第五十五話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四十七
虫の音を伴に草を踏み境内のさらに奥へと足を運ぶことしばし。
薫香乗る風の元を辿ると、庵の脇に佇む穀霊の姿。
「飯依比古さん、こんにちはー。態々お出ましなんて珍しいですねー」
「なに、ようやっと夏も退散したゆえの、遊山に赴くもよかろうと思ったまでじゃ」
ひらりと手を振る悠抄に出迎えた飯依比古は扇を広げて応え、天猫は小さな笑い声を上げた。
「何事も泰然自若の飯依比古らしくもないが、さしもの古神も養い子の進退は気にかかるか」
「いかにも。子の可愛さに違いはなかれども、僅かな間とはいえともに暮らした子また格別での、大宜都比売などは、早う様子を見て参れと吾を急き立てる始末じゃ」
地霊らしい情に厚い言葉を聞き感心していた彩藍であるが、あるべきと思い込んでいた姿がないのに気が付き、くるりと周囲を伺う。
「ところで、その大宜都比売様はどちらに? もしかして既に姫君のところにおられるのでしょうか?」
親代わりを務めた穀霊の片割れの姿が見えぬがと素朴な疑問を発する青年に、問われた男神は、ほっ、と短い笑い声を上げ袍の袖で顔半分を覆う。
「此度の騒ぎは内々の揉め事に過ぎぬに、落着したくば国を傾けよとは、付人殿は相も変わらぬ剛毅な御仁よの」
「うぇっ?!」
真面目さを装った飯依比古のからかいに、あらぬ言いがりを受けた彩藍は大きく身を仰け反らせた。
「飯依比古さんも大宜都比売さんも国の成り立ち前からの穀霊さんですからねー。四柱揃い踏みなら戦乱で済みますが、お二方だけだと大豊作と大飢饉が交互で来かねないですよ?」
「戦乱の方がまだましというのも意味がわかりませんが、穀霊がお二方おられて世が荒れるってどういうことですか?」
想像をはるかに超える古神の意味不明さに頭を抱える彩藍を眺め、悠抄が異形面の顎に手を添えて考えた後、たし、と地面を踏み鳴らした。
「彩藍くん彩藍くん。今ぼく達がいる場所は八洲の都ですね」
「はぁ。僕は幽世から出たのが今回の騒動が初めてなので確証は持てませんが、少なくとも貴方方からそう聞いてはいますね」
青年らしい慎重を期した回答に満足を得た理不尽存在が更に数度地面を踏みしだき、その足元では小型の神獣が主の真似をする。
「二名島ならともかく、この都の地では飯依比古さん達の神威を受け止めるには、残念ですが格が足りません」
断言をする悠抄に、彩藍が再度覚えた目眩を堪えつつ片手を掲げる。
「世の中悠抄さんとその理解者で構成されているわけではないので、申し訳ありませんが僕にもわかるようにもう少し砕いてもらえますか」
ごく真っ当な青年の要望に対して、混沌の説明魔が期待に沿うべく脳裏でもう一度内容を練り直す。
「えーとですね、まず、二名島の皆さんは概念ではなく地そのものです。対して、その後に八洲を治めていた皆さんは役割として事物を司る概念神さんです。よって存在強度が違います。なので、本来は二名島で均衡が保てていた力を他の土地に不均衡で持ち込めば、地が荒れるのは道理です」
ましてや穀霊の力は大地の力に他ならないため、器が受け止めきれなければ過剰な豊穣と草木も生えない不毛が両方出るのは自明の理、と語る言葉にそぐわない朗らかな口調で続ける異形面の少年が続ける。
改めて齎された説明は、確かに噛み砕かれてはいたが反比例して難解さと意味不明さは割り増しとなっていた。
これでどうだ、と胸を張る異形面少年と小型狻猊に何かを諦めた青年は、助けを求めて猫面少年を振り返った。
新人事務官の藁にも縋る思いを受け取った天猫は、うむ、と大きく頷いた。
「八洲の国生みの神話だよ。三柱の独神から国造りを命じられた最初の夫婦神は海中から引き揚げた足場に降り立ち、まずは八つの島を作り上げた。それが今の八洲の国土で、飯依比古達の二名島は二番目に生み出され、都のある本土は最後に作られたわけだな」
そして猫面少年による相棒に負けず劣らずのややこしさは、もしかせずともおちょくられているのでは、という青年の直感に間違いはないであろう。
「やれ大仰なことよ。お二方に斯様に持ち上げられては後が怖いの。付人殿、ここは若者らしく古物を持ち上げて損はなきのもと心安くあられよ」
面倒くさそうに紙扇を振る飯依比古に、彩藍が納得しかねるまま頷きを返す。
「はぁ、そもそも、飯依比古様か大宜都比売様が姫君を説得してくださっていればもっと簡単だったのでは?」
「諦められよ、付人殿。世の流れとは儘ならぬが道理というものよ」
「そうですよー。何でも思い通りと期待するのは悪い子ですよ」
理不尽の最たる二人に道理を説かれる理不尽は如何にしたものか。
釈然としない思いを抱える青年の肩を、背伸びをした猫面少年が労うように叩くも、残念なことに説得力は伴わない。
「僕が言いたいのは、飯依比古様がお越しになられるより、大宜都比売様が来られた方が物事が穏便に進むのではということなんですが」
飯依比古に揶揄われたことを根に持つ彩藍がせめてもの意趣返しと主張するも、それを聞いた天猫が信じられぬとやや大袈裟に仰け反った。
「彩藍、お前な、蛮勇も程々にしろよ? 飯依比古は悠抄と同じで面白ければ意外と何とかなるけど、大宜都比売は地母神だから万が一姫が嘆いたりしたら理屈なんか一切通らないぞ?」
冗談の気配が薄い天猫の言葉に、どうあっても迷惑に違いはないのか、と彩藍が頭痛とともに悟りを得る。
回れ右をして退散したい彩藍とは裏腹に、悠抄は謎のやる気を漲らせて庵へと足を踏み出した。
〜〜
「お待たせしました。姫様のご希望の宝物が集まりましたので、これからお見せしますねー」
うきうきと擬音がつきそうな雰囲気で袖に手を入れる悠抄の反対側で、檜扇を広げたなよ竹の姫君は顔を半分隠しつつも胡乱げな表情は隠そうともしない。
「あぁ、姫。悪いが衣紋掛けを借りるぞ。衣は全体を一瞥してこそだからな」
そして、天猫は天猫で黒漆に螺鈿の衣紋掛けを断りを入れる前に移動して、更には無断で床飾りの配置を自分好みに並べ替える。
「ちょっ、お二人とも、他所様のお宅で好き勝手は流石に失礼では……」
「あぁ、彩藍くん。床の彼岸花は花器ごと下ろして縁側に置いてください。角度はくろさんに聞いてくださいね」
見兼ねて苦言を呈する彩藍に視線を向けるでもなく悠抄が指示を飛ばし、主の意を受けたくろさんが早く動けと青年の裾を咥えて引っ張る。
世にも稀な宝物を披露するという大義名分のもと、自制という概念に乏しい二人と一匹が好き勝手に動くことしばし。
試行錯誤の末に並べられた宝物は、上手の角、障子越しに柔らかく日の当たる場所にまずは四つの宝物が並べられ、その背後に皮衣の掛かる衣紋掛けが立てられるという配置であった。
床にあった彼岸花を活けた花器は縁側に置かれ、来るはずのない他の来客の足止めに用いるという演出の徹底ぶりである。
ひと仕事終えた体で満足気に頷く二人と一匹に対し、なよ竹の姫と彩藍の視線は冷たい。
「さて、場も整いましたので、これから宝物の説明をしますねー」
「ふむ、目にも華やかな眺めであるが、吾がここにあるは立会ゆえ評は差し控えようかの」
わくわくとした雰囲気を醸し出す万物の元凶と自称立会人の二人に視線を向けられ、月の姫は畳んだ檜扇を打ち鳴らして宝物を斜めに見据える。
「何故こうも傍若無人に振る舞えるか全くもって理解できぬが、ここまでしたからにはさぞ大層な由来があるのであろうな? 詰まらぬものならば、容赦はせぬぞ?」
不機嫌を隠そうともしないなよ竹の姫の言葉に彩藍は思わず首を竦め、天猫は勝ち気に鼻で笑った。
「安心しろ。俺と悠抄が選び抜いて彩藍が見届けた物だからな。二つとない逸品揃いだ」
「いえ、僕はその場にいただけなので、さりげなく責任を振り分けないでください」
彩藍による切実な小市民の訴えは誰にも拾われることなく、悠抄が説明を始めるべくふらりと宝物に歩み寄った。
「上手の品物から始めますねー。まずは、仙島蓬島で玄女さんの立会のもと銀の根ごと採取した玉の枝と、同じく蓬島で玄女さんの立会のもと天猫が崖から採取した漂流琥珀入り燕精さんが作った血燕の巣に練り込まれた燕の子安貝と、羿さんから譲って貰った金烏さんの羽を中綿にして皮を幽世の職人の里長さんに黒橡色に染めて貰った火鼠の皮衣ですねー」
順繰りに指差し一息に説明した悠抄は、一度間を置いてなよ竹の姫の表情を伺う。
檜扇を広げてその隙間から覗き込むというどう見ても抵抗の構えの姫であるが、何故か楽しんでいるらしいと判断して満足気に頷く災厄の根源である。
「続けますね。天猫が武術の手解きをしてあげて譲って貰った龍神さんの孫娘さんの龍の如意珠と、最後にあゔぁろーきてーしゅゔぁらさんがぽたらかのお庭にある石で作ってくれた尊者の御石の鉢になります」
小柄な体躯のどこにそれだけの肺活量があるのか、長口上にも関わらず息一つ乱さぬ悠抄に彩藍が未知の生物を見る視線を向ける傍ら、形式上の依頼者である姫君は見たら負けとばかりに必死に顔を逸らす。
「姫や」
頑是ない幼子でもあるまいにとでも思ったのか、飯依比古が短く名を呼ばわると、月の姫の肩が小さく跳ねた。
「しかと見よ。そなたが望みの品じゃ」
育ての親の言葉に抗うこと敵わず、なよ竹の姫が渋々綺羅びやかな品々に顔を向け、一度天井を仰いでから見直してみるも、目に優しくない宝物群は消えてくれるはずもなし。
このままでは宜しくないと頭の片隅で対策を練る姫君が、視界の隅で泰然と佇む自らの養い親を捕らえ何事かを思いついた。
「泰山の小鬼よ」
「はい?」
「そなた、この場にじじ様がおられるということは、勿論のことばば様に子安貝の由来は聞かされていよう?」
「はい。聞いてますよー」
構えるでもなく即答する悠抄の言葉に、口の端をゆるく上げた姫君が再度宝物を順繰りに眺める。
「何を思うたか知らぬが、ようもこなたの前に持って来られたものじゃ、かような……」
「姫や」
子安貝に目を止め、形勢逆転とばかりに意気揚々と声を上げようとしたなよたけの姫の言葉を、飯依比古が再度名を呼ばわっただけで遮った。
「そなた、己が身は人が夢の結晶であると言うたらしいの」
「なれど、じじ様」
「問答は無用じゃ。人が夢の末でありながら、此に込められた願いが見抜けぬならば、許す故疾く消ゆるが良い」
声を荒げるでなく自分に視線すら向けるでもない地霊の言葉に、月の姫が一度己が前に並べられた五つの神宝を眺めやり半身後ず去ると畳に手を付き深々と頭を下げた。
「泰山の小鬼……悠抄様、こなたが間違ごうておりました故、何卒平にご容赦賜りますよう伏して願い奉りまする」
「悠抄殿、不出来の養い子が造作をかけたの。吾からも詫びる故、許してたもれ」
「良いですよー。止められて留まるだけ理性があるのです。若い子の負けず嫌いは先のある証拠です」
落着の気配を見せる空気の中、彩藍がほっと肩の力を抜こうとした矢先、悠抄がぱちりと両手を鳴らして余計なことを口走る。
「あぁ、この宝物は姫様のものなので、ちゃんと持って帰ってくださいねー」
「悠抄様。平に平にご容赦を願い奉りまする。これ程の格の品を蔵するは、こなたには荷が勝ち過ぎまする」
せっかく集めた宝物なので遠慮せず持って帰れと勧める悠抄に、なよ竹の姫が冗談じゃないと再び華麗な土下座を披露する。
同じ頭を下げる構図にも関わらず、先程とは一転して和やかな雰囲気に、飯依比古が一頻り笑い声を上げた後に軽くため息を吐いた。
「したが、吾も大宜都も急くことはせぬ気性というに、姫は何故に斯様に勝ち気な性分に育ったものかの?」
心底不思議と嘆息する養い親に、足を崩した天猫が膝に頬杖を付き短く笑い声を上げた。
「あのな、飯依比古。環境要因って言葉を知っているか? 通りすがりにわけの分からないまま抜擢されて、放置と放任の紙一重のお前ら二名島の連中に預けられて、極めつけは阿呆共に群がられたら逃げ道がなくて真っ直ぐ育つしかないだろ?」
要するに日頃の言動だ、と自らを棚に上げての猫面少年の発言に、姫が得たりと音高く扇を閉じた。
「よくぞ申してくだされた、天猫様。月の君の心内を見抜けられなんだは確かに我が身が不徳。なれどもじじ様もばば様も、長らく便りが絶えたと思えば此度のように先触も顔を出されるのじゃ。故に、こなたが如何ほどの針の筵に座しておったか、お分かりになられよう」
滔々と不平を零す高貴なる姫君を前にして悠抄は横切る秋虫を目で追い、天猫は袖より菓子壺を取り出す。
そして、この度の元凶の地霊は飽いたとばかりに欠伸を漏らした。
情緒を解さない人でなし連中を目にし、さすがに咎めるべきかと悩む彩藍であるが、ちらりと向けた目線の先では不遇に酔う姫君が気がつく様子もないので、まさしく触らぬ神に祟りなしを決め込むこととした。
それぞれが思うままに振る舞うことしばし、
「姫様姫様、お話はわかりましたが、長いので後はお家に帰ってお付きの人に聞いてもらってください」
「……そなた、ほんにこなたの話を聞いておられたのか?」
「はい、聞いていましたよー。要するに姫様は成長期で反抗期というわけですね」
外見詐欺の人外少年が齢数百を楽に数える月人の嘆きをあまりと言えばあまりの纏めで済ませると、つい、と秋の風情を湛える庭へと視線を転じる。
「漁師さんも姫様のお話を聞いていましたよね? 夢の中のお散歩も悪くないですが、お家に帰りたいなら、今が好機ですよ?」
悠抄が常と同じく平たい口調で言葉を向けた先には、風に散らんという風情の影法師が佇んでいた。




