悪意
三郎はここで、はっと気が付いた。悪衛門が言っていた侍女である。
毒酒だと確信した。
「女ども、待て」
銚子を傾け治親に白酒を注ぐ侍女に三郎が声をかけた。
驚いた拍子に侍女が手元を狂わせ、白酒の雫が盃を持つ治親の手にぱらりと零れた。
「どうした三郎、殿への酌を止めるとは無礼であろう」
何食わぬ顔で大膳は三郎をなじるのだが、三郎は引かなかった。
「いや実は」
三郎は膝をにじらせ大膳と治親に向き直った。
「私めの所に知らせが入っておりまする」
「知らせじゃと?」
膳の脇に体をずらして「はっ」と一言腹の底から言葉を吐いた三郎、
「全洞殿がこの宴で、ご本家様を亡き者にしようと画策しているとの知らせにござる」
三郎の目は血走っていたかもしれない。
無礼な。とは大膳であった。
我が娘の大舅である全洞殿が事、そう悪様に言うとは、何と云う無礼であろうか。そう言った。
三郎は腹を括った。手討ちに会うともご本家様を守れれば本望かとも思った。
「ならばその酌、私めが受けて見せましょう。何事も無ければそれでよし。毒入りであればそれがしが死ぬる事になり申す」
三郎はそのまま治親ににじり寄ると、その手にあった白酒で満たされた盃を奪い取り、目の前で一息に呑んで見せた。
ここで死ぬ気であった。
しかし、口から喉を通り、胃の腑に落ちても一向に体の異変は起こらない。ただ旨いだけの酒なのだ。
「死なぬのか」
冷たい目で三郎を見たのは大膳である。
「我が娘の大舅殿の辱めを養い親でもある治親の殿の御前で受けた。本人が居らぬとは申せこの無礼は許す事ができぬ。その方、殿や全洞殿のみでは飽き足らず、身分違いであっても宴に招いた我が身をも虚仮にしたのだぞ。わかっておろうな」
何時まで経っても毒の回らぬ我が身が不思議であった。
毒とは思いすごしだったのか。
三郎は自分のしでかした事の大きさに気付くと、蒼白となり全身が震えて来た。
「誰ぞある!」
大膳が家人を呼ぶと、三郎が無礼を働いたとして曳き据え、とりあえずの処置として控えの間に押し込める事にした。
静かになった酒宴の席で、治親と大膳は溜息を付いた。
「殿、申し訳もござりませぬ。それがしが宴の席などを設けたばかりにこの様な醜態をさらしてしまい申した」
大膳は治親の前で頭を垂れると畳を目の前に見ていた。
「うむ、致し方もあるまい。今日はこれで仕舞いとするか」
「は。ならば最後に、口直しとしてせめて一献、我が酌をお受け下され。それをお召し上がりになられたところでこの宴を終わらせることにいたします」
がっくりと肩を落とした大膳が、自分の席に置いてあった朱漆塗りの銚子を取って治親の元に戻った。
「今日の事、何れお叱りは受け申す。何なりと咎めをお申し付け下され」
白酒を注ぎ終わった大膳は、銚子を畳みに置くと、再び頭を下げた。
「大膳が気にする事はない。全洞殿にも城が落ち着いた所で今一度酒宴に来てもらえるように使いを出そう」
そう言って一息に白酒を呷った。
呑み下した直後、治親は口に異変を感じた。
ぴりりと舌が痺れるような感覚である。先ほどまでの酒とは違うのかなとも思える奇妙な味わいでもあった。続いてのぼせたように顔面が熱くなって来るのを感じる。
「儂は呑み過ぎたんじゃろうか」
ぼそりと吐いた治親は、その場に背骨が抜けたようにべたりと両手をついてしまった。
手からは盃が滑り落ちて転がっている。
目眩が起こっているようで目線が定まらない。
背中に冷や汗が吹き出て来た。
「大膳、この酒には何が入っておる」
治親は、この症状を持って毒酒を呑まされた事に気が付いた。
大膳は今まで下を向いたままだったが、ゆっくりと上体を起して治親をその目に映したときは、その表情が奇妙に歪んでいた。
笑っているのか、泣いているのか。
「殿、これは殿のせいにござる。殿のせいにござるぞ」
治親は大膳の言っている意味が分からなかった。何か分からない内に口全体が痺れ、目眩が酷くなり動悸が進むと胸が熱くなってきた。
「何故じゃ、何故」
呼吸が苦しくなってきたのか胸を押さえながら涎を流した口を天井に向けて息をしようともがいた。格子天井が回っている。
「殿が豊田を大きくせぬから多賀谷につけ込まれたんじゃ」
「おのれぇ!」




