第六十話 悠抄、訪いて調書きを記すの事
いつもの日常の中、右から左へと書類を処理する悠抄は、一瞬だけ筆を止めるとぽつりと呟いた。
「天猫天猫、とっても良いことを思いつきました。有給を使って査察にいきましょう」
目線は変わらず文字を追いつつ声だけを弾ませる相棒の言葉に、同じく書類の塔を右から左に移す天猫は首を縦に振り、周囲に居合わせたその他職員達は斜めに首を捻る。
「最近また総務がうるさく催促してき始めているからな、丁度いいんじゃないか?」
基本どうでもよさそうな天猫の言葉に、周辺職員のうち、総務部関連らしい人物が何か言いたそうに首を横に振る。
およそ、素直に消化してくれれば双方面倒がないと言いたいのであろう。紛う方なき正論である。
「そうと決まれば善は急げです。まずは犬霊のおじさんの所にしましょうかね」
この書類仕事が片付いてから、と急げとは矛盾する宣言をした悠抄が出来上がった書類を処理済の紙塔へ移す。
僅かに顔を上げ、堆く積み上がる処理済みの紙束と、それに倍する未処理束を見比べた天猫は、善に移るにはまだ少し掛かりそうだと思うも、相棒の機嫌が良ければ良しとするかと自らも次の書類に取り掛かった。
〜〜査察の一 港町の飯店主の近況〜〜
朝靄のまだ残る時刻、かつりと沓で石畳を鳴らした異形の仮面少年は、目的の建物の佇まいに一度満足に頷いてから大きく息を吸い込んだ。
「おはようございます。泰山庁の方から来ました悠抄ですー。どなたかいますかー」
いますかー、ますかー、と近所迷惑を考慮しない迷惑生物の挨拶は、がらんどうの店内に反響して奥に吸い込まれていった。
返事代わりというわけでもなかろうが、奥の厨房から物音が返ってくる。
「はいはい、こんな刻限にどちらさんだよ」
音の主を待つことしばし、悪態とともに現れた主は店の入り口の人影を認め、盛大に壁に張り付く。
「お久しぶりです、おじさん。お元気でしたか?」
朗らかな声で改めて挨拶を寄越す少年に、店主が背中を壁から剥がして大きく息を吐いた。
「お前さんか。朝早くの怪談は勘弁してくれ。女房も子供もまだ寝ているんだ」
ぼやく主を常識的と評しても誰も反対意見は挙げないであろう。一部を除いて。
「おっさん、女房子供がいたのか」
「いたんだよ。この前は偶々里帰りしていた……って、うわっ」
頭をかきかき新たな少年の声に振り返りながら応えた店主は、客のいないはずの店内で卓に菓子を齧る少年の姿に、今度こそ短い悲鳴を上げ度肝を抜かした。
「猫面の坊主も来ていたのか。二人揃って驚かすなよ」
「肝が小さい。小なりとて一国一城の主がその調子でどうする」
早鐘打つ胸を押さえて抗議する店主に、猫面少年はつまらなそうに鼻で笑い、異形面少年はとことこと相棒に歩み寄った。
「天猫天猫、お茶の葉は持参でも、お茶菓子まで持ち込んだら駄目ですよ?」
「うるさい、俺の勝手だ」
自らも麻花を摘み上げているにも関わらず注意するという説得力のなさを披露する相棒の言葉に、天猫がそっぽを向いて知らん顔をする。
悪童の不貞腐れと取れなくもない天猫の態度に店主が自らも席について大きく息を吐いた。
「今更だから茶や菓子の持ち込み程度なら好きにしてもらって構わんがな、今回は何があるっていうんだ?」
「はい。おじさん他がどうなっているのかな、思ったので査察に来ました。ついでに有給もなき者にできるので一石二鳥なのです」
「は?」
「要するに、その後の経過観察と言うやつだ」
純然たる悠抄理論を浴びせかけられて目を白黒させる店主の前に、天猫が袖から封をした白磁の小瓶を取り出して店主の前に置いた。
「おい、なんだそれは」
「手土産だよ。中身は現世の年代物の老酒だから安心しろ」
天猫が不安要素の垣間見える安心を押し売りする中、悠抄が天井を見上げたまま左手の親指に残りの指の腹を付ける形で順繰りに折り曲げつつ室内をゆるりと巡る。
「気脈は概ね安定していますが、やや作為が見えますね。この気配からすると、犬霊さんが時折里帰りをしてお店を守っているようですね」
ひとり満足気に頷く悠抄の呟きに、何やら誤解をしたらしい店主が卓の上で拳を形作る。
「……あいつは、ちゃんとあるべき場所に還った。だから、お前達に疑われる筋合いはない」
「はい。おじさんも犬霊さんもちゃんと決まりを守ったので許可が下りているみたいですね」
良い子良い子と無遠慮に頭を撫でてくる悠抄の手をやや雑に払った店主が、どういうことだと天猫に視線で説明を求めた。
「なんだ、知らないのか? 十王の裁定を終えた幽鬼のうち、問題を起こさない奴の渡界は割と緩いぞ?」
世の中の常識だろ、と呆れ声で説明する猫面であるが、もちろんそんな常識が世の中に流布している事実のあるはずがない。
一方で、必要時に稼働しない説明魔はちょろちょろと現世観察に勤しむのみである。
このままでは埒が明かないと悟った店主は、一度大きく頭を振って情報を整理した。
「お前達の常識は知らんが、つまりは何か? あいつは俺や家族が知らん間に来ては好きにして帰って行っている、と?」
「はい。多分、合図に小さないたずらをしていたりすると思いますが、何か心当たりはありませんか?」
問う悠抄に、何かしら思い当たる節があったらしい店主が、卓の縁に額をつけると大きく息を吐いた。
「あの馬鹿犬。それならそれで顔の一つも見せて行けば良いだろうが」
悪態ではあるも震える声は複雑な飼い主心であろうか。
繰り広げられる人情劇に、悠抄と天猫も、うん、と一応小さく頷いてみせる。
「おっさんも家族も只人だからな。あまり無理も言ってやるな」
「犬霊さんも福徳を積んでいるようなので、今度の中元節には夢枕で顔を見せてくれるかもしれないですね」
情緒もへったくれもあったものではない調査官達は、揃って程々の慰めを低い温度で世に放つと、次の目的地に向かうべくふらりと余韻もなく席を立つのであった。
〜〜査察の二 元剣客の梅花の近況〜〜
「梅花さん梅花さん、お久しぶりです。教育費の請求に来ましたよー」
「藪から棒に何を世迷言を抜かしてんのよ! あたしは弟子入り先を紹介してくれなんて頼んだ覚えないわよ!」
悠抄による悪のり全開の取り立て宣言に、自称薄幸の佳人剣士である梅花が盛大に否定の叫びをあげ、居合わせた悲運の門弟たちは顔色を土気色に変化させた。
「そんなことよりも、あの邑貂の爺さんをなんとかしなさいよっ。この前なんて火性を感じろとか言って灯明の前で一刻も瞑想させられたんだからっ」
「なるほど、火とはなにか言葉に頼らず理解しろ、か。落ち着きのない梅花にはうってつけの荒業だな」
うんうん、と感心する天猫に、騒がしさに定評のある剣士はそうじゃない、と地団駄を踏む。
「修行なら修行で何か説明すればいいでしょうがっ。お陰で体中凝り固まったわよっ」
「説明したらお前逃げるだろ? 大体、いきなり土に埋められるよりはまだまともだろ」
適当にいなす天猫であるが、常人と違う判断基準の人物の言葉に説得力の宿るはずもなし。
「それで、梅花さんは何か得るものはありましたか?」
かたり、と仮面の顔を倒す悠抄に、問われた梅花が短く息を吐き捨てる。
「燭台眺めて得るものなんてあるはずがないでしょ。灯りに誘われた蛾が焼かれてたわよ」
「なるほど、火のもたらすものを余さず見た、と。さすがは梅花さんです。この様子ならもっと頑張れますね」
得るもののあるはずなし、と宣言する割に本質を見る事を熟す剣士に、悠抄は満足げな頷きを返す。
「時に、最近の道人の様子はどうですか?」
目の前で騒ぐ梅花を綺麗さっぱり意識から追い出した悠抄が壁際に張り付く一同に視線を転じると、まさかの流れ矢に対応の押し付け合いが始まる。
僅かなれども熾烈な攻防の末に代表とされた哀れな犠牲者は、重い足取りで進み出て外見少年達の前で片膝をついた。
「我が師におきましては、日々大変機嫌よく梅花の修行に取り組んでいる由にございます」
「なるほど、梅花さんは元気で道人も楽しそうということですねー。良いことです」
上機嫌に状況把握をする仮面少年からは、なぜか心休まる要素を見出すことはできない。
少年型迷惑は懐から紙と携帯筆記具を取り出すと、そのまま何か書き付けて、一同が止めるまもなく鳥に変えて窓から空へと羽ばたかせてしまった。
「お前達も、何か試してみたい修行があったら遠慮なく道人に申し出ればいい。俺達に出来る範囲は手を貸してやる」
太っ腹な訓練愛好家の猫面少年の発言に、梅花を除く弟子一同が視線を交わすと一糸乱れぬ動きで一斉に膝をついた。
「冗談じゃないわよ! これ以上余計なことをしたら末代まで祟ってやるからね!」
「ご配慮いただき、真にありがたき幸せにございます!」
梅花の真っ当な苦情を掻き消す感謝の意は、何故か僅かに悲嘆の震えを含んでいるのであった。
〜〜
「そういうわけで、皆さんとっても元気そうでしたよ」
どこか自慢げに胸を張って帰庁報告をする悠抄に、報告書の写しを受け取った上司はこつりと卓の表面をつけ爪で叩いて椅子の背もたれに大きく体を預けた。
「方々に迷惑をかけているのは悠抄なので大目に見ましょ。査察の体はなしているしね」
どこをどう受け取って大目に見れると判断したのか謎ではあるも、この場に追及する者はなし。
「それより問題は総務ね。報告書を受けたからには有給ではなく公務とみなすとの連絡があったわ」
勤怠管理部門としてごく当然の主張を代弁する上司に対して、天猫は少し離れた位置で背中を壁に預けたまま不機嫌そうに腕を組み、悠抄は別世界の言語を聞いたかのように首を捻った。
「課長、大分お疲れのようなので、そういう時は思い切り書類仕事をすると良いですよ?」
「あらぁ、おかしいわね。さりげなく私が責められている気がするのは何故かしら?」
謎の悠抄理論を披露する迷惑生物に、ほほほ、と上司は乾いた重低音の笑い声を上げる。
そして、諸悪の根源は、わかっていないな、と立てた人差し指をくるりと回した。
「良いですか、課長。ぼくはちゃんと有給申請書を書いたのです。なので普通なら総務の人は処理しないはずはないのです。であるならば、途中で課長が間違えたとしか考えられないのですよ」
「何をどう考えればそんな結論に至るのかしらね。有給申請書を出しておきながら嬉々として仕事を熟して、あまつさえご丁寧に報告書まで提出しているんだもの。誰が見ても紛う方なき自業自得でしょ」
暴論を振りかざす理不尽部下に無理を承知の上で正論を説く管理職だが、案の定、人型極論はそっぽを向いて聞く耳持たずである。
微塵も疑惑を持たない強固な間違い人物に、無駄を悟った課長が溜め息一つ付いて少し離れた位置で見物人を気取る剣士少年に視線を向けた。
「ちょっと、天猫。あなたどういう手綱の取り方してるのよ」
「言って聞くやつなら苦労していないですよ。むしろ課長の新人研修の結果じゃないですか? そういうわけで、責任取って俺の有給も削っておいてください」
こちらはこちらで自分は悪くないと主張の上、あわよくば自分だけは目的を達しようと目論む絶妙な姑息さ加減である。
飄々と狡さを発揮する己が相棒を眺めやった悠抄は、何を聞いていなかったのか楽しそうに両手を打ち鳴らした。
「良いことを思いつきました。今までに義務消化させられた有給が不当であることを確認しに三人で総務部に行きましょう」
そして出てきた言葉は、悠抄らしくやはり碌でもない。
「止しなさい。総務の連中の堪忍袋の緒が切れるにはまだ早いわよ。まぁ、いいわ。次の仕事の話があるから、二人とももう少し近くに来なさいな」
およそ面倒くさくなったのであろう課長は、雑に問題を放り投げると、紫に塗ったつけ爪で部下二人を呼び寄せるのであった。




