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泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
仮面編
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第五十八話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その五十

 泰山庁西館二階にある大食堂中央部付近には、常にない緊張とざわめきが巡る水のように職員たちの間を流れていた。

 なぜならば、

「今年の冰糖燉雪梨はまた随分と面白い風味ですねー。柔らかい果肉にふんわりとした梨の香りがとても美味しいです」

「だろう? 大宜都比売が今回の礼だと言って八洲の梨を送って来たからな、それを使ってみたんだ。甘みが強いから、生姜がよく効くな」

 いつもならばいくつもの塔をなす書類の束が影も形もなく、あるのは純粋にお茶の時間を楽しむ悠抄と天猫の姿だけ、という異常事態であったからである。

 いつにない穏やかな雰囲気を齎す二人に、耐えかねた幾人かが医務官を連れてこようと踵を返したところで、運悪く通りがかった彩藍の友人が方向転換をした観衆の一人に捕まり、あれよという間に輪の中心へと引っ張って行かれた。

「おや、事務官二号くん。お久しぶりですね。どうかしましたか?」

 野次馬に押し出されて蹈鞴を踏む彩藍友人に、こちらに来い、と悠抄が自らの隣の席を指差す。

「はぁ、俺も今来たばかりでよく分からないんですけど、お二人の様子が変だから確認してほしいらしいです」

 素直に着席しつつ快活に暴露する青年に、しーっと周囲が一斉に指を口元にあてて隠蔽を図るも今更意味はなし。

「なるほど。変らしいですよ、天猫」

「知らん。それよりも、折角だから二号も食べていけ」

 いかにもどうでも良さそうに話題を振る悠抄に天猫がぶっきらぼうに応えると、竹籠に盛られた湯気立つ炸梨条を相棒越しに事務官二号へと押しやる。

「ありがとうございます。遠慮なくいただきますが、毎回どこから取り出しているんですか?」

 無邪気に世界の秘密に迫るのはいつの時代も好奇心旺盛な若者の特権なのか、気軽に問いを発する事務官二号に聴衆一同が音のない拍手喝采を浴びせかけた。

「そうですねー。実は袖の中ではなく、別の場所に仕舞っているだけなので、術を齧った人なら意外と簡単にできますよ?」

 ね? と周囲を見回す悠抄に、苦笑いを返す者とぎこちなく視線を外す者に分かれるという現状を見るに、できなくはないが簡単でもないが妥当か、と二号が察しの良さを発揮して沈黙を守る。

「別に袖である必要はなくてですね、今でない時ここでない場所に仕舞うと言う呪術行為こそが大事なのです」

 要するに重要なのは入口に物を入れると言う認識であり、その際に認識の補助として一番確実かつ身近なのが身に纏う衣装の袖や懐なのだ、と続けた。

 匙を振り振り突如始まった悠抄の講義に、少なくない人数が慌てて携帯筆記具を取り出し聞き取りの態勢に入る。

 自覚ない探究者は、みんな真面目だなぁというずれた感心を抱きつつ更なる好奇心と揚げた梨を摘み上げた。

「今ここでない場所ということは、現世にある異界のどれかですか?」

「それがですね、残念ながら詳しいことはまだ分かっていないのですよ。どうも視覚ではなく認知で成立する世界の様なのでまだ手探りらしいのですね。研究班の友達の一人曰く星渡る船の世界にある世界の果ての船の墓場に繋がっているのかもしれない、と言っていましたかね」

「そうだな。わかっているのは、例えば揚げたての炸梨条を仕舞っても時間が止まるのではなく、滞在する期間のなかで揚げたての時間を選んで取り出せるということだ」

 天猫の補足も含めて書き取らんと、さらさらと筆が走る音が唱和する中、余計な事を思いついたらしい悠抄が楽しそうに両手を鳴らした。

「二号くん、折角なので入ってみますか?」

「いつどこの時空に飛ばされようと、入った事実と出た事実が一致する以上、二号が無限に増殖することはないから、心配はいらないぞ」

 世紀の大名案と声を弾ませる混沌発生生物と真面目ぶって悪のりをする迷惑加速生物に詰め寄られ、目を白黒させて事務官二号が対応に苦慮しているところに、深い溜め息が響いた。

「お二人とも、冗談が過ぎます。僕の友人を実験台にしようとするのは止めてください」

 人混みをかき分けて現れたるは、呆れを隠そうともしない元祖事務官こと彩藍の姿。

「あのですね、意味不明な空間に入っても悠抄さんなら対処できるかもしれませんが、慣れていない人間が同じようにできるとは限りませんよね?」

「確かに言われてみればその通りですねー。そうすると、認識空間における自由意志を持つ実験台さんの自己認識確立方法の検証が必要になりますね」

 彩藍による指摘を受け、思わぬ視点を得たと喜ぶ悠抄と一部野次馬、いらぬ事をと非難のこもった視線を事務青年一号に向ける大多数観衆、そして我関せずの天猫と申し訳なさそうに身を縮こませる二号という混沌図が完成した。

 想定以上に悲惨な状況の出来に生真面目青年が人差し指をあてて苦悩する。

「先輩の言う通りだ。調査課に切っ掛けを与えるとろくなことにならないな」

 どうしようか、と後始末に悩む彩藍に事務官二号が両手を合わせて詫びる。

「でもさ、彩藍。噂では色々聞くけど、お二人とも親切ないい人だよな?」

「うん、いい人達だよ? それは誰も否定しないと思う」

 話題転換を兼ねた友人の質問に対する彩藍の回答に、周囲が大きく頷いて同意を示す。

「ただ、このお二人の場合はいい人達だからこそ、たちが悪いんだよ」

 付け加えられた青年の注釈に、観衆が先ほどより大きく何度も頷いて全面肯定を示した。

「このお二人は油断すると何を始めるか分からないんだからな。もし、悠抄さんが勉強会をしようとか言い出したら、責任取って君にも参加してもらうぞ?」

 一蓮托生と連帯責任を広げる彩藍に、二号は更に小さくなって詫びの言葉を口にする。

 対して、万物の元凶は勉強会という語だけを都合よく拾ったのか、書付け中の帳面から顔を上げて彩藍を見返した。

「勉強会ですか? 彩藍くんたちがご希望なら、次の休庁日に講堂を借りてあげますよ?」

 早速ありがた迷惑を発揮する迷惑生物に、事務官組は丁重かつ速やかに辞退を申し出て観衆の笑いを誘った。

 危険予測をして墓穴を掘る彩藍を哀れに思ってか、天猫が相棒の頭を軽く叩いて意識を逸らしてから青年の携える封書を指差す。

「おい、彩藍。無駄話も良いけど、悠抄に用事があるんじゃないのか?」

「そうでした。経理課の人達が悠抄さんに渡してくれと凄い形相で執務室に殴り込んできたんですが、一体何をやらかしたんですか?」

 天猫の助け舟にすぐさま反応して、あまつさえ業務連絡とともに苦情を連ねるという離れ業を披露する彩藍に、衆人一同が尊敬の眼差しを向ける、と思いきやなぜだか一律に引きつった表情を浮かべて一歩距離を開ける。

 ちょうどいい機会と捉えたか、天猫が軽く手を振って散るように合図をすると、違えることなく我先にと通常へと復帰をしていく一同。

「おや、なんだか静かになりましたねー」

 彩藍より信書を受け取りつつ周囲の展開の速さにのんびりと感心する悠抄に、なんと答えたものかと二号が軽く頬をかいてごまかす。

 青年二号の反応の悪さを特に気にした様子もなく封書を開いた理不尽存在は、文面に目を走らせて、ふむ、と小さく首を縦に振った。

「思ったよりは安く済みましたねー。里長さんも相変わらず気前の良いことです」

「あいつのことだからな、どうせ途中で細かく計算するのが面倒くさくなったんだろ」

 横から覗き込んだ天猫が軽口を叩くと、そのまま相棒の手から信を抜き取って青年達の方へと追いやる。

 好奇心に誘われた二人は迂闊にも素直に信を覗き込んで、次の瞬間大きく身を仰け反らせた。

 紙面に記載されていた内容は、仮面一面修繕費と銘打って、大路に家が建つほどの修繕費と八割は賄う端材買取費、そしてそれらを差し引いてなお一財産と言える金額の最終請求額。

 確かに元値を考えると安くはある。が、一般基準とは懸け離れた請求額に、これはぼったくりではないのかと青年二人が顔を見合わせる。

 声には出さないものの気配が雄弁に疑念を語っていたのを察知したのか、わかっていないなと悠抄が人差し指を立てた。

「いいですか、彩藍くん、二号くん。里長さんは火鼠の皮衣の染めと仕立ての代金を正規なら領ひとつに値するけど龍神さんの髭と差し引きにすると言いましたね? 要するに、お願いをした仮面はそれだけの素材を使った品物で、さらに刻まれた術との調整も必要となるので、一口に修繕と言っても安いはずないのですよ?」

 だからこの金額はこれでも安価と言える正当な対価なのだ、と胸を張る悠抄ではあるが、庶民感覚としてはなるほどと納得できるものでもない。

 このままでは平行線を辿ると踏んだ天猫が卓の表面を爪で叩いて青年達の注意を引いた。

「経理の連中は、非難しに来ていたのか?」

「いえ、形相は凄かったですけど、ただ悠抄さんに渡して説明にくるよう伝えてくれ、と」

 よほどの剣幕であったのか引き気味に状況を説明する彩藍に、天猫がわかった、と鼻を鳴らして応えた。

「そういうことなら心配するな。通さないじゃなくてなんでこの額になったのか、本人の口から説明しろってことだろ。ちゃんと連中の業務範囲内だな」

「そうですね。先約のお仕事が終わったらお話しに行くので、安心してくださいねー」

 先程の野次馬に引き続き彩藍たちにも退去を促す天猫と、空の器を脇にずらして袖口から取り出した大量の書類で山を築き始める悠抄。

 説明に行くのは今ではないのかと思わないでもない彩藍ではあったが、脳裏に蘇る経理課職員一同の鬼気迫る様相に、むしろその方が良いのかと考え直すと、天猫の指示に従うべく友人たる二号に声を掛けて立ち去る準備をする。

「ああ、彩藍くん、二号くん。言い忘れていましたが、総務部さんはこれから忙しくなると思うので、総務部長さんと受付嬢さんによろしく伝えてくださいねー」

「万事事なかれにおさめてこそ総務だからな。お手並み拝見させて貰うぞ」

 去りかける青年達の背中に向かって、悠抄と天猫は書類の壁越しに朗らかで物騒な言葉を投げ掛けるのであった。

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