第五十三話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四十五
扉を開けた先にいたのは、異形の仮面をつけた小柄な少年だった。
「おはようございます、彩藍くん。昨夜はうなされずに熟睡できましたか?」
共用廊下の窓の桟よりちゅんちゅんと聞こえる雀の鳴き声が、朝の爽やかな空気を伝える。
平穏と呼ぶに相応しい光景に彩りを添えるが如く響くは、朗らかな挨拶に不穏な台詞を付け加える悠抄の声である。
悪夢の使いのような装いの少年に睡眠の質を問われた彩藍は、しばしの思考の後、からりと引き戸を閉めようとした。
「訪ねて来た人間を締め出すとは、ずいぶんなご挨拶だなぁ、彩藍?」
隙間に沓先をねじ込み斜め下からの猫面越しに凄んでみせる少年剣士は、どこの悪徳訪問販売員であろうか。
「いや、ここ一般職員宿舎なんですけど、なんでお二人がいるんですか」
「昨日は課長と面談していたので、彩藍くんがよく眠れたかな、と確認しに来たのですよ」
朗らかに状況説明をする悠抄の言葉であるが、傍らにあるは全力で戸を閉めようと努力する彩藍に対し敢えてじりじりと引き開けようとする天猫の図とあっては、どこに説得力があるのだろうか。
付け加えると、この場に悠抄と天猫がいる必然性の説明になっているようで全くなってはいない。
「まぁ、立ち話もなんですから、中でお茶にでもしましょう」
「茶と茶菓子は持参したから、気にするな」
「ですから、ここは一般職員宿舎なんですよ。地味な庶民の平穏を乱さないでください」
遠慮という概念から程遠い位置に存在する小型迷惑二名を渾身の力を振り絞り押し切ろうとする彩藍であるが、小型神獣が青年の脛に軽く爪を立てたことによって敗北を喫した。
〜〜
押し込みという名で招き入れられた居室は、事務青年のそれらしく機能的に纏められていた。
鴨居に掛けられた衣装掛けの外套は埃よけが被せられ、括り付けの書棚には幾つかの巻子と冊子が並べられ、彩藍の几帳面さが見て取れる。
また、寝台は僅かに乱れ、壁際の書き机の筆記具に確かな生活感を感じることができる。
それらを一望した悠抄は、何を納得したものか、なるほどと大きく頷いた。
「ここは書庫控室ですか。さすが彩藍くん、お勉強熱心です。ですが、疲れは取れないのでここで寝起きは感心しないですね」
悪気がないことだけは伝わる悠抄の賛辞に、彩藍はなんと返したものかと眉間を押さえ、天猫はそうじゃないと相棒の肩を掴んだ。
「勘違いをしているようだぞ、悠抄。ここに来るまでの間似たような戸が並び、彩藍は宿舎だと言った。ならば、ここは彩藍の居室かもしれないぞ」
「……社会科見学が済みましたら、本題に入ってもらっていいですかね? ここは関係者以外立ち入り禁止のはずですが、何故お二人が入館できたんですか?」
何かに対する諦めと共に吐き出された問いに悠抄が腕を組んで胸を張る。
「庁舎内で彩藍くんを探していたら、通りがかった事務官二号くんが今日は休庁日ですよと教えてくれたのです」
簡潔な回答のどこに胸を張る要素があったのか、人を探すのに当然のように休庁日の庁舎を選ぶのは何故なのか、とどれから問うべきかと悩む青年である。
「そうですね、ちょうど良い機会なので、世間一般というものがどういうものか、お二人に知ってもらうのも良いかもしれないですね」
まずはその辺に楽に掛けてくれと促す青年に、良い子の返事を返した少年もどき二人が室内を見回し、はたと動きを止めた。
「天猫、困りました。ここには長椅子も羅漢床のようなものもありません。ぼくはどこに座ればいいでしょう」
これは弱った、と首を傾げる常識違いに、天猫がしばし考えたのち手を打ち鳴らした。
「創作で読んだことがあるな。確か、親しい友は部屋の主の寝台に腰を掛けるんだったか」
「さすが天猫、物知りですね」
相棒による何かが違う説明に再度納得した悠抄は、何故か寝台を整えるとよいしょと沓を脱いで中央に陣取った。
「……あの、なんでお二人とも僕の寝台を占拠しているんですか?」
「何でもなにも、ぼくと天猫は彩藍くんのお部屋にお邪魔しているので、お客として主座に座るのが礼法の常識ですよね? 先程天猫も言っていました。このような状況下では寝台が主座になると」
首を傾げる悠抄のみならず天猫までもがも当然のように腰を落ち着ける姿に、これも説明内容かと彩藍が溜息を吐く。
「まず、繰り返している通りここは一般職員宿舎です。つまりはこの部屋は生活空間です。書庫控室に住む人間は貴方方の同類だけです」
「そうなのか。でも、夜中に香とか焚きたくなっても、この部屋だと香りが籠りすぎないか?」
香煙が残りすぎては余韻が変わるだろう、と至極真面目に問う剣士少年の問いを、彩藍が緩やかに首を振ってそうじゃないと打ち消す。
「お二人の生活基準だと確かにそうかもしれませんが、ここは僕に与えられた官舎の一室で僕の私室です。よって、この空間の基準は僕にあります」
わかりますね? と腰に手を当て熟練調査員に道理を説く新人事務官という構図は、一体何の喜劇であろうか。
「付け加えると、世の中の大多数を構成するのは僕のような一般的庶民です。つまりは、羅漢床の据えられた自室も、夜中の香も世間の常識ではありません」
ぴしゃりと切って落とす彩藍の言に、悠抄が感慨深げに唸って天井を見上げる。
「世の中聞いてみないとわからないものです。彩藍くんの説明が真だとすると、ここはお仕事場ではなくて彩藍くんのお家ですか?」
「なんだか腹の立つ関心の仕方ではありますが、そう解釈していただいて問題ありません」
微妙に癪に障る解釈を披露する仮面の別次元常識に、彩藍が釈然としないものを抱えつつ妥協を示す。
それに便乗するように猫面少年が挙手をして発言権を求めた。
「ここが彩藍の家だとする説はわかったが、もし仮に家だとすると、この広さだと休息しかできないだろ?」
「ですから、説も仮もなくここは僕の自室ですし、現につい先程まで休息をしていました。大体、自室かもしれないと悠抄さんに注意を促したのは天猫さんなのに、ご自分は何故そんなに頑ななんですか」
ついには泣きを入れる彩藍に、天猫がそっぽを向いてみせる。
悪がきの風情漂わせるそのさまは抗っているというよりは、半分以上認めないことで楽しんでいると見るべきか。
「そうは言うがな、お前の友人も登庁していたぞ。つまり、世間一般でも休庁日と言っても休まなければいけない日というわけではないな」
「あいつはあいつで必要があっての早朝休出でしょうが、恒ではないはです。そもそも、僕の友人一人を世間代表とするには標本が足らないので、それは天猫さんの偏見です」
飛躍にも程がある天猫の屁理屈を、彩藍が生真面目に跳ね除ける。
そして話題に飽きたのか、天猫の隣の元凶はうとうとと舟を漕ぎ始めた。
「逆に疑問なんですが、お二人は休暇の時は何をされているんですか?」
「もちろん、休んでるぞ? 修練したり料理の研究をしたり。なぁ?」
「はい。お仕事でお世話になった人に文を送ったり、術書を読んだりして楽しんでいますよ」
天猫の水向けに対して舟漕ぎを中断した悠抄が眠気を残したままの声でもちろん、と大きく頷いた。
迂闊にも理外二人組の休日という惨状を聞き出して頭を抱える事務青年に、窓枠に陣取る小型神獣が冷たい視線を注ぐ。
「こんなことをお二人に問うのもおかしな話ですが、休庁日は何の日かお分かりですか?」
「失礼ですねー。それくらい知ってますよ。次のお仕事を準備するお仕事の日です」
悠抄による一片の曇りも見当たらない回答は、確かに純粋ではあるが純粋も過ぎれば迷惑になるとの好例でもある。
苦悩する青年をよそに、迷惑発生装置は良いことを思いついた、と両腕を広げた。
「良い機会なので、今度のお休みの日には彩藍くんも一緒に三人で礼法のお勉強会をしましょう。この先きっと役に立つはずです」
「そういうことなら仕方ないな。茶請けと食事は任せろ」
名案という名の迷案に固まる青年をよそに、とんとん拍子で話を纏める混沌生物二名。
「なぁ、悠抄。どうせ講習会をするなら、もっと頭数を増やした方が面白くないか?」
「そうですね。都合がつけば事務官二号くんも誘っても大丈夫ですよ?」
もちろんその他のお友達も可ですと、息をするようにあれよという間に被害を拡大させようとする災害生物に、思考を停止していた彩藍が慌てて再起動を果たす。
「非常にありがた迷……じゃなかった、ありがたい講習会のお話はひとまず置いて、まずは本題を片付けませんか?」
目の前の少年もどきどもにこのまま主導権を預けていては宜しくない、と遅まきながら気がついた彩藍が、僅かに本音を漏らしつつ異形面の眼前で手を振って意識を引きつける。
「本題ですか。中元節を全部利用した夏季の業務強化集中合宿のお話ですね」
「ああ、参加者名簿の作成と、合宿期間中の献立が議題だったな」
「違いますよねっ。態々休日に僕を訪ねてきた大事な用事があったはずですよねっ?」
大真面目に悪夢の計画を実現しようと段取りを練る混沌の善意と、悪のりで相棒を唆す悪戯剣士の返答を、身振り手振りを交えて勢いよく掻き消す事務青年である。
「用事ですか? ありましたかねー?」
「あったんですよ。さぁ、頑張って思い出しましょう! 今からでも本題には間に合います」
さぁさぁと何かが間違えた声援を送る彩藍に、笑いを堪えかねた天猫がさりげなく相棒を視界から外す。
彩藍を巻き込んだ壮大な強化合宿計画が楽しかったらしく、綺麗さっぱりと本題を忘れ去っていた悠抄が記憶を浚うべく天井を仰ぎ見る。
窓辺の屋外観察に満足したらしい神獣が悠抄の膝に戻ってくると、主の真似をして顔を上に向けた。
「思い出しました。あゔぁろーきてーしゅゔぁらさんから御石の鉢の準備ができましたよと連絡が来たので、出発のお誘いに彩藍くんを探していたのです」
それを先に言えというより他ない本題に崩折れる彩藍を見おろして、記憶復活の爽快感に満足げな息を吐く悠抄であった。




