第五十二話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四十四
「態々呼び出したりして、足労掛けたわね」
観音開きの格子戸を明け放った先、露台の柵に身を預ける麗人が一人姿を見せた青年を出迎えた。
「御用と伺ったんですけど、本当に僕だけで良かったのでしょうか? 今からでも悠抄さん達をお連れした方が……」
あらゆる意味で圧倒的存在感を放つ上司を前に、戸惑いも露わな常識人代表が早速逃げ道を模索する。
「あの子達の居場所なら把握しているから大丈夫よ。どうせ、大食堂に書類を持ち込んで迷惑をかけているのでしょう?」
「そうですね、お二人とも遠慮というものがないので、一般人には端的に迷惑というより他ないですね」
遠慮がないと評しながらも自らも容赦がない彩藍の言に、調査課長がにやりと持ち上がった唇を新緑に染められた絹地の袖口で隠した。
「あの子達はなんだかんだと淋しがりなので、多少は大目に見てやってちょうだいな」
混沌の使いと騒動加速装置という組み合わせに対して、どこをどう取れば淋しがりという評価が湧いてくるのかと根拠を問いただしたい誘惑に駆られる彩藍であるが、その部分は人の情として敢えて指摘は避け、かわりに大目に見た結果が現状ではないかとの非難を隠すことなく視線に乗せる。
「不平不満に枚挙の暇はありませんって顔をしているけど、そこは上司特権として無視をさせて貰うわね」
余すことなく意図を読み取り、更にはそれ以上を把握した上で取り沙汰せずを宣言する上司に思わず舌打ちをしたくなる彩藍であるが、それすら織り込み済みとなると、まさしく役者が違うと言うより他ない。
「さて、今回来てもらった用件だけれど、要するに臨時面談ね」
長身痩躯の麗人による紫の眉墨に彩られた流し目は、麗しくはあるがそれを上回る破壊力を有すると言わざるを得ない。
社会人として非礼にならない逃げ道を探した彩藍は、妥協として麗しの調査課長の肩越し、藍色の海に広がる漁火とさらにその手前の灯火煌めく街の景色に焦点を合わせる。
「彩ちゃんは……」
「彩藍です」
「小男孩はうちに出向配属になってどれくらいかしらね?」
繰り出された省略愛称に抵抗を試みたところ、坊っちゃん呼びとなってしまった。
「……研修終了時の適性検査直後に、総務部配属と出向を命じられたので、調査課配属暦は研修間を除く職歴と同様に九ヶ月と言ったところですね」
「あら、驚いた! 莉仁以来の大抜擢じゃなあい? 人事も大した大盤振る舞いをしてくれたこと」
大袈裟な身振りを披露する調査課長は、ひと言で言うと空々しいことこの上なしだが、されどもすべてを芝居と断じるには躊躇われる雰囲気も漂わせる。
なんと反応したものかと逡巡した青年は、相手の発言から無難な材料を拾い上げて口を開いた。
「あの、莉仁さんというのはどなたのことですか?」
「あら? 貴方も会ったことがあってよ? 受付の鬼と異名をとる貴方の前任ね」
あとは、貴方の推薦状に名前を書いたうちの一人ね、とさらりと明かされた、ある種本日一番の衝撃の真実に、先輩名前あったのか、と思わず過日己にも向けられた理不尽な言葉を口にする彩藍である。
「職歴と配属歴が同じなら、いっそのこと正式に調査課に転属しても同じじゃないかしら?」
不平不満に限りなし、と青年の内面を正確に把握しているにも関わらず何を考えたか世迷言を口走る出向先上司に、冗談ではないと彩藍が慌てて両手を振って拒絶をする。
「そんな縁起でもな……いえ、滅相もない! 僕のような未熟者が皆さんと肩を並べるなんて烏滸がましいにも程がありますし、僕は可変型長命種でも何でもないごく普通の人間なので、そもそも配属資格がないですよ!」
「やぁねぇ、配属資格ってなぁに? うちはやる気があれば輝ける部署よ?」
性別不詳の麗人が自分より高い位置にある頭部を傾げる姿は、如何に麗しくあろうと視覚的圧力を生む。
付け加えて、麗人の口にする内容が悪徳求人広告の謳い文句そのままとくれば、哀れな青年に掛かる負荷は如何ばかりか。
「……僕が以前聞かされたのは、調査課は変り種の可変型長命種が配属される少数精鋭の部署だ、というお話でしたけど」
「間違えではないけれど、正しくもないわねぇ。正しくは、大部分を占める変人の可変型と、少数の変人定命種や変人普通長命種による少数精鋭の寄合部署、ね」
要するに、調査課とは有能でさえあれば人種を問わぬ変人の巣窟である、との認識で良いのであろうか。
事実は小説より奇なりに付け加えて現実は噂より酷なりと新しい慣用句を成立させてしまうような酷い状況に、思わず片手で顔を覆う彩藍である。
「まぁ、無理にとは言わないので、選択肢として考えていてちょうだいな。それよりも、今回の案件関してだけれど、貴方どれくらい把握していて?」
唐突な話題転換に虚を突かれた彩藍が、迂闊にも顔を覆っていた手を無防備に下ろして出向先上司の視線を正面から受け止めてしまう。
「そうですね、僕が分かっている範囲と言うと、悠抄さんの仮面の修繕に理不尽な材料が必要なのでそれを集めなければいけないことと、内勤期間なのに全く大人しくしていないことと、天猫さんは相棒を止めないどころか甘やかして煽っている、と言ったところですかね」
多分に私怨は混ざるものの要点は押さえているよね青年の回答に、課長がやや大袈裟に合の手を挟みつつ耳を傾ける。
「それと、行商人は裏で何か大きな事に関わっているし、貴方方はそれを煽って面白がっていますよね」
さり気なさを装ってかまを掛けてみるも、性別不詳の狐が尻尾を出す様子はなし。
全くもって見習いたくない鉄面皮に、青年がこっそりと溜息を吐く。
「僕の見解を聞いたところで、皆さんのお役に立てるとは思わないんですけどね」
「それは自己過小評価が過ぎるわね。良いこと、彩ちゃん。経験は見える範囲を広げるけど、物事を見る角度というのはその人の持って生まれた感性に強く影響されるのよ」
一度言葉を区切った課長は、庁本社の屋根越しに広がる紺色の宵空を見上げて、例えば、と続けた。
「今回の漁師の案件は塩漬けと言われたけれど案外簡単に対応が進んでいるな、とか、塩漬け案件なのに現場は発生直後に見えるな、とか思ったことはなぁい?」
真正面から見据えられての図星に彩藍が大きく身を仰け反らせ、それを見た課長が楽しそうに指先で露台の柵を叩いた。
「勿論、新人ならではの視点もあるけれど、それでも彩ちゃんの持ち合わせた素直さによるところも大きいわねー。悠抄や天猫なんて、新人の頃から面白いか否かか、どう片付けるかしかなかったもの」
今思い返してもほんと可愛くない子達だったわねわー、と遥けき昔を振り返り呟く課長からは、確かに中間管理職の哀愁が感じられる。
この麗人をして疲労を覚えさせるあたり、当時からどれだけ破天荒な二人組であったか想像に難くない。
「課長は、お二人との付き合いは長いんですか?」
「あの子達が入庁した時の教育係が私だったのよ。新人研修に入れようにも人事の手には負えないから、研修なしでうちで面倒見てくれって泣きつかれてね。今で言う実務研修ね」
思ったよりも長い付き合いであるらしいが、どれほど過去に遡れば悠抄と天猫の新人時代に行き当たるのか、彩藍の持つ一般的時間感覚では想像もつかない。
思わぬ昔語りに記憶細胞が刺激されでもしたのか、課長が頭を振って小さな笑い声を上げた。
「当時のうちの課長は、心労で禿げたとよく嘆いていたわね」
幽鬼調査課にも、辛うじて真っ当な感性を有していた人物がいたらしい。
大昔の見知らぬ課長の苦労と潔く散っていったであろう彼の毛髪に彩藍が胸中で哀悼の意を捧げる。
「まったく、元から禿げ同盟なんて作って遊んでたくせに、部下のせいで禿げましたなんて、図々しいにも程があるわよね」
そして、明かされた衝撃の真実に、韋駄天も斯くやの勢いで送信済み念を取り消した彩藍であった。
これ以上過去の話を聞いていてもろくな情報を発掘できるわけではない、と悟った彩藍は、軽く咳払いをして課長の意識を引いた。
「ご指摘の疑問は確かに感じていましたが、ただ単に誰もやりたがらないから塩漬けになった、というわけではないですよね?」
反語的な確認手法を取る青年に、その切り返しの良さこそが出向を命じられた主要因のひとつであろうに、と内心で呆れる調査課長であるも、表面は泰然とした様子を崩さずに軽く首肯をしてみせた。
「塩漬け案件と言われたにも関わらず、実際のところ漁師の魂は手際良く戻るための段取りを整えられているかに見える、それはなぜか、悠抄達が偶然の縁を引き当てることができたからよ」
問題児の集団を束ねる幽鬼調査課長による端的な説明は、しかし彩藍の若者らしい期待に沿わないものだったのか、青年の纏う雰囲気に僅かな陰りが見られた。
「結局、運命論というやつですか?」
「ちょっとちがうわね。運命とは用意された答えに向かって用意された道を歩むもの。対して、今回実際は、富くじに当たったようなもの。当たるべくして当たったのではなく、当たったからこそ縁が結ばれた、ね」
興醒めする彩藍に課長が因果の概念を説明するも、一般感覚を誇る青年には、今一つ違いが理解できない。
一瞬この場に小型説明魔がいてくれたら、と思いかけるが、それこそが進路選択の罠かと自らに喝を入れる彩藍である。
自らを律するがために奇行を披露する青年を見て、食わせ物課長が柔らかい光を目に称えるが、彩藍に気づく余裕のあろうはずもない。
「世の中得てしてそういうものよ。古くからの格言にもあるでしょう、信じるものは救われる、と」
言い切ると、これにて面談終了と、ばかりに課長が音高く手を打ち鳴らした。
「どうやら聞かん坊達が貴方を迎えに来たみたいね。後もう一つの疑問の時間のずれに関しては、折を見てあの子達に質問してみなさいな」
そう言って課長が流し目を彩藍の肩越しに送るのと、青年の背後の格子戸が開かれたのは同時のことであった。




