたことが癇に障った。
「全洞殿、儂を駒と申すとは、ちと無礼ではないか」
主殺しをしたばかりの大膳の顔は、まだ唇が震えており全洞には面白く映っていた。
「大膳よ」そう全洞は、大膳を呼び捨てにしていた。
「お主は主殺しの大罪人じゃ。それだけでは無い、お前の為に豊田の城は落ちたのだぞ。治親と云う後ろ盾をなくしたお前がどうあがこうと、最早儂の駒でしか無いのじゃ」
大膳は全洞の変わり様に目を見開いた。
「騙したのか」
「権謀術数は戦国の常ではないか。弱く騙される方が悪なのじゃ」
「おのれ……」
「さぁ、そんな事は些細な事じゃ。いそぎ三郎を下手人として磔の手筈を取れ。そして大膳、その方は豊田治親が弥藤三郎に殺されたと触れまわり台豊田に向かえ。あとは時と儂の策が全てを解決してくれるわ」
ひひひと笑い続ける全洞を見ながら、大膳は今更ながら陥れられた事に歯をぎりぎりと鳴らすしかなかった。




